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【全員向け】慶応幼稚舎志望者が願書に良く書く「自我作古」は福澤諭吉の言葉ではありません。

いつもお世話になっております。

慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部の願書の添削をしていると「福澤先生の創造された「自我作古」の精神に則り・・・」などと書いている人が結構多いんですけど、この「自我作古」って、福澤が作った言葉ではないんですよね・・・。

もう、そう書いている時点で慶応は落ちちゃいますので、願書は私に任せた方が良いと思います。

「自我作古」とは、我より古を作すという意味です。慣習にこだわらず、自らが新しく事を行い、自分自身が先例となるということです。 この言葉は『宋史』礼志に載っている言葉です。杉田玄白もこの言葉を使っており、『蘭学事始』にもこの語を見出すことができます。

但し、福澤諭吉がこの言葉を使わなかったわけではありません。慶応義塾を創設する際に、以下のような文脈で使用しています。

『今ここに会社を立て義塾を創め、同志諸子相共に講究切磋し、以て洋学に従事するや、事本と私にあらず、広く之を世に公にし、士民を問わずも志あるものをして来学せしめんを欲するなり。抑も洋学の由て興りしその始を尋るに、昔享保の頃、長崎の訳官某等、和蘭通市の便を計り、その国の書を読習わんことを訴えしが、速に允可を賜りぬ。即ち我邦の人、横行の文字を読習るの始めなり。 その後宝暦・明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、又前野蘭化、桂川市周、杉田斎等起り、専精して以て和蘭の学に志し、相与に切磋し、各得る所ありと雖も、洋学草味の世なれば書籍甚乏しく、且之を学ぶに師友なければ、遠く長崎の訳官に就てその疑を叩き、個々和蘭人に逢ばその実を質せり。蓋この人々執れる英邁卓絶の士なれば、只管『自我作古』の業にのみ心を委ね、日夜研精し寝食を忘るに至れり。・・・・(結構長々と続く)・・・』

ですから、願書の添削としては以下のようになります

✕「福澤先生の創造された「自我作古」の精神に則り・・・」
〇「福澤先生が慶応義塾を創設されたときに仰った「自我作古」の精神に則り・・・」

私が書く願書の合格率が高いのは当たり前ですよね。

ではでは~

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