【つの版】ウマと人類史:中世後期編・インデックス
ドーモ、三宅つのです。新たにインデックスを作りました。モンゴル編は分けてもよかったですがいまさらですね。
つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。つのも参考文献一覧を作りました。追加でまた作るかもです。
なお主な舞台となる中央ユーラシアは大変広く、世界各地に話が飛びますので、世界地図をご用意下さい。なければGoogle Mapで充分です。
◆帝国崩壊編
01.大元政変
クビライの崩御後、大元では後継者を巡る政変が相次ぎます。
02.諸国動乱
14世紀前半には大元のみならず、チャガタイ・ウルスやフレグ・ウルスでも内乱が頻発します。
03.金帳汗国
ジョチ・ウルスは13世紀末の動乱を乗り越え、14世紀前半のトクタ・ハンとウズベク・ハンの時代に最盛期を迎えます。
04.紅巾之乱
1351年、チャイナ南部で大反乱が勃発し、大元皇帝は1368年に大都を放棄してモンゴル高原へ逃れます。
05.大元北走
大明は各地の敵対勢力を次々と撃破し、モンゴル高原まで攻め込みます。しかし、モンゴル帝国が滅んだわけではありませんでした。
◆ティムール編◆
06.蒙古駙馬
大元が北へ走った頃、中央アジア西部には英雄ティムールが現れます。
07.帖木西征
1381年、ティムールは大遠征を開始し、アフガニスタン、イラン、アルメニア、カフカースを制圧します。
08.雷帝決戦
1398年にはインドに遠征し、さらに西方へも遠征してオスマン帝国を撃破しました。1405年、年老いたティムールは東方遠征の途上で崩御します。
◆永楽帝編
09.靖難之変
1399年、明朝の燕王は北平で挙兵し、1402年には応天府(南京)に入城、永楽帝となりました。彼は北平を北京と改め、都を遷します。
10.韃靼瓦剌
モンゴル高原では西のオイラト部族連合が勢力を広げ、北元/モンゴル帝国のカアンを傀儡としました。しかし東のモンゴル諸族は反発し、オイラトの混乱に乗じて新たなカアンを擁立します。
11.永楽大征
モンゴル高原での争いに乗じ、永楽帝は北元/韃靼やオイラトを討伐し、服属させます。また西域にも使者を派遣し、ティムール朝を友好国とします。
12.鄭和下西
永楽帝は鄭和率いる大艦隊を東南アジアやインド洋諸国に派遣し、国威発揚につとめます。しかしそれは明朝に莫大な財政負担を強いるものでした。
◆大元可汗編
13.土木之変
オイラトはモンゴル/韃靼を圧迫し、傀儡カアンを担いでモンゴル高原を再統一し、一時は明朝をも脅かします。
14.大元可汗
オイラトはエセンの死後衰え、群雄割拠の後にダヤン・ハーンがモンゴル高原を再統一します。
◆西域動乱編
15.巴布流浪
ティムール朝はシャー・ルフの死後に混乱し、周辺諸国に侵略されて崩壊します。ティムール朝の王子バーブルは流浪の果てに北インドへ入り、ムガル帝国を建国しました。
16.韃靼疾風
ジョチ・ウルスは分裂して抗争を続け、モスクワ大公国はこれに乗じて勢力を広げます。しかし「タタールのくびき」はなおのしかかります。
◆オスマン帝国編
17.君府陥落
ティムールによって崩壊したオスマン帝国は再建され、1453年には東ローマ帝国を滅ぼし、コンスタンティノポリスを帝都としました。
18.串刺伝説
メフメト2世は東西に領土を広げ、イタリア半島をも脅かしました。
19.皇弟流浪
メフメト2世の子バヤジット2世は、各地の反乱や諸外国の介入に悩まされながらも30年に渡って帝国を保ちました。
20.陸海平定
バヤジットの子セリムは、東のサファヴィー朝を討ってアルメニアやクルディスタンを奪い、南のマムルーク朝を征服します。ここにオスマン帝国は三大陸にまたがる大帝国となり、イスラム世界の盟主となったのです。
【続く】
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