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【メンバー限定・ミッション系願書ネタ】生き急ぐよりも心にゆとりを
いつもお世話になっております。
いつも「早く早くしなくちゃ」とイライラした居た私に、ゆっくり生きることの大切さを教えてくれたのは、中学校からの同級生で、東大法学部でも同期、20歳の若さで自殺した金澤光一郎です。
人は忘れられたときに真の死を迎えますので、あえて名前を書きます。ここにも載ってる。彼は開成で、私は県立千葉のところに載っています。
この掲示板は彼のためにも消さないで欲しいな。
私は、それ以来、聖書を読むようになりました。「天の下の出来事には、すべて定められた時がある」というコヘレトの書の中に、「神のなさることは、すべて時宜にかなって美しい」という真理も知るようになりました。臥薪嘗胆とか隠忍自重という四字熟語も、時を待つことの大切さを教える言葉でした。
このように、願っていることの成就のために、苦しくても我慢して待つことを教えられたはずなのに、私は、日常の些細なことで、それを行ってこなかったことを、親友の死によって気づかされました。
私が住んでいるマンションは9階にあるので、毎日のように九人乗りの小さなエレベーターに乗っています。 ある日、階数ボタンを押した後、無意識に「閉」のボタンを連打している自分に気付きました。つまり、ドアが自然に閉まるまでの時間、大体四秒ぐらいの時間が待てないでいる自分に気付いたのです。
そして、考えさせられました。「四秒すら待てない私」でいいのだろうかと。
事の重大さに気付いた私は、その日から、一人で乗っている時は「待つ」決心を立てたのです。
この決心は少しずつですが、「他の物事も待てる私」に変えてゆきました。
待っている間に、小さな祈り、例えばアヴェマリアを唱える習慣もつけてくれました。
時間の使い方は、いのちの使い方です。待つ時間が祈りの時間となる、このことに気付いて、私は、何かよいことを知ったように嬉しくなりました。
小学校受験を控えたお母さまは、ストレスで頭が壊れそうだと思います。そこをぐっと落ち着き、じっくりと構えてください。そしてお子さまにあまり無理を強いないでください。
人間はもろいものです。たとえ東大法学部に合格しても自殺する人間は沢山いるのです。