フリコが虹の橋をわたって 2month passed. 不思議な話し③ Twinkle lightと北海道の真冬に出現したアゲハ蝶のその後と
フリコは猫飼いさんたちにも人気があった。
もれなく「猫みたいだ」と言われた。
犬も猫も1匹1匹性格がちがうし、人間と同じく様々なこともあるなあと思う。
静かにあちこちにいた猫のような犬のフリコ。
ジャンプ力も猫相当で、我が家に来てまだ間もない時に来客時にマンションの玄関からスルリと出て行って非常階段から一気に半階下の踊り場まで飛び降りたことがあった。もうダメた!と思って泣きながら抱っこしにいったたわたしを「なにか?」と言いたげにキョトンとした顔で見ていたフリコ。わたしたちはそれから彼女を昔やってた海外ドラマのバイオニック・ジェニーにちなんで、奇跡のバイオニック・フリコとたまに呼んでいた。
確かにこのシャシャシャンというバイオニック・ジェニーが超能力を発揮するときの効果音が、フリコが非常階段からジャンプしたことに聞こえた気がしたからだ。
ああ、かわいかったフリちゃんの話しは尽きません。
いまでもすべてのタイムラインでフリコが居るのが当たり前の日常の癖から「あ、いないんだった」というのは毎日のこと。
英語のタイトルはThe bionic Womanだったのね。
わたしは名前にするほどクリスマスが大好きなのに、クリスマスツリーは、フリコが亡くなる少し前に出して装飾の点滅するトゥインクルライトだけ巻いて点けてあったのが、結局クリスマス当日を迎えてもオーナメントを一つも飾ることもないままになっていた。部屋の様子や家具がその人の心理状態を反映しているということを聞いたことがあるが、まさにわたしの心を反映したようだなと自分を分析する。
新しい年も来るし、今日は少しだけ気合いを入れてお掃除をしよう!とハンディモップ右手、小さい掃除機を左手に持って、本棚から順番に掃除を始めた。
と、ツリーのライトが消えている。
確かつけっぱなしにしていたはず、と覗いてみるとプラグは差さっている。
何回も抜き差ししてみたけどやっぱりだめ。
かれこれ20年くらい使っていた大好きなライトだったのに、このタイミングで?と独り言を言うと、なんだかいろいろ変わっていくねー、とその場に居合わせた息子に言われて本当だなあとしみじみする。
ちょっとさびしいがフリコの喪失に比べたらなんてことない。
日々に湧き上がってくる小さな喪失感を感じては「仕方ない、仕方ない」と口癖のように小さく言葉に出して言いながら心のかなしいスチームを抜いて出しつつ、本棚の上に飾ってある私的お宝であるドイツのスピールフォームという木製の動物たちを飾っている棚も掃除。
小さい鳥がたくさん入っているカゴをそうじしていた時に、堅い小さいギザギザしたものがポロリと落ちてきた。
手のひらに取って少し霞みがちな老眼寄りになった目を近づけて見てみたら、歯。
フリコの歯だった。
これまた先日の蝶の時と同じくらい「えええええーーーどーーしてーー?」だった。これにはさすがに冷静な息子も大笑い。
フリコはうちに来た直後は保護犬あるあるで歯槽膿漏がすごかった。
かわいいお顔とは裏腹に口からはドブのようなニオイがした。
ホルモンのバランスが崩れると歯槽膿漏になりやすいというのは、わたしの出産後に歯がかなり痛むようになって治療に行った時に歯科で聞いた話しだった。
フリコは産んでは子を取られを繰り返しさせられていたので、そうならざるを得なかったのだろう。歯の治療をするというのは人間なら抜歯をしない方向でという近年の通例は動物には当てはまらないようで、譲渡後の避妊手術の際に一気に10本くらい抜かれてびっくりしたものだった。
わたしの脳内の古い記憶の引き出しをギギギと開けると、もしかしたらこの歯はある日フリコの口からポロリと落ちたものだったと思う。
それを拾ってどこかにしまっていたと思ったのだが。
いきなりこのタイミングで出てきて2度びっくりだった。
びっくりと言えば、12月31日の夜のこと。
いつものようにケージ内に移して布をかけて閉まったと思った蝶が床にいた。
珍しく脱走したんだ、どこから出たんだろう?と
ケージの中に戻そうとしたらもう既に一匹いる。
これは最初からいる子。
てことは2匹め⁈
これもまた「えええええーーー?」だった。
「どこにいたっちゅーのさーーー⁈」(←驚き度合いを表現する為そのままの言葉を引用しています)
年越しの宴のシャンパンが効きすぎたわけではない。
どこにもサナギはいなかったんだ。
だって最初の蝶の前にもそうだったけど、日々のお世話の中で葉っぱは1枚1枚拭いていたし、なによりも鉢の数がそんなに多くないので、見たら絶対わかると思っていたけど、まあ見落としたかなくらいに思って、じゃあ抜け殻でもあるか?など家族で目を皿にしてその時にも再度何もないことを確認しているのだ。
いやー、まいった。
逆にもう極まった不思議が過ぎると思考停止して追求したくなくなるものだなあと我ながら面白く思った。
そして最初の子は翌日の元旦にその子と入れ替わるように動かなくなった。最後にプルプル震えながらも好きだったお花にとまっていた。
外は雪。
亡骸をどうしようかと思ったが、柔らかい紙にくるんでフリコの祭壇の下の段へ入れておいた。
一度もお花畑を見ることなく逝ってしまったので春お花が咲いた頃にお花畑へ連れて行って埋めてあげよう。出現から21日間の生命だった。
この新入りさんは最初の子よりも少し大きめで野生みが強い。
最初の子はわたしの手からスポイトで薄めた砂糖水を飲んだし、お花の好みもマニュアル通り赤紫の花が好きなんだなと見ていてこちらがわかる感じだったけど、新しい子はほとんどスポイトからは飲んでくれず、好みのお花もわからなくてお花を買い足したりもしたが、この子はとにかく外に行きたそうだった。
そりゃそうだ。それが自然というものだ。
真冬の厳寒の北海道では死に直結するのでそれはしなかったけど、この子は最初の子よりも早くフリコの49日の翌日に役目を終えたかのようにパタっと逝ってしまった。17日間の生命だった。
この子も同じようにフリコの祭壇の下段に最初の子の横に紙にくるんで春を待ってもらうことにした。
これを不思議と思えば不思議だし、そう思わなければ大した話でもないのかもしれない。
でもこんな、まるで歴史の教科書に書かれた大昔のことなんて思いこんでいた自然災害や世界的な疫病の流行が目の前で映画を見ているように次々と展開されていく中で、こんなこともあるのならば、わたしの大切だったあの子が肉体から自由になった後も愛する家族であるわたしにサインを送ってきていることもあるかもしれない、だたら誰がなんと言おうと気のせいなんかにしないで、しっかりキャッチしてあげたいし受け止めたいと思ったのでした。
これから「えええええーーー?」以上の「ええええええええーーー?」が起こったら、また書こうと思います。
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪