【AZアーカイブ】新約・使い魔くん千年王国 第十六章 降臨祭の陰謀
魔女を生かしておいてはならない。
旧約聖書『出エジプト記』第二十二章より
時は深夜。ここはゲルマニアの国境地帯、くろぐろとしたアルデラの大森林の奥にある、人も通わぬ岩山。そこの洞窟に、一群の『大魔女』たちが集まっていた……。
魔女は人類が生まれてから、この世が常に不幸と狂乱の中にあることを願う邪悪な種族である。普通、魔女といえば悪魔のしもべだが、彼女たち大魔女は悪魔の親戚筋として独立しており、場合によって協力も敵対もする。その首領はディアナ、キュベレ、ヘカテー、リリトといった、古き闇の女神たちなのだ。
鉤鼻で顎の長い、絵に描いたような魔女。木に彫り付けた仮面のような顔をした老婆。牙を剥きだした妖婆(ハッグ)。それに黒髪で豊満な美女など、醜いものも美しいものも、みなここに集まっている。今、彼女たちはテレビ(!)を用いてアルビオンの戦乱を見物し、哄笑しているのだった……。
「はははは……サウスゴータの戦いは、案外簡単にケリがついたわね」
「『悪魔くん』の軍団もなかなかやるねえ。おもしれえことになったじゃないの!」
「これを機会に、世の中をもっとムチャクチャにしてやろうじゃない!」
いひひひひ、と邪悪な笑い声が洞窟に木霊する。しかし膝に使い魔の黒猫を乗せた美女が、ふと呟く。
「……でも、笑ってばかりはおれないわ。このままだと『悪魔くん』の考えている、地上天国ができてしまうわ」
「そうね。なんとか『悪魔くん』を抹殺し、地上を混乱に陥れなくては……」
「そっちの方は今、ゲルマニアのちょび髭貴族が策を練っているようだよ。ほら、ブラウナウ伯爵のヒードラーとか、ヒットラーとか言う……」
「アドルフ坊やかい? あいつは私の子孫で、こないだ地球で自殺したと聞いていたけど、生きていたの?」
「おや、知らないのかい? 最近地球からやってきた、アドルフの息子のダニエルのこと! ロマリアの教皇に仕えて、地獄の悪魔どもを呼び寄せているんだって! 頑張っているようだね」
「そりゃ驚いた! この頃は家に籠ってばかりいたもんだから、世情に疎くなって困るよ。新聞をとらなきゃあねえ」
女ばかりの会議に、話題は尽きない。
「あたしの母方の叔父のベリアルも、こっちに遊びに来ているそうだよ!
まったく、顔ぐらい見せたってよさそうなものなのに」
「そう言えば、ガリアにはあたしらの尖兵として、弟子の低級魔女を送り込んであるんだが、あいつが『虚無の使い魔』の一人、『ミョズニトニルン』だったとはねえ!魔法もろくすっぽ使えない、できそこないだったくせに」
「いいじゃないか、成長を喜んでおあげ!」
それを聞いて、一人の魔女が提案する。
「ふん、そいつらに連絡して、そろそろガリアをトリステインと戦うようにさせたらどう?ついでに、ガリア内部の反政府勢力も煽ってやりましょう」
「それはおもしろいじゃないの! きっとまだまだ、この世界は混乱を続けるわ! けけけけけけけ」
「うふふふふふふふ」「きききききき」「あっはははははは……」
大魔女たちの夜宴は、夜が明けるまで続いた……。
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一年の初め、始祖ブリミル降臨祭まで、あと四日ほど。時刻は夕食後。祝祭の行われる十日間、仕事も戦争も休みになり、人々は酒場に繰り出して浮かれ騒ぐ。クリスマスと正月が一度に訪れるような、ブリミル教徒にとって最大の祭である。トリステイン・ゲルマニア連合軍と神聖アルビオン共和国の戦いも降臨祭明けまで休みとなり、将兵も休息していた。
松下たちは、豪勢な宿舎で英気を養いつつ、市内での布教と地盤固めに励んでいる。やせっぽちのルイズは寒がって、毛布を被ったまま暖炉の傍で蹲っていた。シエスタは珍しく外に出ている。
「はあー、寒い寒い。……白銀の降臨祭はロマンティックだけどさあ、傍にいるのが極悪ヅラのクソガキ様じゃあ、ちょっとねえ。どこかにいい男はいないのかしら」
「誰が極悪ヅラだ、体脂肪分の少ないやせっぽちの洗濯板め。いい男がほしけりゃ、外のベンチに座って道行くやつらを物色してろ。仕事の邪魔だ」
「人を街頭娼婦やツェルプストーみたいに! そこまで飢えてないし、外は寒いの!」
「そんな風に頭に血が上って暴れれば、暖かくなるだろ」
「かーっもう、この生意気なクソガキ! 口の減らないこと!」
二人は実に仲が悪い。両者ともひねくれ者の毒舌家なので、近親憎悪というやつだろう。それでも喧嘩別れしないのは、腐れ縁というか、一蓮托生な立場のせいだ。ルイズには強力な使い魔が必要で、松下には世界統一のための協力者(金づると人脈)が必要。しかも二人は『虚無の担い手』と『虚無の使い魔』で、小さいながら強力な武装宗教団体の大幹部と教祖だ。あのタルブの戦いの後から、ラ・ロシェールの収入の十分の一はルイズのものとなる仕組みになったし、まあ、共存共栄というやつである。なにしろ『東方の神童』マツシタとその主人ルイズは、いまやこの都市ではギーシュと並ぶ超・有名人なのだ。
「対アルビオン戦役は、しばらくはまた水面下での謀略戦となるだろうな。本国から慰問団も来たことだし、きみは自由に骨休めしておきたまえ」
「よりによって『魅惑の妖精亭』、もとい『地獄の妖怪亭』の連中まで来るとは、思わなかったわ。オカマバーじゃないの、あれは。あんなんで士気が上がるの? 確かに王家と関わりは深いし、酒や食事はアルビオンより上等だけど」
アルビオンと言えば、ワインがなくて酒は麦酒ばかり。麦酒を蒸留して強い酒を造っている地方もあるが、料理も不味いし女はキツいので有名だ。『妖怪亭』はともかく、慰問団が来て正解ではあろう。ちなみにキツい女なら、あのフーケもアルビオン出身なのだった。
「……でもさあ、ジェシカっていったっけ? あのスカロンの娘。家宝の半ズボンを盗んで失踪するなんて、よっぽどいやだったのね、あの店が」
「それこそ誰かいい男に唆されて、駆け落ちでもしたのかも知れんな。一応第二使徒シエスタの従妹だし、彼女に『占い杖』を持たせ、部下数名をつけて捜索させているが……。どうも市内では見つからないようだ。という事は、ひょっとしてアルビオン軍に拉致されたのか?」
「そうだとすると問題ね。でも、スカロンもオカマバーなんかやめて、女の子を雇う普通の店にすればいいのに。せめて美少年を集めて、ホストクラブにするとか……」
「まあ、ぼくは酒を飲まないから、カッフェ(コーヒーハウス)でも流行らせようか」
コーヒーハウスが英国にできるのは、ちょうど清教徒革命の頃だ。金融情報や政治談議が飛び交い、近代市民社会の世論形成に大きな影響を与えたとして名高い。イタリアやフランスにも、トルコからこの頃伝わったという。
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さて、別の宿舎にあるギーシュの部屋には、ジュリオ・チェザーレと名乗る美少年が訪ねてきていた。その後ろから現れるのは、なんと黒髪巨乳の美女、ジェシカ。女たらしのジュリオに口説き落とされ、手下になったらしい。二人はギーシュをひたすら褒めちぎり、持参した酒と肴を差し出す。
「い、いやあ、英雄だなんて、そんな本当のことを言われると、弱っちゃうなあ!」
「なんのなんの、この街を『悪魔』の支配から救ったんだ、これは英雄と呼ぶしかない。父君のグラモン元帥閣下も鼻を高くしておられるだろうぜ!」
それにしても、美形である。ジュリオのあまりの美貌に、ギーシュもジェシカも溜息をつく。金髪はギーシュのよりも繊細で、長い睫毛や細長い唇は、まるで女性のよう。長身ながらあくまでも線は細く、左眼は鳶色で右眼は碧眼という不吉な『月目』も、神秘的な雰囲気を醸し出す。性格は当然気障だが、気さくで陽気で話し好き。女には半端なくモテるし、男だってどうかするだろう。ギーシュは上機嫌で勧められるまま酒を飲み干し、二人の口車に乗せられていく。
「いやはや、実に愉快だ! 酒はうまいしねーちゃんは綺麗で、きみは真の友人だ!」
「ふふふ、これは『東方』のブータンという地方で造られる特殊な酒で、『希望酒』というらしい。どうだい、心の底からむくむくと希望が湧き起こってこないか?」
「うむ、そう言われると確かに、未来への希望に満ち溢れてくるようだ。ははは……」
「そうだ、人生を希望一色に塗りつぶすのが、この酒の特徴なんだ!」
うははははは、とギーシュが高らかに笑う。『希望酒』、いや『魔酒』が効いてきたようだ。
「素晴らしい! どうもあとをひくなあ、ジェシカちゃんもう一杯!ああ、きみたちの美しさといったら薔薇のようだ、咲き誇る大輪の薔薇だ!」
「あら、この美形が服を着て歩いていらっしゃるような方にくらべたら、私なんて全然! ほほほほほ」
「ううむ、しかし彼の美しさときたら、薔薇どころか伝説の妖精、いや夜空の双月よりも見事だね! このギーシュは誠の愛、真の美というものをわきまえているつもりだよ、ジュリオくん! 古のロマリアの大王もかくやというカリスマ性、威厳さえ感じさせる!」
ジュリオは照れたように頭を掻く。
「いやあ、光栄だよ。でも、僕は貴族でもメイジでもない、孤児院から教皇様に拾われた男なんだ。ジュリオ・チェザーレなんて大層な名前は、本来ただのあだ名だったのさ」
「そんな出自でも、きっと貴種の血をひいているんだろうねえ!でなけりゃ、ロマリアの貧民街には天使か妖精ばっかりいるのに違いないよ!」
酔っ払ったギーシュの頬が薔薇色に染まっている。ジュリオは内心、おえっと舌を出す。
(ちぇっ、女性を口説くのはお手の物だが、なんでこの僕が男を口説かにゃあならんのだ? こちとらそっちの趣味はないんだが、ダニエルさまもご冗談が過ぎるよ。まあ、伝説の『魅惑の妖精の半ズボン』を下に履いているお蔭で、仕事はやりやすいが……)
なんと、わざわざ魅了の効果のある半ズボンを履いているようである、この男。ジェシカを唆して盗み出させたのもジュリオらしいが、彼女に履かせるという発想はなかったのだろうか。勿論半ズボンとジェシカには、彼の主人ダニエルが占い杖の霊波を遮断する処置を施してあるが。
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ふと、暖炉の前で居眠りしていたルイズが目を覚ました。傍らの机を見ると、まだ松下がいる。
「マツシタ、マツシタ? ……うつ伏しているわね、眠っちゃったの?」
小さなメシアは、宿舎の机に座ったまま寝ていた。ルイズは静かに、弟にするように、被っていた毛布をかけてやる。どうやら時刻は真夜中のようだ、自分のベッドに入ろう。彼女はぐうっと背伸びをすると、欠伸をひとつした。
―――ルイズは時々、この自分の使い魔、得体の知れない革命児について考える。
こいつは確かに、悪魔的なまでの天才児、いや天災児だ。私の半分しか生きていないくせに、エルフのような強大な魔法を操り、マザリーニ枢機卿とも渡り合う政治力がある。一万年に一人かどうか知らないが、『東方の神童』という異名に嘘はなかろう。
千年王国とやらも、こいつの演説は壮大なばかりでちっとも理解できないが、そこでは万人が平等で、戦争も貧乏も退屈もなく、あるのは楽しみだけという地上天国だそうだ。王族も貴族も、平民も貧民も、男も女も平等な機会と権利を持つ世界なんて、あり得るものだろうか。しかもそれを悪魔の力で成し遂げるだなんて、夢物語じゃなかろうか。こいつなら無理矢理実現させかねないが。
あいつや、夢で時々出会う『蛙男』ケロヤマの話では――これはまだ、他の人に話してはいないが――彼らの故郷『地球』は、異常に文明が発達したせいで、かえって人心が堕落した異世界らしい。そこでは魔法使いは大概胡散臭い目で見られ、『科学』という魔法以上の超技術の集積が、文明の根幹を成すという。
車やフネが火と煙を噴いて物凄い速度で動き、それを持てるような金持ちが貧乏人を轢き殺す。天に届くような巨大な建造物の中に、無数の見も知らない人間が一緒に住み、誰かが孤独に死んでも気付かない。稲妻と同じ力を利用してたくさんの巨大な工場が動き、安い賃金で働く労働者を歯車が押しつぶす。一瞬にして莫大な情報が魔法の窓を通して飛び交い、金融相場を制御するボタンひとつのミスで何万エキューもの損失が生じる。地下資源である黒い油や貴金属などをめぐって、百何十もの大小の国々が争い、いつも戦争やテロが絶えない。富豪はより金持ちになって病的なまでに肥満し、貧しい国では毎日何万という人間が飢えと疫病で死ぬ。空を煤煙が包んで異常気象を引き起こし、限りある資源と動植物がどんどん減っていく。
何が何だか、さっぱり分からない。……ただ、こうも言っていた。恐ろしい毒の光を放つ『地獄の鉱物』が、強力なエネルギー源や爆弾・砲弾・銃弾に使われるようになり、いまや全世界の生命を何千回でも殺し尽くせるほどだとか。その鉱物の光を浴びたら土地も生き物も汚染され、子々孫々まで病気に苦しむそうだ。まるで悪魔の呪いではないか。
マツシタたちは40数年前、そんな腐敗して堕落した世界『地球』に大変革を起こし、一万年に一度地上に出現する『千年王国』を築くため、立ち上がったのだという。そして世界の超大国を敵に回す大戦争をやらかし、遂には暗殺されたのだとか。それを私が、ここハルケギニアに復活させてしまったというわけだ。
暗殺。まあ、こいつは既成の秩序にとって、確かに危険で恐ろしい破壊の神、いや悪魔だ。それぐらいされるだろう。一万年に一度の全世界的大革命。このハルケギニアを舞台に、それが今再び始まっているのだ。恐ろしい。でもなぜか、胸がワクワクする。本当は私だって、旧体制側の貴族のはずなのに。
……いつかまた、こいつはきっと殺されるだろう。もしそうなったら、私はどうする? 身を挺して庇うだろうか。この危険人物、人間が犬や猫のような下等な脳ミソの動物に見える、孤独で異常な天才児を。そして、まがりなりにも私を必要としてくれている人類の救世主、メシヤ様を。
「……まあ寝室まで動くのも面倒だし、私もここのソファーで寝ましょうか。おやすみ、マツシタ」
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深夜になり、ジェシカはソファーで横になる。客同士の密談が始まる時、酒場の女は何も聞かないようにするものだ。ジュリオはギーシュに『希望酒』をぐいぐい飲ませながら、本題に近付く。
「……しかし何だね、ミスタ・ギーシュ。あのマツシタという子供に、きみは頭が上がらんそうじゃないか? 今度の戦いでも、あいつが主に活躍したようだし」
「あ、ああ。彼は恐ろしいメイジ、達人(アデプト)だ。その上、伝説の虚無の使い魔『ヴィンダールヴ』なんだ。僕も何度もひどい目に遭わされているし、恐ろしくてもう逆らえないよ!」
そうなのだ。ギーシュが食堂で香水壜を落としてからというもの、ケティにフラれモンモランシーに殴られ、居合わせた松下には左耳を引きちぎられ、決闘を申し込めば蛙とネズミの大群に押し潰されて負け、あまつさえ脳内にモグラを入れられ、怪奇・モグラ男に変身してしまった。モンモランシーは蛙女になったし。どうにか人間に戻してはくれたものの、恐怖こそすれ、松下に感謝する筋合いはない。
ジュリオが、不思議でたまらないという顔をしてみせる。
「そいつはなんとも、不当な事じゃないかね。大体、アレの説いている『千年王国』とはなんだい。ここアルビオンのクロムウェルも似た様な事を説いて仲間を集めたらしいが、異端思想じゃないか。我らブリミル教徒にとって理想郷すなわち神の国とは、すでに教会の中に実現されているものであり、それを全世界に広めていく事こそが、天国を地上に降臨させるということなんだ」
「う、うむ、そうだね」
「えーっ、それがどうだい、あいつらのやっている事ときたら!悪魔と結託して国政を乱すわ、きみの手柄を横取りするわ。ひょっとしたら市議会庁舎にいたという悪魔も、実はマツシタの手先だったのかも知れないぜ! 彼らこそ大いなる異端だ、反ブリミルの悪魔だ!」
聖職者としてのジュリオの剣幕にギーシュはビビるが、つい茶々を入れる。
「うーむ、だがね、きみら聖職者ってのもなかなかガメツイところがあるからねえ」
「おや何かな、きみゃあ宗教裁判に、『異端審問』にかけられたいのかい?我々がどれだけの新教徒を火炙りにして、地獄の炎の中に叩き込み、正しい教えを人々の中に根付かせてきたか……」
「い、いや、もう宗教の話はよそうぜ。もっと景気のいい話をしようじゃないか」
ジュリオはにっこり笑い、座りなおす。
「じゃあ、本題に入ろう。とっても景気のいい話さ」
「うんうん、そうしようや」
「きみ、マツシタに心から忠誠を誓っているわけじゃあないんだろう?」
「も、もちろんさ! あんなクソガキに、誰が!」
「……そこでだ、クロムウェルとマツシタに対して、我らロマリアの宗教庁は異端容疑をかけている」
「ぎょぎょっ!! い、異端容疑を!?」
宗教庁からの異端容疑。それは異端宣告、つまりブリミル教に支配された社会での死刑宣告に等しい。百年前に宗教改革で新教『実践教義』が広められてから、幾度となく新旧両教はお互いを異端とし、血で血を洗う争いを続けてきた。今はやや鎮静化しているが、いつまた火種が爆発するか知れたものではない。その伝家の宝刀・異端容疑が、遂に松下とクロムウェルにかけられたのだ! ギーシュは慄然とし、酔いを醒ました。
「……とは言え、マツシタはタルブを所有する伯爵級の貴族で、1000人以上の軍団を有する実力者であり、ここサウスゴータ解放の立役者だ。おいそれと逮捕して火炙りにすることは難しい。そこで我々は密かに、トリステイン王国政府とも相談している。宰相のマザリーニは枢機卿、聖職者でもあるからね。それに、女王陛下もマツシタをそろそろ、扱いかねておられるようだ。あれはクロムウェルという毒を制するための猛毒であり、ひとりでに巨大化するゴーレムのようなものだからねえ」
ごくり、とギーシュは唾を飲み込む。
「そ、それで、どうなったんだね?」
「……結論は、暗殺だ。幸いここは戦地、敵軍に教祖様が討たれたとなれば異端どもも動揺しよう。もちろん、中核を失った異端集団は、アルビオンのクロムウェル共々、我々が殲滅する」
「しかし、ど、どうやって!? あいつは恐ろしく狡猾な、異能児なんだぜ」
「チャンスはいくらでもあるさ。僕らには強力な後ろ盾と、この銃がある。すごいだろ、ブラウナウ伯爵が『東方』の技術を用いて造った、最新型の連発式拳銃だ」
ジュリオは懐から、ずいっと拳銃を取り出してギーシュに渡す。
「これは、随分変わった形の銃だな。それに、こんな鉄は初めて見るよ」
「僕はメイジじゃないし、竜の扱いもそう上手じゃないが、近代戦にはこれが一番さ。他にもいろいろな兵器を造っている。ゲルマニアの武器工場群は大忙しなんだぜ」
「ほほう、すごいなあ」
「あいつを殺せば、その工場の所有権をひとつふたつ譲るそうだぜ。年収はそりゃあ凄いよ! それに、懸賞金として3万エキューが出るらしい」
「きゃっ!! さ、3万!? ほんとかい?」
「この僕を疑うってのかい? それに、ここまで聞いたからには、もうきみは僕らの仲間さ」
がたがたがたがた、とギーシュはようやく震えだした。自分の立場が理解できたようだ。
「つ、つまりきみは、この僕に、あいつを騙して暗殺に都合のいい状況を作れと、そう言っているわけだね?」
「まっ、そうなるね。安心したまえ、事が成就すれば陛下の覚えもめでたく、名声も赫々たるものとなるだろう。将来は元帥杖が貰えるほど出世できるぜ! 気を大きく持つんだよ英雄殿、ほら!」
「あ、ああ……え らい ことに なった な あ」
にたりとジュリオが笑う。もうこっちのものだ。
「それと勿論、あのルイズ・フランソワーズには知られずに葬らねばならない。彼女に何かあれば、あのラ・ヴァリエール公爵家が黙っていないだろうね。まあ、反乱したらしたで、お取り潰しかな」
「お、お取り潰しって、きみ」
「なあきみ、現代という時代は、大貴族の特権が徐々に制限されていき、国家が元首を頂点とする、絶対的な中央集権体制に移行する時期なんだよ。そして聖職者や貴族の中から取り立てられた、王直属の官僚と軍人が実権を握るのさ。この流れに乗り遅れるべきじゃないよ、ギーシュくん! きみは若く、未来は明るく、希望に満ち溢れている!」
「あ、ああ、うううん」
ジュリオはギーシュの肩を叩き、さらに唆す。
「何だ、まだビビってるのか? じゃあさ、明日でいいからブラウナウ伯爵にお会いして、直接詳しい話を聞かせてやるよ。な、いいだろう?」
さて、過越の祭が近付いた。祭司長たちや律法学者たちは民衆を恐れ、どうにかしてイエスを殺そうと計っていた。そのとき十二使徒の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや宮守頭たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。
イスカリオテのユダ:新約聖書『ルカによる福音書』第二十二章より