和歌山での思い出と現在
最近はふと、昔はよかったな、なんて思い出す。
例えば、幼少期の5月。
ちっちゃい家のちっちゃいベランダから飾る
大きな鯉のぼり。
あまりにもアンバランスな関係やったけど、
気持ち良さそうに泳ぐ鯉のぼりを見るのが
心底、好きだったな。
いや、この思い出を思い出してから
好きになったのかもしれない。
いつからか飾られ無くなったけど、
思い出したら有難い気持ちになる。
行事ごとをキチンとしてくれた私の両親や祖父祖母により、今の私は行事を意識できる人間になれた。
ありがとう。
例えば、6月。
朝リビングに向かうと、朝日に照らされた水田が真っ白な壁紙を光で包んでる。
キラキラして、柔らかくて、朝だよって教えてくれるみたいやったなぁ。
夜床につき、毎晩カエルたちの大合唱を聴く。
カエルの大合唱を嫌う人がいるけど、
私は真逆。子守唄の位置付け。
限りなく大合唱に近い子守唄。また聴きたい。
例えば、あの年の6月。
今は亡き親友と見た蛍。
早く歩けやんねん、と言った親友と
素直になれなかった私と、蛍たち。
後悔先に立たず。
今もあの場所に行けば、
また親友と会える気がする。
ついつい、
あの時はゴメンな
って言っちゃいそうやけど。
疫病により当分帰れてない。
またいつか6月に、親友と蛍のためだけに帰りたい。
例えば、節分の2月。
おばあちゃんの手作りの恵方巻き。
大好きで、1日に何本も食べたな。
もうこっちにきちゃったから、当分食べれてない。
今度帰ったら、節分じゃなくても作ってもらおう。
なんて、ふと思い出す、
和歌山で過ごした22年間の思い出たち。
あの時は良かった。
いや違う、あの時も良かった。
つまり、京都で過ごす今も良い。
京都に来て3年目。
未だに観光客気分が抜けてない。
主役級の寺社仏閣たちと、
都会が融合した街。京都は素敵な街だ。
京都の話は、京都を終えてからにしよう。
過去は思い出にすると美しい。
良くも悪くもね。
思い出に、
思い出した時の自分の都合を加えるのが嫌で、
今日も日記を書く。
その時の感情と風景を大切にしたい。
これからも和歌山での思い出たちみたいに、
素敵に暖かく過ごせます様に。
あの時は良かったな、って
思える日々を過ごせますように。
また明日も、その先も、
素敵な日々を綴れます様に。
おわり!
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