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【つの版】ユダヤの謎06・亡国捕囚

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

前609年、ユダ王ヨシヤはエジプトに敗れて戦死し、ユダ王国はエジプトの属国になりました。そしてユーフラテス川流域では、アッシリアが滅亡し、バビロニアが次の覇者になろうとしていました。1000年前に滅んだハンムラビらの古バビロニア(バビロン第一王朝)に対し、この王国を新バビロニアとも呼びます。かつてはカルデア王国とも呼ばれました。

◆River of◆

◆Babylon◆

亡国捕囚

ファラオ・ネコ2世率いるエジプト軍は、その後もアッシリアの残党を支援してユーフラテス流域に進出しますが、前605年にカルケミシュの戦いでバビロニア軍に撃破されます。この時バビロニア軍を率いていたのは、ナボポラッサル王の子ネブカドネザル2世でした。まもなく父が病没すると、彼は25歳で王位を継ぎます。ネブカドネザルは東のメディア王国から王女アミュティスを娶って同盟し、西のシリア、エジプトへと目を向けます。

彼は余勢を駆ってユーフラテス川を西へ渡り、シリア・フェニキア・カナアンの諸国を尽く服属させました。ユダ王エホヤキムは彼に隷属しましたが、3年目(前601年)にアシュケロンと組んで反乱を起こします。しかし期待したエジプトからの支援は得られず、バビロニア・シリア・モアブ・アンモンらの連合軍がエルサレムを包囲しました。前598年にエルサレムは陥落し、エホヤキムは捕縛され、バビロンへ連行されました。

ユダ王国は存続し、エホヤキムの子エホヤキンが18歳で即位します。この頃預言者エレミヤは「ネブカドネザルはヤハウェのしもべである。彼に逆らうな、エジプトに頼るな。悔い改めてヤハウェに帰依しなければ、ユダ王国は滅びるであろう」と盛んに預言していたので、エホヤキムやエホヤキンに疎まれていました。またエホヤキンはエレミヤが献上した預言書を焼き払ったので、ネブカドネザルは再びエルサレムに攻め寄せて降伏させます。

エホヤキンは在位3ヶ月余りで退位させられ、エルサレム神殿の財宝や貴族たち、国内の富裕な市民、兵士7000人、職人1万人ともどもバビロンへ連れ去られます。これが第一次バビロン捕囚です。

ネブカドネザルはエホヤキンの叔父マッタニヤ(ヤハウェの賜物)を王位につけ、ゼデキヤ(ヤハウェは正義)と改名させました。ゼデキヤはバビロニアに服属しましたが、前589年にエジプトがカナアンへ侵攻し、テュロスとユダでは反バビロニア派が政権を掌握し挙兵します。エレミヤは投獄され、バビロニアは三度兵を発してエルサレムを攻め囲みました。

前586年、エルサレムは陥落します。ゼデキヤは東の荒野へ逃げようとして捕らえられ、目の前で王子らを殺され、目玉をえぐり取られ、足枷をかけられてバビロンへ連行されました。エルサレムの城壁は破壊され、市街と神殿と宮殿は略奪された末に焼き払われ、僅かな貧民を残して住民の多くが連れ去られます。これが第二次バビロン捕囚です。

ユダ王国は取り潰されて属州とされ、親バビロニア派のゲダリヤが総督に任命され、ミヅパを州都としました。エレミヤは解放されましたがバビロニアには行かず、ゲダリヤの庇護を受け、残ったユダヤ人(ユダ王国の遺民)に「これはヤハウェの罰だ!偶像崇拝を行い、国内の貧困層を搾取したことに対する神の怒りだ!悔い改めてヤハウェに帰依せよ!」と喧伝します。

通常、ある国が負けて滅んだのは、その国の神が他国の神に負けたせいだと信じられていました。しかしヤハウェは偶像崇拝を否定し、他の神の存在すら認めない唯一絶対の神で全知全能の創造主ですから、そのような論理には従いません。預言者は「これはヤハウェが他国の民を道具として用い、罪深いイスラエル人を懲らしめるためにわざとしたことだ」と説いたのです。これならヤハウェや聖職者のメンツも保たれますし、どんな苦難が訪れようとも「お前らの信仰心が足りなかったからだ!」と言い張って論破できます。まさに無敵です。北王国滅亡もヨシヤが死んだのもこの論理で合理化できますね。

しかしユダヤ人は納得せず、ついにゲダリヤを殺して反乱を起こします。当然鎮圧されますが、この時ユダヤ人の多くはエジプトへ亡命し、エレミヤもエジプトへ「無理やり連れ去られて」余生を送ったといいます。これ以来、エジプトとバビロニアには在外ユダヤ人の大きなコミュニティが形成され、その後のユダヤ文化に大きな影響を与えることになります。

その後ネブカドネザルはテュロスを13年もの長期間に渡り包囲しましたが、海の中に突き出したテュロス市は海上から物資を運び込めたため、海軍を持たないバビロニア軍には陥落させられませんでした。前573年、テュロスはようやくバビロニアと講和を結び、ネブカドネザルはエジプトへ進軍しました。時のファラオはアプリエス(ホフラ)から王位を簒奪したアマシス(イアフメス)でしたが、バビロニアと関係を改善して兵をひかせ、ギリシアやフェニキアなど地中海諸国と盛んに交流して国を栄えさせました。

帰郷幻想

さて、バビロンへ連行された捕囚の民はどうしたでしょうか。ゼデキヤは悲惨な境遇のうちに死んだようですが、エホヤキンはネブカドネザルの子エビルメロダク(アメル・マルドゥク、在位:前562-前560)の時に牢獄から解放され、故国に戻らず年金を貰って暮らしました。その他の王族や貴族もそれなりの待遇を受け、労働者は首都や各地で土木建設事業に従事しました。

バビロニアにとっても人は資源ですから、反乱さえしなければ敗戦国の亡国の民といえど酷使はしません。『ダニエル書』では「ネブカドネザルはユダヤ人に自分の像を崇拝させ、逆らえば殺した」とか書かれていますが、あれは遥か後世に書かれた幻想的な物語に過ぎず、史実ではありません。しかしヤハウェ崇拝者や愛国者にとって、異民族の虜囚となり媚びへつらって暮らさねばならない状況が続くのは堪えたことでしょう。

第一次捕囚で連行された預言者エゼキエルは、神や天使、乾ききった骨から復活する人々、そして新たなエルサレムを幻視しました。

数十年が経つうち、多くの民はユダ王国の再建を諦めて現地住民と通婚し、ユダヤ人というアイデンティティを捨てていきました。しかしヤハウェの祭司や預言者らは、来たるべきバビロンの崩壊=神による救済を信じて教団を作り、偶像を崇めず、律法を厳しく守って暮らします。また律法の書や預言者の書、ユダ王国やイスラエル王国の歴史書が編纂され、ユダヤ民族を選民とするヤハウェ一神教=ユダヤ教に都合のいいよう書き換えられます。

ヤハウェが天地万物の創造主であり、全人類の上に君臨し、その運命を司っているのなら、それを説いた神話が必要です。『創世記』冒頭の神話群は、そのような意図で置かれました。フェニキアやバビロン、エジプトなどの神話を借りてきて神々(エロヒム)を唯一神に置き換え、あるいは神に仕える天使や魔神、悪霊とします。天地創造エデンの園ノアの洪水、バベルの塔も、みなバビロンの神話から借用されたものです。

バベルの塔とは、まさにバビロニアの聖塔(ジッグラト)やネブカドネザルらが築いた空中庭園を神話化したものです。「地上の全ての民がそこに集まり、大帝国を築いたが、神の怒りに触れて崩壊した」というのは、アッシリアやバビロニアをイメージしたものです。バビロンとは「神の門(バーブ・イル)」を意味しますが、聖書では「混乱(バラル)」と結びつけて貶め、「全人類がそこから出ていった」とします。ユダヤ民族の太祖アブラハムも「カルデア」から出ていき、約束の地カナアンを目指すのです。

預言者や祭司らは、このようにファンタジックな歴史書や預言(予言)を作り上げ、亡国の民を励ましてナショナリズムを煽り立てました。日本の古事記や日本書紀は唐に対抗して中央集権の独立国家を造るために編纂されましたが、ユダヤ教とその聖典(聖書)の成立事情はさらに切実です。エジプトや各地の離散ユダヤ人コミュニティでも民族アイデンティティを維持するため、こうした民族神話が語り継がれ、文字化していったことでしょう。

波斯救世

とはいえ、このまま数百年も捕囚が続けば、ユダヤ人は王国再建の希望を失い、民族的アイデンティティを喪失して消滅していたことでしょう。しかし幸いにも、新バビロニア帝国の命運は長続きしませんでした。

43年も在位した大王ネブカドネザル2世の後、子のアメル・マルドゥクは在位2年で暗殺され、父の娘婿ネルガル・シャレゼルに王位を簒奪されます。彼も4年しか在位せずに死に、子のラバシ・マルドゥクが幼くして即位したものの、在位9ヶ月で暗殺されます。前556年に即位したナボニドゥスはそれ以前の王家に属さず、アッシリアの都市ハッラーンの出身でした。

彼は故郷の守護神である月の神シンを崇め、各地の神殿を再建するなど信心深い王でしたが、バビロンの守護神マルドゥクの神官たちからは快く思われませんでした。そのためか、彼は前553年にシリアへ遠征すると、アラビアのオアシス都市タイマに移住し、10年もの間戻りませんでした。彼は息子ベルシャザルを摂政として本国に残したものの、譲位してはいません。

広大な帝国を治める都合上、東西に統治者を分けたのかも知れませんが、前543年にナボニドゥスはバビロンへ戻り、ベルシャザルを解任しています。そして彼の時代にバビロニアは滅亡するのです。

アッシリア帝国が崩壊した後、オリエント(西アジア)には4つの大国が割拠しました。エジプト、リュディア(小アジア)、バビロニア、そしてイラン高原のメディア王国です。支配層は印欧語族イラン諸語を話し、北方のスキタイとも関係が深く、騎馬兵力を率いてアッシリアを滅ぼしました。その版図はイラン高原北西部を中心としてアルメニア高原に及び、リュディアと境を接しており、前585年にはハリュス川を国境線と定めています。

前559年、イラン高原南西部のアンシャン(パルス、ペルシア)でキュロス2世が即位します。当時のペルシアは現ファールス州を統治するだけの小国であり、メディア王国に服属していました。前552年、キュロスは宗主国メディアに反旗を翻し、前550年に首都エクバタナを攻略して併合します。さらに前547年にはリュディアを、前540年にはスサのエラム王国を、前539年にはバビロニアを滅ぼし、バビロンに入城して「諸王の王(皇帝)」を名乗ります。ここに巨大なペルシア帝国が姿を現したのです。

キュロスは征服や統治を容易にするためプロパガンダを活用し、寛大で慈悲深い王というイメージを打ち出しました。征服された諸国の王は殺されず、バビロニアにより強制移住させられた諸民族は故郷へ帰ってよいと勅命を下しました。ユダヤ人が待ち望んでいた祖国への帰還が半世紀ぶりに実現したのです。ユダヤ人は狂喜乱舞し、彼を「神(ヤハウェ)の羊飼い」「油注がれし者(メシア、受膏者)」と褒め讃えました。

またクロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、エルサレムについては、『ふたたび建てられる』と言い、神殿については、『あなたの基がすえられる』と言う(イザヤ書44:28)
わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる、「わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし、青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。わがしもべヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。…わたしは義をもってクロスを起した。わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。彼はわが町を建て、わが捕囚を価のためでなく、また報いのためでもなく解き放つ」と万軍の主は言われる。(イザヤ書45章

異国人嫌いで偏狭で排他的なユダヤ人とヤハウェにしては、やたら手放しで激賞しています。キュロスは当然ユダヤ人やユダヤ教徒ではなく、ゾロアスター教だかのペルシア人の宗教を信仰しているはずですが、ヤハウェは「お前は知るまいが、実はわたしのおかげだ!」とドヤ顔しています。宗教的には寛容なキュロスですから、「そうでもあろう」ぐらいは言ったでしょう。

しかし、バビロン捕囚から既に半世紀以上が過ぎており、捕囚第一世代の多くは死んだか老人です。第二世代、第三世代はバビロニアで生まれ育ち、祖国のことも知りませんし、家族も生活基盤もバビロニアにあります。いかに祭司や預言者が煽り立てたところで、万歳三唱で喜び勇んでユダヤに戻るというわけにはいきません。結局戻ったのは祭司や預言者、および彼らに従う一部の人々で、大部分のユダヤ人はバビロニアに残ったようです。

こうして、バビロニアからユダヤ人の帰還団が祖国へ向かいました。独立国ではなくペルシア帝国内の自治領としてですが、果たして祖国復興を成し遂げることができるでしょうか。

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【続く】

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