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名にし負はばいざ言問はむゴールデンウィーク

「名にし負はば」という言葉のリズムと考え方がとても好きで、たまに使いたくなるのだが、日常生活でこれを使うのはけっこう難しい。そこで今年のゴールデンウィークの所感を綴ろうと思って書き出したこの記事に、むりやり在原業平の超有名な和歌を借りてタイトルをつけてみた。

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥
我が思ふ人は ありやなしやと

その名を負っているのならば、さあ問うてみよう都鳥よ、という呼びかけの上の句になぞらえて、ゴールデンウィークという名前が背負う「ゴールデン」ってなんなんだ、などと考えつつ、大学4年間の大型連休を振り返ろうと思う。

そもそもゴールデンウィークって、意外とタイミングが悪い連休な気がする。新学期、新生活が始まってさあ頑張ろうと意気込む4月、を3〜4週間も過ごせば、1週間ほどのまとまった休みが手に入り、それは考えようによっては気を張った4月の疲れをとるためのセーブポイントとも言えるのだろうけど、私の場合はネガティブ思考が勝って、出鼻をくじかれたような気持ちになってしまう。社会人は3月も毎日仕事をしているわけだから、セーブポイントとして扱えるのかもしれないが、学生は3月もずっと休んでいたわけで、4月の3〜4週間程度でまた手に入る1週間ちょっとのお休みは、やっぱりどちらかというと出鼻くじかれ感がある。まあ世の中社会人の方が圧倒的に多いわけで、彼らにとってゴールデンであるのなら、この休みはやはりゴールデン、なのだろう。

大学1年生のゴールデンウィークはコロナの影響で授業開始が伸びまくったために祝日も授業があり、まともに外出もできず授業以外はほとんど寝たり家事をしたりしていた。まあ仮に休みだったとしても外出は難しかっただろうけど、祝日の前日に友達と電話しており、明日大学だからそろそろ寝るね、と言ったところ、「え、明日祝日だよ?」と言われた屈辱は忘れがたい。

大学2年生のゴールデンウィークも大学はあったが、祝日は申し訳程度の休みがあった。それで休みの日は元彼とすみっコぐらしの映画を観て、ふたりで泣いた。すみっコぐらしは全員が小さくも一生懸命に生きていて、かつその一生懸命さで人を決して傷つけないところがいい。ゆるキャラもののアニメにありがちな、声優が頑張ってセリフを吹き込むのではなく、動きと井ノ原快彦のナレーションで状況を説明し、キャラクターの台詞は全て手書き文字で書かれる。それだけですみっコぐらしが、どれくらいキャラクターを大切にしているかがわかる。すみっコぐらしを一緒に観たのが、彼を100%本当に好きだった最後の記憶かもしれない、と、今になって思う。そんな境界線がはっきりと引けるものではないとわかっていながら。

大学3年生のゴールデンウィークになって、ようやく大学が中日も休みにしてくれるようになった。それでまるまる実家に帰って、毎日お酒を飲んだり、成人式にでたり、お母さんとお姉ちゃんと3人で東京で遊んだりした。ただこの頃の記憶は割と曖昧で、というのも恋人がおらず、自分の行動を逐一報告して留める対象がいなかったので、なんだかぼんやりしている。恋人がいなかった期間に観た映画や読んだ本、漫画なんかは、どれがいつ触れたものだったか、はっきりと思い出せない。

そして今年、大学4年生のゴールデンウィークで最も特筆すべきは、静岡に1泊2日で旅行に行ったことだ。静岡に行くのは2回目だったが、1回目に感じた「ここは素晴らしい都市かもしれない」という予感が確信に変わる旅だった。夏にも静岡に行く予定をつくったので、その予定があればとりあえず、何とかやっていけそうだと思う。夜を食べた居酒屋にもう一度行ったら、今度は締めで素麺なんかを出していそうな気がしていて、そしてそれはまた格別に美味しいことが予想される。それだけでじゅうぶんすぎるくらい、幸せだ。

忙しさにかまけて執筆を放置していたら、もうゴールデンウィークから2週間経ってしまった。ひとつ言えるとすれば、国立のくせに祝日も平気で授業をするうちの大学は、ちょっとおかしかったのだと思う。成人の日を休みにしない授業体制にクレームが飛んだことがきっかけで休みを増やしたというもっぱらの噂だが、ナイス、クレーム、というほかない。概して、ゴールデンウィークにまつわる記憶は楽しかった。大学生なんて年中ゴールデンウィークみたいなものだが、こうしてまとめて思い出を振り返れるぶん、ゴールデンウィークが”名にし負ふ”「ゴールデン」はあながち間違いでもないのだろう。

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