フリコが虹の橋をわたって1month passed. 蝶、その後.
ふわふわの家族がいる人にはお馴染みの、夜にみなが寝静まったあとに何やらしているカサカサ音はたまにまだ聞こえる。
かなりおばけになって出てきて欲しい気持ちはあるけれど、いまだに姿は見れていない。
出現から19日が経った天国のフリコからの使者さまは元気にお過ごしです。
春までお家の中で生きれたら最高だけど、今ここは真冬の北海道。
山の学校に通った子ども達の昆虫採集以来かと思われるが、どうなるかわからないからこそ蝶生をできるだけ楽しませてあげようと、ネットの情報を参考にさせてもらって試行錯誤しつつ、蝶の飼育をがんばっている。
とりあえず、昼間、人がいる時はクレートの上部を外して太陽の当たる場所で放蝶し、日没ともにクレート上部のカバーをして布をかけておくことにした。お日様に向かってパタパタ羽をはためかせて上下する姿はいつまでも見ていられるくらい本当に美しかった。
でも少しすると使者は外に出たそうにベッタリと顔を窓につけはじめた。
光に反応しているだけとは分かっていても、憂いを含んだように見える様子になんだか気の毒に思えてきてしまった。この蝶は、風やお花畑を知らずに、外の様々なことを知らずに一生を終える可能性が高いのだ。
もうかれこれ10年以上前からのお付き合いのサイキックの方に、これはフリコからの天からの使者と聞いて更に感謝の気持ちで真摯に対応していこうと思っている。
わたしのバケットリストの一つである「自宅敷地内にグリーンハウスを2棟くらい持つ」という夢が、蝶のために今に前倒しで叶ったらいいなあなどと家族と話す。そんなわたしを見て家族は「あんまり蝶に思い入れし過ぎないようにね」とわたしを気遣ってくれる。蝶がいなくなった時のわたしのことが気がかりなようだった。
この状況に追い討ちをかけるように、つい1週間前に実家の母が緊急入院した。実家に一人残された超高齢者の父の暮らしまわりのことや、関係各所の対応、自身と家族のことで、振り返ってみると、この怒涛の1ヶ月は頭のネジがスコーンと外れてしまって頭から思考が大きくはみ出したような感じ。
まるで時空が歪んだような感覚で、掃除をしたか?していないか?すらまったく記憶がなく動物的な感覚のみで暮らしている。
心の中で目線はすこし上の方に向かって叫ぶ。
(神様でもご先祖さまでもいいという気持ちだった)
「ちょっと待って!今じゃないでしょいくらなんでも。たのみますよ!」
みんなどうしてるんだろうな。
わたしと同じ年くらいの人たち。
親のことどうしているんだろうな。
自分の体力の限界を感じてしまい、はじめてそう思った。
こんな時にこそ、フリコにいてほしかったなあ。
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪