フリコが虹の橋をわたってから 2days passed.
12月1日
わたしが愛犬フリコの亡骸を横にして泣いて泣いて泣いてから一番最初にしたのは気持ちをどんどん書くことだった。あんまり動物や小さい子どもなど本人に確認が取れないものを自らの仕事媒体にするのは好みではないのだが、フリコと自分にあったことを、書いてそれを読み返して、もう一回記憶を遡ってみて事実を整理しながら編集している過程でしか自分を癒せない不器用な自分の備忘録用にとせっせと時間があれば書いている。書いていると思い出してつい泣いてしまっても、書いていない時間より悲しい時間がすこしだけ少ないからいい。年のせいで忘れっぽくなっているし、先代の時に介護のあたりから亡くなったあたりの記憶がまったくなくてスケジュール帳にでもかわいい様子や自分の心の動きなどいろいろ記しておけばよかったなあと後から何度も思ったからというのもある。
まさかこんなに症状が急に進んでしまうなんてという気持ち。つい先日「老犬介護が始まりました」なんてnoteに書いてたばっかりだった。まだまだ介護してあげる気まんまんだったし、なんとか治してあげるよ、治らなくても先代が手作りご飯で2年寿命を伸ばしたので少なくても2年くらいはここから生きるし、腰を据えて介護頑張るぞという気持ちでいたのだった。
ご飯が大好きなフリコ。
好き嫌いなく出されたものはちゃんと食べる子だった。
最近では、普段はたまに転倒してもご飯の時だけは決して転ばずに一目散にご飯台へと走ってくる様子を家族は可愛らしく可笑しく見守っていた。
そんなフリコも11月の後半くらいから自立して食べるのが出来なくなっていた。
それまではよろけながらもなんとか自立して食べていた。
思えばフリコが亡くなる3日くらい前から、ご飯を半分しか食べていないのに、なぜか少し離れたところでお休みしていた。逆の場所にある息子の部屋の方を見てすこし休憩でもしているような。いままでそんなことはなかった。
「フリちゃんどうした?ご飯いらないの?めずらしいね」「おかしいな、食べる?」と口に持って行くと、フリコは「あ、忘れてた、ご飯だった」みたいに食べるので、残りのご飯を少しづつゆっくり食べさせてあげた。
「ご飯は離乳食みたいに作った具沢山のお粥をシリコンスプーンで口に運んで食べさせたりしてさ。オムツもするし、おしり拭きで毎回キレイキレイにしたりして、フリちゃんもうこれは赤ちゃんと一緒だねえ」などど話しながら、一生懸命生きてくれている目の前のふわふわを悲しいけど心底愛おしく思った。と同時に今後どのくらい続くかわからない介護に対しても完全に腹を括っていた。だってわたししかいないんだもの、特に今のこの子には。
歯がない為に液状のものは上手く食べられなくてこぼして胸周りを汚してしまう。毎回シャワーは本人もわたしもキツいので、赤ちゃんのよだれかけみたいなのを即席でヒモと洗濯バサミとハンドタオルで昨日作ったばかりだった。
また、違う日は自分のトイレの前で座り込んでいた。トイレをするというのは少しだけ踏ん張る力が必要だということだが、そのチカラがどんどん少なくなっていっていたように思う。最近はトイレまでの距離が間に合わなくて違うところで粗相をしてしまうことが続いていたので、わたしが目を離す時間が多い時はオムツをさせるようになった。見ていられる時間はオムツフリー。なるべくオムツの中にはさせないようにした。オムツにした後に違和感を感じるようで嫌なことをされた時にする咳をよくしていたからだ。夜中のトイレもわたしが手伝っていた。これは自らを大変にしているように思われるかもしれないけど、わたしには大切なことだった。
先代は、脳梗塞で失明して首が曲がりながらも歩いていたので、狭い家で動きやすい導線にするために、良かれと人間の視点から家具を動かしてトイレを早々に撤収してしまったのだが、そんな状況でも先代はなんとかトイレのあった場所にたどり着いて用を足そうというジェスチャーを数回繰り返していしていたのが後から思い出され、生きるチカラを削いでしまったのではないかと虹の橋を渡った後のわたしの後悔リストの上位に「なるべくやりたそうなことはさせてあげる」とあった。
なのでフリコには時間と体力が許す限り出来ることはするし、キツさがハンパないと一度でも思ったら潔く止めたり移行する、そう決めていたので終わりが見えないようには感じなかった。むしろ終わらせないように頑張るという気持ちだった。
夫の実家のあるニューヨークにコロナ明けようやく揃って家族で帰省する話しもフリコが悪くなるずっと前から進んでいた。夫の親も高齢で行ける時には一人でも行ってきて欲しいし、久しぶりに孫たちにも会わせてあげたい。なので、もし本決まりになったらわたしだけ行かない心づもりでいた。
それなのに。でも仕方ない。
最近のわたしの口癖は、「仕方ない」
フリコはあのまま生きていても苦しいばかりだったから。
いまフリコが楽でいられるのならば、マミーはそれが一番。
親は子のベストをおもうもの。
そんな気持ちだ。
「仕方ない」を調べてみたら
とあって、完全にわたしの今の状況と気持ちを説明してくれていた。
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪