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me & my xmas vol. 15  クリスマスがなかったおうちで育ったわたし / The tonight show starring Jimmy Fallon


生まれてこのかた暮らしている愛する北海道と、義実家のあるニューヨーク / ブルックリンでの暮らしのことなど。

ミックスカルチャーのバックグラウンドを持つ子どもたちの日本での子育てがひと段落しそうなころから、少しづつスライドするように、相棒の元保護犬と高齢親の介護サポートがはじまって、先日、愛犬と母、そして20年も生きて鯉みたいになった金魚までも立て続けに見送りました。

はてさて

わたしの50代後半からの再スタートの記録。
まずはロゴスの世界からこんにちは。


こちら北海道の今のところの積雪量は、札幌は例年に比べて雪が少なめ(ということは前回も書いたが道路は滑りやすい)、岩見沢とニセコあたり、道東は多い印象です。前回秋に大きな震災があった時もその前の冬の積雪が少なかったので、食材のローリングストックを見直したり、ガソリンの給油を頻繁にしたりと少し警戒しつつも、昨年初春に母が亡くなったことで、より身体が動いて生きていられる間は「なるべく楽しんでやりたいことをする」ことをかなり意識して暮らすようになりました。いままで見えてこなかった『わたしという身体のゴール』。いつか終わりが来るけどそれはいつなのか?それは生きている誰にも平等にわからないのです。「いつかやってみたいな」と思っていたことを「今日」、さほど無理なく出来ることから始めてみよう。本当にそう深い深い身体の芯から感じるようになりました。さて前回も書きましたが年末から、時間を見つけてはnoteで今まで書きためた記事を編集・統合する作業を進めています。これまで単記事で書いていたものは時系列が異なりますが、その場合は注釈を入れてありますので、どうぞよろしくお願いいたします。


23時頃に自宅から見えた低緯度オーロラ。
実際には赤紫できれいだった。


xmas xmas

このコーナーには国内のこと。最近のきらめき、心と身体のこと、日本ベースでの子育てのこと、気づき、わたしのおすすめなどを書いていきます。


xmas christmas xmas 〜 クリスマスがなかったおうちで育ったわたし


( 2017年12月29日の記事をそのままに、加筆再編集してUPしています )

わたしは自他共に認めるクリスマスおばさん。

そんな理由からnoteのマガジンのタイトルや自身の名前にもなっているほどの大のクリスマス好き。少しブルーな気分を半音上げたい時は夏でもクリスマスソングを聴くし、わたしのクリスマスは百貨店よりも早く、途中お色直しもあったりして、翌年2月頃まで延々と続きます。

今年のクリスマスは年明けに上の子が成人式を迎える直前のクリスマス。

ここ数年は、アドベント(クリスマスの前の1ヶ月前くらい)の少し前くらいになると子ども達に「今年はサンタクロースになにをお願いするつもり?』と聞いている。下の子と7つ歳が離れているので、サンタクロースのカミングアウトは特にしていないのだ。

そうは言っても、もう二十歳。
どの時点からはわからないけれど、わざわざしなくても知っているし、自然にスライドして、楽しませる側に回ることで、その世界観を楽しむというところで、うちの親子は一致しているようだ。
なによりも母であるわたしがクリスマスを楽しんでいるので、そのクリスマス・スピリットみたいなものを、子ども達もできれば長く楽しみたいと思ってくれている。

こんなにクリスマス好きなわたしにまつわるこのフェスティヴ・シーズンの悲しい記憶といえば、意外にもわたし自身が子どもの頃に母が信仰しはじめた宗教的な理由からクリスマスが一切ないお家だったこと。その頃から小さなわたしは毎年「真実はどうであろうと、わたしが大きくなったら子どもから大人の都合で勝手にクリスマスを奪わない」と決意を積み上げてきた。それが毎年サンタクロースもケーキもツリーさえも許されなかった子ども時代から培ってきたクリスマスについての長い歴史のあるフィソロフィー。

同じように自分が子どもの頃にクリスマスだけに限らず、何かを強く禁じられて大きくなったりすると、家庭内暴力や幼児虐待と同じような原理で、それを自分の子どもにやりがちでもあるとも聞いたことがある。
でも決意しているわたしは絶対にそれはしないし、宗教に属することもしないと、もしや奇跡が起きてプレゼントがあるかもとギュッと目をつぶったままクリスマスの朝に頭まわりをまさぐっては毎年残念な気持ちになっていた小さな心に決めていた。だからクリスマスに学校があるのも地獄であった。
学校に行くとみんなクリスマスに何をもらったか?容赦無く自慢し合うわけで、いろんな意味で子どもの学校の冬休みの始まりはクリスマスよりも前にして欲しいと切に願う。

子どもが成長してくると純粋な目で見る分、まっとう至極な当たり前な真実に気づくが、
「ここは日本だからアメリカのお祭りは関係ない」
「うちは仏教だからキリスト教のお祭りは関係ない」
の一点張り。

母にそう言われて母をその宗教に勧誘した人のお家に行くと、そこには立派なツリーやケーキやプレゼントがあり、小さな子ども心に大きな矛盾を感じたものだった。「結局は一貫性を保てないだけなんじゃん!」ハッキリとその宗教と自らの意思で一線を引くようになった14歳くらいでそう思ったっけ。

でも結果いま楽しんでいるから良かったんでしょって話でもない。失われた時間、そして三つ子の魂百までで、少し大袈裟に言うなら、その人の人生や人間形成にも少なからず影響を及ぼすようにも思う。

親側は頑張りすぎる必要すらなく、ただただ普通のクリスマスでいいのだ。
その時にできるもの、できることを、子どもと面白がってやる。経験の記憶が残る。それだけでいいのだ。わたしたちは人間だから欲がある。子どもに限らず大人もきっといろんな場面でもしかしたら死ぬまで「もっともっと」と様々なものを欲しがるだろう。
でも、生まれてからまだ私たちの半分も経っていない小さい人側から聞かれた時にはうまく切り返して工夫して答えられるのが心も身体も大きくなったわたしたち大人、大きな人であるのだと思う。

わたしは母を恨んだりはしていない。1人の人間としての母の性格、複雑な生い立ちや、あの頃に彼女が置かれていた状況などを、大人になったわたしは理解している。ただあの頃の小さなわたしには無理すぎた。

また、わたしは子ども達にクリスマスがなかった可哀想な女の子のお話もほとんどしていなかった。それもまた別のカルマを産みそうだからだ。じっとそこだけは口をジップして、目の前のことを心から共に楽しんだ。よかった。負の連鎖を止めることができて。それだけ。

さて、我が家の上の子はある時からサンタクロースの懐事情を気遣うようになった。
自分の中で「いくらなんでもこのくらいまでだろう」というサンタが納得する価格帯のものしか言わなくなった。

そして満二十歳の今年の返事。
「欲しいもん思いつかないなぁ、1番欲しいのはかなり高額なPCだし。」
「じゃあ、もう二十歳だし今年からサンタクロースからのプレゼントはないってことで、今年は私たちからPC軍資金カンパのお小遣いをプレゼントにする?」って言ったらふたつ返事だった。
あぁ、もう成人したんだね、という気持ちになった。

「毎年いろんなことをして一緒に楽しんできたね。今度はいつかどこかで小さい誰かの夢を一緒に楽しめる大人になってね。」心の中でそう思っていた。

そしてそれは1人の小さな人のお母さん卒業の瞬間でもあった。

下の子もおくてな方ではあるが、もうサンタクロースが夢の世界の住人だということがわかっている。交わす会話から予兆があった。

お友達のサンタクロース事情の違いに困惑していた頃あたりから、わたしが子ども達に話していたのは、
「サンタクロースは、そのお家の人たちが『サンタクロースはもういない』と思ったら、その年から来なくなるんだよ」「その代わりにお家の人がプレゼントをくれるようになるんだよ」と。

そして、夢の世界観を心の中に持っていることで、とても心が豊かで満たされたような魔法のような時間を過ごせるという話しも折りに触れてしている。

本のお話しや映画のファンタジーの世界観が大好きな我が家は、見えない世界の自由さがとても好きだ。そこの曲がり角を曲がったらハリーポッターのダイアゴン横丁 だったらいいのにと50歳のわたし自身もたまに思う。

たまには家族同士でプレゼント交換も楽しいかもと思うときもあるし、ココロやカラダが色々なことでとっても忙しい時には、なかなかファンタジーの世界に浸る気になれないときもある。

でも、わたしの趣味みたいなものや癒しの世界が、本やおもちゃの中にあるので、やはり本やおもちゃたちに呼ばれるようにして引き戻されて、11月あたりからまた今年も長い我が家のクリスマスは始まる。

そしてもう初老に近い年齢になった私は、やはりファンタジーの世界が厳しい世の中や現実の世界からの癒しや憩いの場になってくれることをハッキリと知っている。

ありがとう、小さい人のいるクリスマスを楽しませてくれて。とってもとってもいろんなことをして、大人のわたしも楽しみました。

まだあと少し、下の子が自分でそんな素振りを見せてくるまで時間はあるけれど、小さかった君たち、本当にいままでありがとう。



クリッペに心惹かれてしまうわたし。これはオストハイマーというドイツのおもちゃメーカーのもの。



ますます

国外、アブロード的なこと。ミックスカルチャーな我が家のわたしから繋がる海外。


懐かしい昔の航空券。
この頃はスマホもないのに生きていた!笑
そう思うとなんでも大丈夫な感じがしてくるから不思議。


The Tonight Show Starring Jimmy Fallon
(↑ ショーのリンク貼ってあります)

わたしのニューヨークでの移動手段はほどんどが地下鉄か徒歩。

公園や地下鉄駅の中で急にはじまるクォリティのいいライヴ演奏に出会うと本当に気分が晴れるし、その自由さと人々の温かさに有り難さを感じる瞬間。

わたしはまだ出会ったことがないが、たまにアーティストとJimmy Fallon(ジミー・ファロン)が彼のショーで変装して地下鉄でゲリラライブを行うsubway buskingにいつか出会いたいと思っている。



これはセキュリティもかなり厳しく敷かれているので仕込みもたくさんあるだろうが、それでも2.9ドル(1トークン/メトロカード1回分)で良いライブに参加できるかもって思うだけで楽しい。




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Yoko xmas
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪