【AZアーカイブ】新約・使い魔くん千年王国 第十八章 反乱
始祖降臨祭の期間中の、ある真夜中。シェフィールドは地元出身のフーケ(マチルダ)と、ついでにベアード(ワルド)を連れて、雪深いサウスゴータの山中に入っていった。シティからは30リーグほど離れている。
土メイジのフーケにとって、自分の故郷の土地は庭にも等しい。暗闇の中でも大地の様子は手に取るように分かる。ベアードも『魔眼』を用いて足元を照らし、地下の水脈を見つけ出し、遡っていく。やがて、滾々と清水が湧き出ている、開けた岩場に出た。
「……ここが、サウスゴータで一番の水源地さ。市内の三分の一ほどの井戸は、ここから水を引いているはず。にしても、毒を流すといっても水量が膨大だから、相当薄まってしまうんじゃないかい?」
「毒じゃないわ。むしろクスリよ、クスリ。くっくくくく」
シェフィールドは、ポケットから指輪を一つ取り出した。
「それは、クロムウェルのしていた指輪じゃないの」
「いいえ、これは私のもの。盗んできたのはべリアルのじじいだけどね。もともとはトリステインのラグドリアン湖にあった、『水の精霊』の秘宝。その名も『アンドバリの指輪』よ。聞いたことはない?」
「宝石から放つ魔力で生物の心身を乗っ取り、意のままに操るという恐るべき指輪だな。透明な液状の体をもつ先住の存在、『水の精霊』の力を凝縮したものだとか」
「そう。心身の変性が『水』の系統の本質であるならば、これはいわば、水の秘薬の結晶。その力を解放すれば、何万という人間を一人で操ることも可能なのさ。あれが神聖皇帝なんて名乗っていられるのは、この指輪あってのことよ。もちろん、我がガリア王国が強力にサポートしたからでもあるけどね」
シェフィールドは二人に羊皮紙を手渡すと、水源に指輪をかざした。額のルーンが輝きを放つ。『虚無の使い魔』のひとつ、魔法具を自在に操る『ミョズニトニルン』の印だ。
「これから、この水源地に『アンドバリの指輪』の力を解放するわ。さあ二人とも、その紙に書いてある呪文を唱えて。《きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう》……」
あまり聞いたことのない呪文である。指輪の魔力を解放するための、先住の魔法のようだ。
「ねぇ、セリフのパート分けや振り付けまで指示してあるんだけど。何これ、劇の脚本?」
「ふん、『マクベス』か。まぁあの劇にも、いろいろ秘術が記されているらしいがな」
「ほら、早く呪文を唱えなよ! 魔女の先住魔法には、こういうのも必要なんだから!」
「三度鳴いたぞ、ブチ猫が」「三度と一度は、ハリネズミ」「『いまだ、いまだ』と化けもの鳥」「釜の周りを回ろうよ、腐った臓物放り込め! まずは冷たい石の下、三十一夜を眠りつつ、毒の汗かくヒキガエル。ぐらぐら煮えろ、釜の中」
「「「苦労も苦悩も火にくべろ、燃えろよ燃えろ、煮えたぎれ!!」」」「お次は蛇のブツ切りだ、ぐらぐら煮えろ、釜の中。カエルの指先、イモリの目、コウモリの羽根、犬のべろ、マムシの舌先、蛇の牙、フクロウの羽根、トカゲの手。苦労と苦悩のまじないに、地獄の雑炊煮えたぎれ!」
「「「苦労も苦悩も火にくべろ、燃えろよ燃えろ、煮えたぎれ!!」」」「狼の歯に龍の皮、鮫の胃袋煮えたぎれ。闇夜に抜いた毒ニンジン、ユダヤ人から腐れ肝、山羊の胆汁、月食の、夜に手折ったイチイの木。トルコ人から鷲っ鼻、タタール人から厚唇、売女がドブに生み落とし、すぐ首絞めた赤子の指。トロリトロリと煮えたぎれ! おまけに虎のはらわたを、入れて薬味をきかせよう」
「「「苦労も苦悩も火にくべろ、燃えろよ燃えろ、煮えたぎれ!!」」」
「ヒヒの血注ぎ冷ましたら、これでまじないおしまいだ」
シェイクスピア『マクベス』第四幕・第一場、三人の魔女
呪文の詠唱が終わるや、指輪の宝石はとろりと溶けて、水源に滴り落ちた。
「ははははは、さあこれで世の中、もっと面白くなるよ!」
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始祖降臨祭の最終日の朝。シティ・オブ・サウスゴータは一面の銀世界だ。
駐屯している連合軍の司令部は、市内最高級の宿屋の二階大ホールにあった。トリステインの軍首脳部は、明日以降の侵攻作戦について話し合いをしている。集まっているのはド・ポワチエ将軍、ウィンプフェン参謀総長、ラ・ラメー空軍司令官など。
「明日で休戦期間も終了、また戦争が始まりますな。補給物資の搬入は今夜までに全て終わります」
「間に合ったな、やれやれ。アルビオンの騙し討ちもなかったし、奴らも余裕はなかろう。一気にロンディニウムを包囲するか、外堀を埋めて孤立させ、内応を図るかというところだ」
ははは、と笑いが出る。休戦期間が長かったため、やや気分が弛緩しているのだ。
「ところで、ハルデンベルグ侯爵やゲルマニアの将軍たちは?」
「ロサイスや周辺都市に、抑えのため分散させた軍の一部に、不穏な動きがあるとかでな。調査中につき、軍議には遅れてくるそうだ。ふん、まあトリステイン軍だけでも進軍してしまうか」
「そういうわけにも行きませんなあ。彼らの新兵器は、この戦争になくてはならないものですし」
と、ドアがノックされる。
「誰だ、何用だ? 軍議中だぞ」
「王室よりお届け物です。今朝の便で届きました」
届いた荷物は、王室の紋章が彫られた豪華な木箱だ。デムリ財務卿からの手紙も付いている。読めば『先日、ド・ポワチエ将軍の元帥昇進が決定。この杖で残りの連勝街道を指揮されよ』とある。いそいそと箱を開けると、黒檀に金で王家の紋章が彫り込まれた見事な杖が入っていた。
「おお、これは元帥杖ではないか! 財務卿も粋な計らいをなさる!」
「おめでとうございます、元帥閣下!」
「いやっははは、これで気を引き締めろということだろう。ゲルマニア軍が戻り次第、首都に向けて……」
新元帥がいい気になっているところを、ドーーーーンという爆発音が遮る。
「むっ、何事だ?」
急いで窓の外を見ると、どうやら近くの宿舎で火薬の暴発があったらしい。
通りを沢山の兵士が駆け回っているが、消火しているのではなさそうだ。
「あの旗印は、西側に駐屯しているラ・シェーヌ連隊のものだぞ。どうしたのだ、武装して?」
「あっちには、ロッシャ連隊もうろついていますな。この長い休みで指揮系統を忘れておるのでは?」
「いや、なにやら市民たちも、勝手に銃や剣を持っていますが……」
一同が首を傾げるうちに、外の兵士たちは無表情のまま、銃口を上に向けた。
窓の傍にいた新元帥閣下は、元帥杖とともに一斉射撃を受け、蜂の巣になって倒れた。
「「「……は、反乱だーーっ!!」」」
将軍たちは一斉に叫ぶ。その直後、司令部の部屋に士官が飛び込んでくる。
「反乱です! 街の西区に駐屯していた連隊が、一斉に反乱を起こしました! 現在、街の各地で我が軍と交戦中! ここも危険です、退避してください!!」
「なんじゃとぉ!? アルビオンからカネでも貰ったのか?」
「げ、ゲルマニア軍はどうした!? まさか奴らがトリステインを裏切りおったのか!?」
「詳細は分かりません! 次から次へと反乱兵は増えていきます!」
「……ということは、どういうことかね」
「西区以外の兵士や市民も、次々と暴動を起こしているのです!
反撃しようにも、武器弾薬はあらかた向こうに奪われておりまして」
「では奴らの暴れるままにしておくのか」
「今のところ、それ以外どうすることもできません」
「じゃあ、この街を取られてしまうじゃないか! どうして何のために反乱したのかね?」
「それが全く分かりません! は、早くお逃げください!」
士官の報告は全く要領を得ない。反乱の理由が分からないなら、敵の魔法か何かかもしれない。トリステインの将軍や士官たちは、元帥が殉職したため、ぐるっと一人の男の方を振り向いた。
「「「ご、ご命令を! ウィンプフェン総司令官閣下!」」」
「え、わ、私が? ……た、退避だ! 総員退却せよ!!」
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連合軍の崩壊は早かった。
原因の全く分からない兵士たちの反乱、総司令官の殉職、総司令部のいち早い脱出による指揮系統の混乱。無表情に戦友へ銃口を向ける反乱兵の様子から、何らかの魔法によるものとは考えられるが、どうしようもない。なにしろシティ・オブ・サウスゴータの市民さえ、武器を持って一糸乱れぬ動きで襲い掛かってくるのだ。しかもゲルマニア軍は、いつの間にか綺麗に姿を消している。残っているのはトリステイン軍だけだった。
「畜生! ゲルマニア軍め、俺たちをアルビオンに売り渡したのか!? 司令官まで逃げやがって!」「う、撃てねえ! あいつらはこないだまで、一緒に飲み明かしていた連中じゃねえか!」「それどころか、市民のガキどもまで銃を持っているんだぞ! 撃ち殺すか、退却するか? 降伏しちまうか?」「おい、俺の兄弟が西側にいたんだ、撃たないでくれ!」「兵隊さん、わしの家族を知りませんか!? まさかあの反乱軍の中に?」「ええーい、どけ! こっちの命も危ないだろうが、まとわりつくな!」「おいっ、大砲の中に身を隠すやつがあるかっ」「ぎゃっ、火薬がしけっているぞ!」「うわぁあ、ものすごいことしはる」
混乱に次ぐ混乱。昼前には、市内の防衛線は崩壊し、いたるところで王軍は潰走を始めた。生き残ったウィンプフェンらは街の南東部の外れに臨時司令部を置き、事態の収拾に努めようとする。市民を含めた反乱兵は、トリステイン軍全体のおよそ三分の一から半分。残る正常な軍は三万にも満たない。偵察の竜騎士から『アルビオン軍主力の四万がこちらに進撃中』との急報が入り、さらなる混乱が広がる。
「こ、ここはもうダメだ! ひとまずロサイスまで退却しろ!!そこから伝令を出して、トリステイン政府に直接指示を仰ぐ!」
だが、ロサイスには敵艦隊が多数停泊しており、近付けば砲撃してくる。伝令さえも撃ち落される。今やアルビオンとゲルマニアが手を結んだ事は明らかだった。敵軍は総勢七万を超える勢いだ。トリステイン軍三万足らずは、いつの間にかアルビオン大陸の只中に、完全に孤立していた。臨時司令部には絶望感が漂い、正常な兵士たちも続々と投降を始める始末だった。
やがて総司令部は、敵軍の手薄なスカボロー港へ向かって逃げ出した。商用のフネを奪って国へ帰る気だ。それを追って、残った軍勢もぞろぞろと敗走する。
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一方、松下たちは一部市民や『妖怪亭』の一同と共に、ホウキに乗って市外へ脱出していた。周りでは騎士も歩兵も武器を打ち捨て右往左往している。
「ふーっ、マツシタ! これはいったい、どういうこと!?」
「アルビオンの魔法兵器による強制反乱だな。まさか、ここまでやるとは!
恐らく例の『アンドバリの指輪』を水源地で発動させ、市内の水を飲んだ人間を片っ端から操っているのだろう。こうなればもう、ぼくの手にも負えない。血路を開いてアルビオンから逃げるとしよう」
「そ、そんなあっさり! あんたなら何とかなると思ったのに」
ルイズは興奮するが、松下は至極冷静だ。
「ゲルマニアまで敵側に回ったんだぞ、そのうちガリア艦隊だって来るかもしれん。不吉な事を言うようだが、恐らくトリステイン本国も、今頃は両国から総攻撃を受けているだろう……」
「じょ、冗談じゃないわ! 何でゲルマニアまで!? クロムウェルを打倒して、共和制を封じ込め、アルビオンの王政復古を成し遂げるんじゃなかったの?」
「とにかく、生き残ることが先決だ。きみがよければアルビオン共和国に降伏しようか? そしてクロムウェル政府の内側から、真の『千年王国』の教えを説いて回ってもいいが」
「いやよ、降伏なんて絶対にいや! 命より富より『名誉』が大事よ、本当の、精神的な貴族は!」
貴族とは『敵に背を向けずに戦う者』だと、ルイズは家族から教育されたし、常々そう思ってきた。その貴族である上級将校たちが兵士や市民を置いていち早く脱出し、味方も次々と逃げ惑い、敵に降伏する。誇り高い貴族を必要以上に自認するルイズにとって、耐え難い屈辱的な事態であった。人間を超えた知能と視野を持ち、ある意味で柔軟な思考をする松下には、これも人間のひとつの姿でしかなかったが。
「融通の利かない奴だなぁ、相変わらず。我ら『千年王国』の教えは、そんなことにとらわれず、人間全ての平等と幸福の、あるべき道を説いているのだが……」
「そんなこととは何よ、この精神的奇形児! 天災児! あんたが降伏したけりゃ、勝手にしなさい! 私は死ぬまで戦うわ!」
金切り声を上げるルイズ。ふぅ、と松下は溜息をつく。
「こんなところでご主人様に死なれても、こっちが困る。きみは『虚無の担い手』だぞ?メシヤに匹敵する強い命運を持って生まれた、選ばれし人間なのだ。まだきみの顔に死相は出ていない、今は死ぬべき時ではないのだよ。降伏がいやならスカボローへ向かおう。トリステインもタルブも心配だ」
ルイズは少し落ち着いた。まぁ、むやみやたらと死にたくはない。
「……そうね、女王陛下だって本国で苦戦しておられるかも。国家存亡の危機を救わなきゃ! あ、そうよ、私の『虚無』の力でこの場を何とかできないかしら? ほら、タルブの時みたいに、あんたと協力して……!」
「そうそう都合よくいくもんかなあ。まあ、『祈祷書』を読んで、いい呪文を探しておいてくれ」
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さて、深夜を過ぎて鶏鳴の頃、全力で逃走していた総司令部は、どうにかスカボローへたどり着いた。そこへホウキに乗って、金髪の若者もやってくる。松下たちとは別行動をしているギーシュだった。顔は蒼褪め目は血走り、胸には先日貰った勲章を沢山くっつけている。
「おお、きみはギーシュ・ド・グラモンくん! 無事だったかね!」
「ええ、お蔭さまで! ご無事で何よりですウィンプフェン参謀総長、いや総司令官閣下!」
ギーシュはほっとした。スカボロー港のフネは残り少ないようだ、さっさと逃げて来てよかった。生存への切符は先着順だ。これでアルビオンから逃げられる、命が助かる。名誉も富も大事だが、それは命があってこそだ。『命を惜しむな、名を惜しめ』というグラモン家の家訓は、美酒に酔っ払ってどこかへ置き忘れてしまった。しかし、将校たちからは、ギーシュへの疑いの眼差しもあった。
「そうだ、きみは確かマツシタ伯爵と一緒にいたのでは? そのホウキは彼が作ったのだろう?」
「し、知りませんよ、ぼかぁ知りません、知りませんったら!」
「いや、反乱の首謀者として彼らが怪しいと言っているわけではないが、その可能性もあるな……」
「ふうむ、でギーシュくん、何かよい策はないかね? 少しでも敵の襲来を足止めせねば、我々の脱出も困難となる」
……いかん、怪しまれている。この場を何とか言い逃れなくては。ゲルマニア軍が裏切るとは予想外だったが、恐らく反乱兵と同じような、何かの魔法のせいだろう。ブラウナウ伯爵やジュリオくんは、きっと僕を見捨てたりしないはず。きっと。
そうだ、今こそ千載一遇のチャンスじゃないか。あの『悪魔くん』を死地へ向かわせ、暗殺させるのだ。さすれば僕には3万エキューというカネと名誉が転がり込み、栄光ある自由とゲルマニアの武器工場の経営権が舞い込んできて、モンモランシーを娶り美女を侍らせて、左ウチワで遊んで暮らせるんじゃないか。おお、チャンスは今しかない。
「そ、そうです! マツシタたち『千年王国』教団を、反乱兵やアルビオン軍とぶつけては!?」
ジュリオに飲まされた『魔酒』でアタマが少し変になっているギーシュは、苦し紛れに松下を裏切る言葉を口にした。これも、黒幕の一人ダニエル・ヒトラーの策略のうちだったのだが。
「おお、それだ! それがよろしい!」「あやつらは王軍でもないのに目立ちすぎますし、何だか熱狂的で気持ち悪い集団ですし」「毒を以って毒を制す、だ!」「悪魔には悪魔を、ということですな! 分かります!」
恐慌と混乱の極みにあった総司令部は、ギーシュの策に飛びついた。ギーシュは再び、心からほっとする。しかし……。
「で、勿論きみも戦ってくれるんだよね? 我らの英雄ギーシュくん。彼らに連絡もせねばならんし」
「………………………………え?」
今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう。
新約聖書『マタイによる福音書』第二十六章より