【AZアーカイブ】復活・使い魔くん千年王国 第一章 佐藤
人の子(メシア)は、聖書に書いてあるとおりに去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかっただろう。
新約聖書『マタイによる福音書』第二十六章より
松下とルイズ、それにシエスタは、アルビオンで死闘を繰り広げた末、ついに地獄へ落ちた。闇と吹雪の中にあるのは、林立する巨石群。狂信を捧げてきたメシヤの死に絶望する、第二使徒シエスタ。そこへ現れたのは、かつて松下を裏切って死に至らしめた男、佐藤であった……!
「ここは地獄の一番奥底、《反逆地獄》の手前です。神に逆らった罪人や巨人族が幽閉され、虚無の深淵の中で永久に、悲嘆と極寒に苦しめられる場所なのです。そして私の名は《佐藤》。かつてメシヤを裏切って死に至らしめたのち、悪魔に騙されて全てを失い、20年以上も病苦と悔恨の人生を送らされた、世にも哀れな男です!」
サトウ、か。それが彼の、この老人の名前。詳しい事情は分からないが、メシヤに対する裏切り者? とはいえ今は充分ここで罪を償い、反省しているようだ。悪意はなかろう。だが……。
「反逆地獄、ですって!? サトウさん、あなたはまだしも、なぜ我々がそんなところに来なきゃならないの!? それにこの方は、メシヤですよ! 地獄に落ちるなんてあり得ないわ!」
シエスタは激昂するが、佐藤はまあまあと宥めた。
「彼がこのように死んで、地獄を訪れることは、一万年以上前から定められていた宿命なのです。まあ、彼が古い体制に対する反逆児であるのも、事実ではありますが……」
深呼吸して落ち着くと、シエスタはがっくりとうなだれる。
「……サトウさん、ここが地獄であなたが死人だとするなら、私たちはやはり、死んでしまったのね」
「ええ、ご愁傷さまです。今ここにいるのは、肉体を失って霊魂だけになった存在ですよ。ご自分で触ってご覧なさい、息は冷たいし心臓も止まっているし、脈も体温もないでしょう?」
……確かに自分は、死んでいる。メシヤも、第一使徒ルイズもそうだ。占い杖はもともと無生物だからいいが。ああこれでは、メシヤと我々の目指す理想郷『千年王国』の建設が、道半ばで終わってしまうではないか! せめて、せめてメシヤだけでも生き返ってはくれまいか。ちっぽけな私なぞ、どうなっても構わないから。シエスタはとうとう滂沱の涙を流し、嗚咽を漏らし始めた……。
佐藤は彼女の背中をさすり、再び落ち着かせる。
「………シエスタさん、大丈夫ですよ。やがて彼らは目を覚まします。そして貴女とともに、復活への道をたどる事になるでしょう。安心してください」
その言葉を聞くや、びくっとシエスタは身震いし、涙も拭わずに勢いよく顔を起こした。
「ふ、復活!! や、やはりメシヤは、復活なさるのですね!?」
「ええ、なにしろ彼は『死して死を克服する』、そういう存在ですから。それまでひとまず、彼と貴女たちの話を聞かせて下さい。私も自分の身の上を、貴女に聞かせて差し上げましょう」
「では、あなたからどうぞ、話して下さい。……その前に、岩陰に入りましょうか」
吹雪を避けられる岩陰に松下とルイズを運び入れると、二人は座り込んで一息つく。それから佐藤は、シエスタに切々と、この不幸な身の上を語り出した……。
なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか。このような人は、死を望んでも来ない。これを探し求めることは隠れた宝を掘るよりも激しい。彼らは墓を見いだすとき、非常に喜び楽しむのだ。
旧約聖書『ヨブ記』第三章より
若い頃、東方の日本という国の最高学府を首席で卒業し、国内有数の大企業に勤めていたこと。そこの社長、松下太平の一人息子が、この松下一郎であること。彼は『東方の神童』『悪魔くん』であり、3歳の頃から奥軽井沢という深い山奥で、魔術の修業と実験に明け暮れていたこと。
佐藤は、彼の『家庭教師』となるよう社長から依頼されて奥軽井沢へ向かったが、松下の罠によって古代の魔法使い《ヤモリビト》の魂の容れ物とされ、危うく身も心も乗っ取られるところだった。ある呪医の霊的手術によって助けられた佐藤は、以後この老いた《ヤモリビト》の仮面を被り、松下の忠実な使徒として振る舞わねばならなくなったのだ。
やがて悪魔が召喚されたが、その悪魔はごく下等な奴で、他人を欺き操る程度の能力しかなかった。それでも松下は十二使徒を率いて国を乗っ取り、千年王国建設のため世界を揺るがす大戦争を起こした。しかし、悪魔に唆された佐藤の裏切りによって、松下はあっさり警官隊に射殺されてしまう。佐藤は解放されて莫大な懸賞金を貰い、悪魔と手を組んで悠々と人生を楽しむつもりだった。
「……けれどその悪魔は、メシヤから自由になるために、私を騙して利用したのです。私は築き上げて来たもの全てを失い、健康も害し、働くこともできない体になってしまいました。悪魔はカネの支配する世の中でうまく立ち回り、世界でも有数の大金持ちになってふんぞり返り……、私は、裏切り者のこの私は、自殺する勇気さえなく、絶望と貧困と病苦にあえぎました」
ぽたり、ぽたりと佐藤は涙を零した。しかしもはや、その涙さえも氷のように冷たい。
私の生まれた日は滅び失せろ。「男の子が胎に宿った」と告げた夜も。その日は闇となれ。神も顧みることなく、光もこれを照らすな。…なぜ、私は母の胎内で死ななかったのか。生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、膝があってわたしを抱き、乳房があって乳を飲ませたのか。それさえなければ、今は黙して伏し、憩いを得て眠りについていただろうに。…そこでは悪者どもも暴れ回ることをやめ、疲れた者も憩いを得、捕われ人も共にやすらぎ、追い使う者の声は聞こえない。卑しい者も貴い者も共にいて、奴隷も主人から自由になる。
旧約聖書『ヨブ記』第三章より
「……使徒の残党はいましたが、大財閥を築き上げた悪魔に対抗するだけの力は、もうありませんでした。仕方なく、私は第一使徒・蛙男さんと再会して密かに魔術研究を続け、メシヤの復活に備えることにしたのです。でも、メシヤは7年経っても、16年経っても、20年経っても復活されませんでした。私は絶望のあまり病気を再発させ、あれから24年待ち続けたあと死んでしまいました……。そうして今いるような地獄に落ち、孤独なままで長い間苦しむことになったのです」
しばらく沈黙したあと、佐藤は手を自分の老いた顔にあて、撫でさする。
「それに、この今の顔は……例のヤモリビトの仮面です。あの時捨てたはずだのに、地獄に落ちてから罪の証としてなのか、再び被せられたのです。若い頃の私は、もう少し美男子でしたよ。……まぁ、メシヤにあわせる顔もない私ですが。……さあ、これが私の話です、シエスタさん」
シエスタは佐藤の話を聞き終わると、質問を後回しにして、ぼそぼそと自分たちの話を始めた。
ハルケギニア大陸のトリステインという国に貴族の通う魔法学院があり、そこのメイドとして働いていたこと。そこの第一使徒、ラ・ヴァリエール公爵家のルイズ・フランソワーズが、マツシタを使い魔として召喚したこと。彼が強力なメイジにして偉大なメシヤであり、あらゆる人類を救うためにこの世界に現れたこと。
彼はルイズと協力して恐ろしい奇跡の御業を振るい、何万もの敵を滅ぼし味方を救った。そして腐った政治を変えるため新都市を建設し、悪魔と戦い続けたが、浮遊大陸アルビオンでの戦争で何者かの銃弾を受け、三人揃ってここに落下してしまったのだ、と。
「……アルビオンはともかく、ハルケギニアやトリステインとは、聞いたことのない地名ですな」
「そちらのニホンだって、私は知りませんわ。メシアの故郷は、遠い世界なのですね」
「恐らく、地上と地獄が異なる次元に属するように、地球とハルケギニアも互いに異世界なのでしょう。ただ、全く繋がりがない、というわけでもなさそうですが……」
ふむ、と佐藤は顎に手をやり、考え込む。元来秀才である佐藤の脳内には、さまざまな知識が詰まっていた。アルビオンと言えば、英国……大ブリテン島の古名ではないか。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールという女性も確か、近世フランスのブルボン王朝時代に実在したという記憶がある。それにしても浮遊大陸だのメイジだの使い魔だの、まるで子供向けの御伽噺、ファンタジーだが。
――――いや、この死人の、佐藤自身の運命こそ、まるでファンタジーだ。
メシヤを称する、夢見る子供の遊びに付き合わされた《大人》の見た、悪い夢だ。
「……二人とも、話は済んだかな?」
うーむ、と松下がうめき、むっくりと起き上がる。佐藤は自虐的な思考から呼び覚まされ、飛び上がるほど驚いた。
「「め、メシヤ!! 起きておられたのですか!?」」
「そこの男が話を始めた頃からね、おはよう第二使徒シエスタ。……やあヤモリビト、いや佐藤、久しぶりじゃないか」
その横でもぞもぞと、桃色の髪をした少女も動き出す。我らがルイズ・フランソワーズだ。
「……私も起きていたわ。大体の話は聞かせてもらったけど、マツシタの奴は最初からそんなことやっていたのね……」
喜悦の表情で両手を胸の前で組み、メシヤに跪くシエスタ。一方、佐藤はぶるぶると身を震わせ、咄嗟にひれ伏してうずくまる。表情は苦渋に満ち、両拳を固く握り締めている。――――ああそうだ、自分は、自分を消そうとした彼を欺いて裏切り、官憲に引き渡し、殺したのだ。人類の理想郷を築くため、人類社会をぶっ壊しかけていた救世主、この恐るべき《知恵で武装したゴジラ》を。
(あなたは、なぜ何も知らない、罪もない私を生贄などにしたのです)
(人間の、この佐藤のままでは使徒になれなかったのですか)
(おお、あれから無力な私がなめた辛酸ときたら……)
(私のしたことは正しかったのですか、間違っていたのですか)
再会したら言ってやりたいことは山ほど考えていたが、恐怖のあまり舌と咽喉が引き攣って、声が出てこない。善悪を超えた《人間以上の怪獣》の前に立って、塵と灰の中で震え上がる死人がいまさら何を言えるだろう?
「まあ、そんなに畏まるこたぁないさ。ぼくは別に恨んでなんかいないよ、ははははは」
松下は鷹揚に笑い、佐藤の緊張をほぐしてやる。
「お前がヤモリビトでないことは早くから気づいていたし、うすうす内部からの裏切りは予感していた。あれから随分苦しんだようだが、今はこうして再会できたのだし、お互いさまということでいいじゃないか。お前の罪を許すよ、佐藤。ぼくの作る《くびき》は、お前が思うより軽いのだから」
許す。松下のその言葉を聞いて、佐藤はフハッと溜息をつくと、ばったりと前のめりに倒れこんでしまった。40年以上も苦しんできた重荷から、解き放たれたのだ。罪悪感も恨みつらみも、彼の心身から消え去った。
「……今度はこいつがのびてしまったか。ぼくを殴ろうと襲い掛かって来るかとも思ったが。まぁ、しばらく休ませてやろう。そのうち起きるだろ」
「なんていうか、哀れな男よね……マツシタと関わってしまったばっかりに、人生メチャクチャじゃないの、この人」
疲れ切った表情をしたルイズのもっともなツッコミに、シエスタが噛み付く。
「第一使徒ミス・ルイズ、メシヤのなさることには全て意味があり、誤った事はなさりません。我々の死も復活も、彼の苦悩も、きっと天の神様が定められた運命だったのですわ!」
「そりゃまた、なんとも酷い神様だこと……」
ルイズも、このマツシタと一年近く付き合ってきて、大概の出来事には慣れてしまった。こいつはもう、こういう奴なのだ。死んだところで止まらないし、止めようと思って止められるものではない。サトウというこの男の苦悩も分かる。彼はきっとマツシタと付き合うには理性的、常識的すぎたのだ。彼を心底から狂信も理解も嫌悪もできず、ただ自分の犯した罪に苦しむしかなかったのだろう。
……では私は、どうか。救世主を使い魔とする、このルイズは。私は、自分が皆に認められるような《真の貴族》でありさえすればよかった。伝説の《虚無の担い手》なんてものになったのならば、その力を国と女王陛下のために用いることができればよかった。
でも異世界人であるマツシタは、国や女王陛下や、貴族やブリミル教のためには行動しない。彼の行動目的は、この世界を統一して理想郷『千年王国』を打ち立て、貧困に苦しむ人々を救うことだ。それはまあ、大した理想なのだろうが……王制や貴族制度を否定することは、私自身を否定することではないのか?
――――ならばひょっとしたら、私もサトウのように、マツシタを土壇場で裏切るのではないか?
ルイズは一旦考えを打ち切り、あらためて周囲を見回す。視界に入るのは暗闇と吹雪、無数に立ち並ぶ巨大な石柱。そしてどうやら、自分たちは底知れない大穴の、断崖絶壁の縁近くにいるようだ。断崖の遥か彼方、深淵の中心部へと、轟々と音を立てて吹雪が吸い込まれていく。
「ともあれ、ここから地上へ脱出し、我々の肉体を取り戻さなくてはな……」
「復活の道行きですね、メシヤ。どこまでもお供いたします」
「脱出ったって、ねえ……こんなところから、どこへ向かえばいいのよ? 上? 下?」
ルイズは誇り高い貴族であり、敬虔なブリミル教徒である。天国や地獄の話はよく聞かされてきた。どうせ死ぬなら、せめて天国へ逝きたかったものだ。せっかく戦場で死んだのだし。死んでからも殺し合いが続く世界・ヴァルハラを、天国と言えるならだが。
「さっきサトウさんは、ここは《反逆地獄》の縁だと話していましたが……」
「ふむ、反逆地獄か。だとすると……」
「あなた方、ここの出口がわからないでしょ?」
突然ルイズは背後から、実に怪しい声をかけられた。
「っっきゃあ!?」
仰天して振り返ってみれば、声より姿の方が何倍も怪しい。それは、両腕の他に腰と背中から計3対の腕が生え、頭のかわりに2本の脚が生えた、奇妙な怪物だった。
「な、なななななによこいつ! あああ脚が上にも下にも生えているし、腕が多すぎるし!」
「私はただの『案内人』です。迷い込んだ人を出口までご案内するのが、私の役目でして。サトウさんがここへ落ちて来られてから、20年もあなた方を待っておりましたよ」
ヘラヘラヘラ、と『案内人』は笑う。顔どころか頭部も口もないのに、流暢に喋り、笑っている。
「さあて、どっちへ行きたいんです? 上かい、それとも下かい?」
松下はしばし黙考してから、彼の問いかけに答える。
「……下、だ。ここから現世へ戻るには、さらに深淵の奥底へ向かうしかない」