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【つの版】ユダヤの謎03・荒野放浪

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

主(YHVH)なる神の導きにより、ヘブル人(イスラエル人)はモーセに率いられてエジプトを脱出しました。彼らは奴隷から解放されて自由の身となったわけですが、約束の地カナアンまでは文字通りの荒野が横たわっています。彼らはこれを通り抜け、真の男になることができるでしょうか。

◆エクソダス◆

◆しようぜ◆

天与食糧

喜び勇んで出エジプトを果たしたイスラエル人でしたが、3日も荒野を歩くと弱音を吐き出します。ようやく泉を見つけましたが塩辛く(メラ)、民はさっそく不平不満をモーセにぶつけます。モーセは神の教えに従い、木の枝を泉に投げ込むと、塩気が抜けて飲水となりました。やがてエリムというオアシスに到着し、水を飲み、ナツメヤシの実を食べることができました。

2ヶ月後にはシンの荒野(シナイ半島)に来ましたが、民は「エジプトには肉もパンも飽きるほどあったのに、今は餓死寸前だ」とぶつくさ言い出します。神はこれを聞いて天から甘露を降らせ、それが地面で固まって甘い霜のようになりました。民は「なんだこりゃ(マナ)?」と言ったので、それはマナと呼ばれています。正体は不明ですが、樹液のたぐいともカイガラムシの出す甘露が固まったものとも言われています。

民はこれをこそぎ集めて食糧としましたが、保存がきかず翌日には腐ってしまい、安息日には降らないのでその前日に2倍降った(この時は翌日までもった)といいます。安息日の風習が始まったバビロン捕囚後の文でしょう。

また神はウズラの群れを降らせ、飽きるほど民に食べさせたといいますが、別の箇所では神を信じずぶつくさ言った罰として有毒のウズラを食らわせ、食った者はみな死んだとされます。モーセは岩を杖で撃って水を湧き出させたり、アマレク人と戦ったり、舅のエテロと再会して「お前一人で仕事を抱え込むな」と適切なアドバイスを受けたりしながら先へ進みました。

神山鳴動

出エジプトから三ヶ月後、ヘブル人たちはシナイ山(ホレブ山とも)にたどり着きました。ティムサ湖のほとりのイスマイリアから、この山とされるシナイ半島のジェベル・ムーサー(モーセの山)まで、スエズ湾沿いに南下すれば400kmほどです。大人数とはいえ1日4.5kmほどしか進まないというのは遅く、また当時のシナイ半島はエジプト領なので問題がありますが、神話なので気にすることはないのでしょうか。1日15km進んで90日だと1350kmとなり、イスマイリアからヒジャーズ地方に達しますが。

一行が山の麓に宿営すると、山の上から神の声がモーセに聞こえます。神は「お前たちがわたしの声に聞き従い、わたしとの契約を守るならば、お前たちはわたしの宝となり、祭司の国、聖なる民となるであろう」と告げ、モーセはこれを民の長老たちに伝えました。民が同意すると、神は民を精進潔斎させ、モーセだけを山の上に呼びます。そして「他の者は山に近づいてはならぬ」と告げ、山頂に黒雲を集め雷鳴を轟かせ、稲光を閃かせます。

まず神は、全ての律法の根幹をなす「十戒」を、山の上から民に対して直接告げ知らせます。民はその威圧感にGRS(ゴッド・リアリティ・ショック)を受け、恐れおののいてひれ伏し、モーセに「我らが直接神の言葉を聞くと死にそうです。あなたが神の言葉を伝えて下さい」と頼みました。そこでモーセは一人で山の上へ登り、神から直接様々な律法を授かります。

それは妙に事細かく民法や刑法を定めたもので、規律を持たない民に授けられた、共同体を維持管理するための法律にほかなりません。また異国の神々を拝まず、偶像を作らず、主(YHVH)なる神だけを崇めよと繰り返されます。そして「もし律法に従えば、お前たちは約束の地で平和かつ豊かに暮らすことができるが、逆らえば滅ぼすぞ」と脅しつけています。

また十二支族の長老70人も呼び寄せられ、十二の石柱に生贄の血を注いで神との契約としましたが、これはもともと部族同盟の契約だったのでしょう。雑多な諸部族が共同で外敵にあたる時、このように共通の神・共通の祖先を頂き、契約に逆らえば神罰が降るとする例は古今東西に存在します。

神はそれからも「わたしを祀る幕屋(移動式神殿)はこうしろ」云々と細々した掟を言い聞かせ、それらを「神の指で」刻みつけて文字とした、二枚の石板をモーセに授けます。これには裏表に文字がびっしり書き込まれており十戒だけが刻まれていたわけではありませんが、直後に破壊されました。

金牛礼拝

こうして40日40夜が過ぎましたが、民はモーセがなかなか戻ってこないので不安に思い、モーセの兄アロンに「神を造ってくれ」と頼みます。十戒で「偶像を造るな」と言われたばかりなのにもう忘れています。アロンは民に金の耳輪を集めさせ(エジプト人から奪ってきたとされます)、溶融して型に入れ、金の子牛の像を鋳造して拝ませました。

神はモーセにこれを告げ、「わたしは彼らを滅ぼし尽くし、お前(モーセ)から別に国民を創り出す」と怒りましたが、モーセに「そんなことをしたらあなたのメンツに関わりますよ」と宥められます。モーセが急いで山を降りると、民は金の子牛像を囲んで舞い踊っていたので、彼は怒りに任せて二枚の石板を地面に叩きつけ、破壊しました。そして金の子牛を焼いて粉微塵に砕き、水に撒いて民に飲ませ罰としました。それでも神の怒りはやまず、モーセは3000人の民を殺して償いとしたといいます。「殺すな」という十戒の掟は同胞に対してだけで、背教者や異民族には適用されません。

恐ろしいことですが、こうした「イスラエル人の背教と懲罰」は旧約聖書で何度も何度も繰り返されるテーマです。ただこの部分は、後世の偶像崇拝を戒めるため、神話的時間である荒野での事件としたもののようです。この時に定められた戒律は、神により直接の強烈な権威が与えられます。

「モーセ五書」ないし「律法(トーラー)」と呼ばれる創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記は後世に何度も編集の手が入っており、新旧の記事がないまぜになった複雑な継ぎ接ぎ構造になっています。聖書の他の巻もそんな感じで、長年に渡る膨大な研究が積み重ねられています。

せっかく十戒や律法を与えたのに民が速攻で破ったため、神は完全に拗ねてしまいました。「お前たちは約束の地へ行くがいい。でもわたしは途中でお前たちを怒りのあまり滅ぼしかねないから、ついていかない」とか言い出す始末です。しかしモーセが必死で神を説得したため、ようやく神は寛大な心を発揮して罪を赦し、改めてモーセに十戒だけを記した二枚の石板を与えたといいます。少年少女ならカワイイのですが、怪獣王より恐ろしい全知全能の創造主(おとな)が何をやってるのでしょうか。

なお主(YHVH)は設定上は全知全能で絶対正義で絶対善ですが、人間の自我・自由意志を尊重するという縛りプレイをしているため、ちょくちょくブチ切れて台パンしたり、神罰を下したりします。へたに逆らうと全能のパワーで処罰されるか、天使や暗殺者が飛んでくるので気をつけましょう。

契約之櫃

この後、一行は神を祀る幕屋を造り、移動する時は解体して持ち運び、宿営する時は陣営の中心に幕屋を設置することにしました。その寸法も事細かに記されていますが、後世のエルサレムの神殿を小型化したようなものです。幕屋の中には神の偶像はなく、ただ至聖所という空間が一番奥にあって布で間仕切りされ、そこに「契約の箱」が置かれました。

これは純金で覆われた木製の箱で、上蓋にケルビム(天使)像が2体向かい合って左右の端に据えられ、左右に担ぐための棒があります。中には十戒を刻んだ石板が納められ、のちアロンの杖やマナの入った壺も納められたといいます。移動する際には人がこれを持ち運び、宿営する際には幕屋に納めて祀ったといいます。神体ではありませんが極めて聖なる物で、迂闊に触れると神の祟りで即死すると畏れられました。日本の神輿や三種の神器の起源ではないか、とする説もありますが、類似の発想は世界中にある気がします。

荒野放浪

長々と律法が述べ伝えられた後、イスラエル人は約束の地カナアンを目指して出発します。途中で民が不平不満をつぶやいて処罰されたりしますが、モーセは南の荒野からカナアンへ斥候を派遣し、どんな土地でどんな住民がいるか調べさせました。斥候たちはカナアンの地をくまなく巡り歩き、巨大な葡萄の房など豊かな産物を持ち帰りましたが、「住民は多く豊かで、巨人のように背が高く、堅固な城壁を持つ都市に住んでいる」と報告しました。

これを聞いたイスラエル人はパニックを起こし、「エジプトへ帰ろう」と言い出します。神は愚かなモブ人類が自分を信じないのでブチ切れ、「もういいよ!お前らを皆殺しにして新たに従順な民を立てるからな!」と言い出します。びっくりしたモーセに宥められて思いとどまりましたが、エジプトに帰ろうと言い出した連中は全員疫病に罹って死滅(くたば)りました。

そして神は「エフライム族のヨシュアとユダ族のカレブは『神を信じろ』と民を説得したから許す。お前らは約束の地へ入れてやろう。でも今20歳以上の連中は全員アウトだ。お前らは40年間荒野を彷徨い、そこで死ぬ」と告げます。未成年や次世代の民は、ヨシュアやカレブと共に約束の地に行けるのですが、旧世代の民はモーセを含め全員不合格になりました。

民は絶望し、勝手に約束の地へ行こうとしたり、モーセとアロンに逆らったりしましたが、当然神の裁きで皆殺しにされます。それから40年があっという間に過ぎ、モーセの姉ミリアムは寿命が尽きて死にます。民はまだ研修が行き届かず、水がほしいとゴネたりしますが、神は疫病を送って処罰し、神の命令に従う者だけを生かしておきました。神は慈悲深い御方です。

南の砂漠地帯からカナアン(パレスチナ)を目指すのなら、死海の南西に交易路がついています。しかしそこにはエドム人が住んでいました。彼らはヤコブ(イスラエル)の兄エサウ(エドム)の子孫とされ、エジプトやアッシリアの記録にも jdwmj とか udumu として記されています。ヘブル人と同じくシャス(盗賊)の一派として恐れられ、沙漠の岩山を根城として交易路を支配する強力な部族集団で、王を頂いていました。

イスラエル人は彼らの土地を通ろうとしますが拒まれ、神の指示により彼らの地を避けて東へ向かい、ヨルダンのペトラ遺跡付近のホル山に辿り着きます。モーセの兄アロンはこの地で寿命が尽き、埋葬されました。現在もジェベル・ハールーン(アロンの山)と呼ばれています。

遠回りすることになったので民はぶつくさ言いますが、神は毒蛇を送って懲らしめます。この時モーセに青銅の蛇を作らせ、これを見た者は毒が消えるとしましたが、たぶん古代の蛇神崇拝の名残でしょう。

死海の東側には、モアブ人アンモン人がいます。アブラハムの甥ロトが娘たちとの近親相姦で儲けた子らの子孫とされ(イスラエル人のヘイトスピーチでしょうが)、彼らの神々であるバアル・ペオル(裂け目の主)やケモシ(太陽神)を祀っていました。モアブ王はイスラエル人が大勢なのを見て、戦って勝つのは難しいと考え、美女たちを送り込んで宴会を開き、偶像崇拝を行わせました。荒野で娯楽に乏しかったイスラエル人はたちまち堕落したので、激怒した神は彼らを皆殺しにしたといいます。

モアブを通り抜けたイスラエル人は、死海の北東に位置するネボ山に導かれます。そこは西にヨルダン川の低地を臨み、カナアンの地を一望できる場所でした。出エジプトから40年、120歳になっていたモーセはこの地で死に、埋葬されます。ついに約束の地に入ることはありませんでした。

モーセが実在したかどうかは定かでありません。祭司の地位はアロンの子孫が継承し、モーセの子孫とされる氏族はパッとしません。「先祖はエジプトから逃げてきた」という始祖伝説が一部氏族にあり、それがイスラエル十二支族の起源神話として採用され、尾鰭がついてこうなったのでしょう。

「40」という数字はヘブル人の聖数で「多数」を意味し、実際に40年も荒野を彷徨ったわけでもないでしょう。しかし聖書は神により真実だと保証されていますから、誰も嘘だとは言えません。そう信じられている、という事実はあります。まあオヒガンを放浪していたのかも知れませんが。

モーセの後継者としてイスラエル人を率いたヨシュアはエフライム族で、神の奇跡でヨルダン川を渡りエリコを陥落させ、カナアンの先住民を殺戮し、隷属させて占領し、シケムにおいてレビ族を除く十二支族に土地を分配したと『ヨシュア記』に書かれています。これはエフライム族に伝わる神話で、実際は多数の部族が後から連合してイスラエルという部族同盟を造ったに過ぎません。南部に割拠したのがユダ族で、ヘブロンを首邑としていました。

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ヨシュアの死後に国は乱れ、ペリシテ人ら周辺諸族にイスラエルは服属し、互いに交流して偶像を崇めるようになっていったと『士師記』に書かれています。この時代には士師(Shophet、裁き司、軍事指導者)が現れて民を異民族から救いましたが、十二支族が団結することはなく、様々な部族同盟・都市同盟が各地に存在していたようです。出エジプトから数百年、実際には100年余りの時を経て、サムエル、サウル、そしてダビデが現れます。

◆孤独◆

◆栄光◆

【続く】

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三宅つの
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