【AZアーカイブ】使い魔くん千年王国外典・タバサ書 第五章 タバサとニート族(後編)
草木も眠る深夜、ガリア王国の首都たる大都市リュティスも、盛り場以外は闇に包まれる。その闇の中を鬼火で照らし、誇り高きニート・オリヴァンを連れて、墓場鬼太郎はサン・フォーリアン寺院へ向かう。そこで今夜、怪奇なる夜宴が開かれるというのだ……。
使い魔くん千年王国・外典 タバサ書
第五章 タバサとニート族(後編)
さて一方、タバサは結局オリヴァンを見失い、ド・ロナル伯爵家に戻って来ていた。伯爵夫妻は留守で、執事に状況を報告する。キタローが「夜道は危ないからぼくに任せてください」というものだから、つい委任してしまったが、大丈夫だろうか。それにこれでは、彼の主人イザベラにネチネチ文句を言われそうでもある。ともあれ食卓についたタバサは、執事から晩餐を振舞われる。有力貴族だけあって、なかなか豪勢だ。
「……いやあ、しかしミス・タバサも大変なお役目でございますなあ。オリヴァンさまは、まったくもって当家の恥さらしです! 使用人からも蔑まれております! 学院に通うのがご苦痛ならば、家庭教師を雇ってしかるべき貴族としての教養を身につけさせるのが、本道なのですが……。お部屋はいつもぐちゃぐちゃで、家宝の『不可視のマント』を持ち出されて、毎日毎晩遊びまわってばかり! いつまでもこんな調子では、伝統ある当家も当代限りで絶えてしまいますな! ハハハ」
執事は主人の留守をいいことに、正論を言いたい放題だ。笑顔は引きつり額に青筋を浮かべ、乾いた笑いを立てる。ニートといいディレッタントというが、要するにただの怠け者の無駄飯喰らいではないか。ただでさえ忙しい北花壇騎士の手を煩わせるな、とタバサは無言で怒る。まあこの頃はどこの貴族も箍が緩んできて、臣下や領民をちっとも労わらず遊び暮らしている連中ばかりだから、オリヴァンばかりをとやかく言えないが。大体、無能王やイザベラ姫こそ、ヒキコモリのニートそのものではないのか! まったく、誰が政治しとるのか。―――しかしこの家はいいものを食べているなあ。
「……粗末な食卓で申し訳ございませんでした。今ご入浴の準備もさせております。さあイモット、ひとまずミス・タバサを寝室へご案内してさしあげなさい」
「はい、承知いたしました。ではミス・タバサ、こちらへどうぞ」
イモットという赤い髪のメイドに案内され、タバサは来客用の寝室へ向かう。仕方がない、今夜はゆっくり休もう。旅行中の伯爵夫妻が帰ってこないうちに、オリヴァンをなんとか更生させねば。だがあの様子では、死んでも『透明な存在』としてニート生活を続けそうだ。いっそ、それが彼の幸福なのかもしれない。
「イモット。あなたはメイドとして働いていて、幸福?」
「ええ、仕事はたくさんあって大変ですけれど、有力な貴族のメイドになることは平民にとっても名誉なことですわ。私の姉のアネットなんて、イザベラ王女殿下に仕えているんですよ! お給金も多いし、幸福といえばそうでしょうね」
なんと、イザベラのメイドとは。私はいくら待遇がよかろうと、彼女のメイドにはなりたくない。
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その頃、鬼太郎とオリヴァンは、真夜中の暗い路地裏をとぼとぼ歩いていた。
「……おい、ばかに歩かせるじゃないか。僕も時折あの寺院でゴロゴロしているが、さして遠かぁない距離のはずだぜ」
「ヒッヒヒヒヒ、大丈夫、道に迷っているわけじゃありませんよぉ。なにせ少々騒々しくて危ない夜宴ですし、官憲に見つからないよう周囲に結界を張ってあるんです。この招待券を持っていれば、迷わずにたどり着けますからね。ご安心を」
オリヴァンは少々焦るが、いまさら引き返しては沽券に関わる。それに帰り道も分からないし。
「そ、そいつはシゲキ的だな! なにかい、イザベラ殿下もおいでなら、女の子も?」
「ええそりゃあもう、セクシーな美女がいっぱいですよ! ウヒヒヒヒヒ」
「ウーッヒヒヒヒヒヒ、そりゃーいいや!」
「あ、参加者の列ですよ」
と、鬼太郎が指差す先を見れば、ナニモノかが夜道をぞろぞろと列をなして歩いているではないか……。
「あっ」
いくつもの鬼火が照らす中を歩いている連中は、どれもこれもグロテスクな化け物だ。驚愕した人間の顔が描かれたシャツを着た、二足歩行する黄色い大蛙。両手を前に突き出し、顔に「敗訴」と書かれた札を貼り付けたキョンシー。逆立ちした緑色の下半身、二つの目玉を長い両手で掲げた異様な顔、頭の皿にかっぱ巻きを載せた河童。変な帽子を被った石地蔵、腐った死体や骸骨や三つ目の鬼ども。まさしく百鬼夜行だ!
思わず「きゃっ」とオリヴァンは驚きの声を上げ、鳥肌を立てる。しかし誇り高いニート族が、これしきで怯んでいられようか。
「う、うほん、僕は別に驚いたわけではないぜ。見事な仮装にカンゲキしたんだ」
「分かっていますよ、キキキキキ」
しばらく歩くと、件の荒れ寺サン・フォーリアン寺院が見えてきた。そこの境内も化け物だらけだ。目が縦に並んだボディコンの蛇女、赤い顔の奇怪な修験者、後頭部が異常に長い蛸顔男、雨傘を差した赤黒い肉塊。のっぺらぼう、ぬっぺほふ、首だけフランケンにろくろ首、ベランダにかけた布団を乱打する鬼女。なにやらウネウネと蠢く亡霊のようなものも無数にいた。そいつらはおどろおどろしい音楽に合わせ、激しく踊り狂っている!
驚愕し恐怖したオリヴァンはつるっと足を滑らし、前のめりに転んだ。
「大丈夫ですか」
「ぼ、僕は別にびっくりしたわけではないぜ。ちょっとシゲキを味わってみたくってだね」
「ええ、そうでしょうよ。とても見事な仮装ですからね、泥を顔に塗るのもいいでしょう」
「ワッハッハハハハ!! そ、そんなこと、わ、分かっているよ。常識じゃないか。これはあれだ、仮装舞踏会だろ? それならそうと始めから……ヒック、げっほん」
ふーっ、とオリヴァンは深呼吸して、乱れた息を整える。どうにも生きた心地がしない。
「こ、こりゃあ舞踏会というか、サバトとか黒ミサとかいうやつかな……」
夜宴では多くの屋台やビュッフェのテーブルが並び、ゲテモノ料理が振舞われている。とれたての蛙の目玉や猫の目玉、ドブネズミや人魂のてんぷら、鷲っ鼻の生焼けに犬の舌の刺身。蝙蝠の毛や胎児のミイラ、ガマの胃袋、カマキリの煮つけ。とうてい人間の食べるものではない。
「さ、どうぞ。この毛虫おいしいですよ」
「この芋虫の方が、味がいいよ。オケラと蛆虫を漬けた『うわばみ酒』によくあうんだ」
周りの化け物どもはオリヴァンに食事を勧めるが、彼はがたがたと震えて動けず、蒼白な顔には脂汗がにじんでいる。おお、なんという総身の毛が逆立つようなホラーとスリル!!
「おい! なにをぐずぐずしてるんだ!」
震えるオリヴァンの背中から、大きな声がかけられる。振り返ると鬼のような大きな顔!
「俺ァさっきからお前の肩が邪魔になって、おいしいディナーがつまめないんだ! ボヤボヤしてると、とって食べるぞ!」
ヒイッと縮み上がり、オリヴァンは彼に順番を譲る。ゲテモノは食べたくないし、とって食われてはたまらない。
「おお、ずいぶん迫力のある仮装パーティーだな」
思わず呟くと、それを聞きつけた化け物どもがわらわらと寄り集まり、取り囲んだ。
「仮装? 仮装とはなんだ、失礼な」「本装だぜ」「おめえ、ずいぶん人間に化けるのがうめえじゃねえか。顔色は悪いが」「ちょくちょく人間に混じっているお化けなんだろう。このところそういうのが増えたからな」「だが、ここじゃあ化けの皮を剥いで、本性をあらわさなきゃあいけないんだぜ!」「どうれ、俺たちがよりお化けらしくメイキャップしてやらあ!」「キャーッホホホホ」
こここ、こいつらは、正真正銘の化け物だ!! オリヴァンはもはや涙目で、吐きそうだ。
「俺は角を二本やろう」「鳥みたいなクチバシをつけてみるか」「髪は真っ赤なのがトレンドだぜ」「私は爛々と輝く目玉をあげるわ」「ちとデブだから、カニみたいに平べったくしてやろうか」「いやいや、旗竿みたいにスリムなのがいいぜ」
化け物どもはよってたかってオリヴァンの姿を改造し、とうとう異様な怪物が一体出来上がってしまった。
「これでいいわ。私と一緒にステップを踏まない?」
「俺と踊るか? マンボかいワルツかい、早くしてちょうだい」
うわーーっとオリヴァンは叫ぶ。もうこうなればヤケになって、化け物どもに同化するしか生きる道はないのか?
「き、キタローくん! 助けてくれーーっ!!」
「ははははは、いい恰好になりましたねえ。ほら、そろそろメインイベントが始まりますよ!」
そう言われて寺院の中を見れば、激しくドラムが叩かれる中、祭壇の上で半裸の女が取り憑かれたように踊っている。手にはナイフと黒い鶏の生首を持ち、頭には燃える松明を立てた黒山羊の仮面を被っていた。まさに魔女だ。
だが仮面から覗く髪の毛は青く、ガリア王家につながる高貴な女性のようだ。おそらく、あれがイザベラ姫殿下だろう。彼女の裸踊りが見られるとは思わなかったが、喜んでいられる状況ではない!
魔女は狂乱の踊りを捧げ、始祖像を踏みつけながら恍惚のうちに叫ぶ!
「エウオエ!! 来たれ我が父なる神、パンの大神、大いなる悪魔バフォメットよ!!」
その声とともに境内の地面が割れ、黒山羊の頭部と真っ黒い翼を備えた巨大な悪魔が姿を現す! 魔女の総統にして黒ミサを司る大悪魔、プート・サタナキアやレオナルドの異称を持つ両性具有の魔神、バフォメットだ!
「おお、我が神! そしてルキフェル、ベルゼブブ、アスタロト、アスモデウスよ! 地獄の王者よ、我が身を汝らに捧げん! 我らに力と富を授け、我らの敵を呪い、我らの欲望を満たしたまえ!」
魔王の出現によって宴は最高潮に達し、化け物どもの哄笑が地獄の音楽とともに響き渡った! バフォメットは激しく嘲笑い、寺院と同じぐらい巨大に変身して、大地を踏み鳴らしつつ踊り出す。
あまりのショックに、哀れなオリヴァンはキャーーッと一声叫ぶや、どたっと倒れて気絶してしまった……。
これは世々荒れすたれて、とこしえまでもそこを通る者はない。鷹とヤマアラシとがそこを棲家とし、フクロウとカラスがそこに棲む。主なる神はその上に荒廃を来たらせる測り縄を張り、尊貴な者の上に混乱を起こす下げ振りを下げられる。人々はこれを名づけて「国なき所」といい、その君たちは皆失せて無くなる。その砦の上には茨が生え、その城にはイラクサとアザミとが生え、山犬の棲家、駝鳥のおる所となる。野の獣はハイエナと出会い、山羊の魔神はその友を呼び、夜の魔女もそこに降りてきて、休み所を得る。
旧約聖書『イザヤ書』第三十四章より
翌朝。ふっと気がつくと、オリヴァンは見知らぬ草原にいた。あたりには誰もいないし、寺院もない。
「!? ……ここはどこだい。おおいキタローくん、みんなどこへ行ったんだ?」
返事はない。空はまだ薄暗く、黒い雲が覆っている。遠雷も聞こえるし、雨が降りそうだ。
「……酔っ払って、夢を見ていたのかな。ここはどこか、リュティスの郊外だろうな。お化け? ハハハハ、第一そんなもの、いるはずがない!」
だが、すっと顔を触ると、クチバシがついたままだ。頭には真っ赤な髪の毛と二本の角が生え、目玉は倍ぐらい大きくなっている!
「あっ!? こ、こりゃあ、化け物どもにくっつけられたメイキャップじゃないか!? ……くっ、どうしたことだ、取れないぞっ!! とすると……あの出来事は本当だったのか……」
なんということであろう。有閑貴族オリヴァン・ド・ロナルの存在は消え去り、本当の化け物になってしまったのだ。これでは帰ろうにも帰れない。ニート族にはもともと学校も試験もなんにもないが、人間でなくなるとは思わなかった。ぶるぶるぶるっとオリヴァンは震える。
「……僕ァ、世の中が信じられなくなってきた。これから先、どうすりゃあいいんだろう……」
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その日の昼、オリヴァン・ド・ロナルはあっさり自宅に帰ってきた。そしてタバサに謝罪して部屋を片付け、「明日から学院に復学する」と言い出したのだった。なんだか知らないが、深く自省したようだ。目の輝きが違っていて、まるで生まれ変わったかのような顔つきをしている。
翌朝、オリヴァンが自ら進んで学院に登校したので、執事はタバサに深く感謝し、帰って来た主人夫妻も喜んだ。かくしてタバサはプチ・トロワのイザベラに報告を済ませると、トリステイン魔法学院へ戻ったのであった。
「きゅいきゅい、ねえ姉さま、今回はどんな活躍をしたの? 教えてほしいのね」
「私は大したことはしていない。きっと、キタローがうまくやってくれた」
彼はすでにプチ・トロワへ戻っていた。イザベラからのお咎めもないし、まあこれでよかろう。食事も美味しかったし。しかし、たった一晩であんなに『人が変わって』しまうとは、どんな魔法を用いたのだろうか?
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「おおおおぉぉぉーーー……い、誰かぁぁあああ、助けてくれえぇーーー……っ」
その頃、化け物となったオリヴァンは、どこまで歩いても果てしない荒野を、ひたすらさまよっていた。確かにここで何をしようが、誰も文句をいうやつも、からかって苛めるやつもいない。誰の目にも見えない。完全なる自由だ。だが、誰もいないし何もない。食べ物も飲み物も、家も書物もない。
行けども行けども静かな、終わりない平面を、オリヴァンは『虚無』という恐怖に駆られてひた走りに走った。空には遠雷が、この世の終わりを告げるかのように響き渡っていた。今まで味わったことのない寂しさと悲しみが、無限の地平線の間から感ぜられた。彼はその寂しさに耐えかねて、何者かに追われているかのように慌てて、夢中に走り続けた。だがいつまでもいつまでも、この荒涼たる平面からのがれる事はできなかった……。
「こ、ここは地獄だ! 僕はいつの間にか、あの世に迷い込んでしまったんだ!」
そう、地上に帰り学院に通っているのは、別人の霊魂に入り込まれた、路地裏に残されていたオリヴァンの肉体だ。本当にオリヴァンは、『人が変わって』しまったのだ。ここにいるのはただの亡霊、『透明な存在』、化け物に過ぎない。
オリヴァンは声も枯れよと必死に叫んでみたが、その言葉はむなしく闇にこだまするだけであった……。
心せよ。亡霊を装いて戯れなば、汝亡霊となるべし。
―――カバラ戒律より