だんぜん自然派ママだった頃のこと
いまハタチの長男が4歳の頃。
彼の喘息がきっかけで、
我が家の生活はオーガニック製品や自然食品店で買ったものだけに
急激にシフトしていった。
いわゆる「自然派ママ」のハシリだったのかと思う。
体質以外の喘息の原因を
何がどうしたらこうなるのか?と探るうちに
いつの間にか自然育児という選択をするお家は多いと思う。
なるべく白い砂糖のものを食べさせたくない。
ジャンクな食べ物からやさしい食べ物へ。
「いつかは巣立つ子ども達。
我が家にいる間くらい健康的なものを。」
と願うのは親心であったのだとも思う。
わたしは毎日圧力鍋でもちもちのおいしい玄米を炊き、
マクロビオティックの入門レベルのお料理教室に通った。
天然酵母パンの教室でパンとデザートを習い、
どんどんお家の中がオーガニック的になった。
もともとテレビっ子ではなかったわたしだったので
シュタイナー教育的な美しい世界観に違和感なく溶け込めたけれど
一番の敵は両親と夫だった。
当時、産休後にフルタイムで職場復帰して
息子の面倒を見てくれていたのはわたしの両親と自営業の夫。
両親が息子に食べさせたものや
ゲームを少しでもさせたい夫の息子との留守中の過ごし方について
わたしは帰宅するたびに毎回チェックしては言い合いになり
「子どもにとっては大切なことなのに、なんでわかってくれないんだろう」
といつもため息をついていた。
かなりややしばらくの期間、バトルは続いたのだが
ある日ふと自分のことを思い出した。
今、自分はなんとか健康な感じで育っている。
若い頃は本当にいろんなものを食べたし、遊んで歩いて
今思えば若気の至りで、ひとつ間違ったら
死んでもおかしくないようなことをしたりしたのに
いまわたしは生きている。
とりあえず健康だ。
両親がいたから生まれてこれたし
彼らはある程度、口に入れるものも気をつけてくれていた。
そして何より夫がいたからこのかわいい息子もいる。
わたしがいくらオーガニック的な生活がいいと思っても
それで怒ったり喧嘩したり心に見えない傷を負ったり負わせたりすることは
健康的なのか?
なにより、子どもは話さないぶん、
そういうことを空気で感じるものだ。
健康的な食事をしながらいつも荒れている家庭で育てられている子どもより
お母さんがいつもニコニコしていて、
たまぁにコンビニ弁当やカップメンの日もあるお家の方が
なにより子どもの心にもいいのではないか?
仕事で疲れながらも帰宅してもなおイラついていた私は
イラついている自分自身に一番疲れてしまい、
ある日ふとそう思うようになった。
初孫に可愛いおやつを買って食べさせ喜んだ顔を見たい年寄り。
初めての子ども、息子とゲームを一緒にするのが夢だったという
自らの父親とすこし縁の薄い夫。
子どもの命の危険が伴うことでなければ
あちら側のそれぞれの経験の楽しみを全て奪う権利はわたしにはない。
不思議なことに、
ここら辺りから、
わたしがいろんなことを諦めたあたりから、
両親も夫も少し気をつけるようになった。
てことは、我が家に必要なプロセスだったのかもしれない、と
今では思う。
それより何より自分の心が自由になったし
それでも知識があることで
人に踊らされることなく
体調を感じながらバランスをとって生きられるようになった。
もっとシンプルにいうなら、
経験から「納得」したのかもしれない。
もちろん全てやめたわけではなく
自分たちが心地がよく続いているものはそのままにしている。
そして今の我が家はというと
変えていないのは「身土不二」。
生活している土地で採れたものを食べること。
これだけは最優先にしている。
あとは腸内環境を整えること。
中庸を心がけること。
それくらいだろうか。
それでも家族はありがたいことに元気で幸せ。
今日も生きている。
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪