フリコが虹の橋をわたって 49日 フリコと娘の深い絆と不思議な話し②
今日で49日。
49日って1週間が7回過ぎたってことなんだ!とこの年齢になって初めて気づく。生きている私たちが心を少しだけ穏やかにしていくのに最低限の必要な時間が49日だとも聞いたことがある。
家族で話して49日を迎えるまではそのままにしておこうと置いてあったフリコの身の回りのもの。
フリコが使っていた食事台は娘が中学生の時に学校の木工作の時間にフリコのために作ったもので、それは思い出が深すぎるので亡くなった後すぐに祭壇にしていた。
フリコのベッド。これはベッドとは名ばかりのオヤツの隠し場所の1つで、ベッド代わりの場所はリビングのあちこちにあったのでベッドだけは塩とセージとともに手放した。
服や小物、階段の登り降りのステップは可愛く使っていた様子に愛着が残っているのでもう少しそのままに。
さすがに最近はフリコの不在を認めはじめてきたわたしだったし、前よりもフリコの気配が少なくなったように思ったのだけど、娘にとってはそうではなかったらしい。
フリコはかなりの頻度で娘の夢に登場して会っているそうだ。
「今日もフリの夢見た」という言葉を娘から聞くのが頻繁になった。
ある日の夢は、フリコがキッチンの定位置(フリコはわたしがキッチンにいると必ずベランダに通じる窓の横にいてそこからわたしが料理を作る様子をいつも眺めていた)にいて「あれ?フリちゃん生きていたんだ!よかった〜」という夢。
またある日は、我が家はニセコに車でよく行くのだが、ワンデイトリップでいつものように後部座席の娘のとなりにフリコも一緒に車に乗っていて、夢の中で既にフリコが亡くなったことは自覚していたが、夢だったら困るから今のうちにたくさん抱っこしておこうと抱っこしたんだと話していた。
肉体がなくなっても、なお娘を気遣って夢に出てくるフリコなのかもと思うと目頭が熱くなって胸が締め付けられる思いだが、娘は泣かずに会えたことをうれしそうに教えてくれているのに、これを聞きながらオイオイとわたしが泣いたなら、ただの自己憐憫になりそうだし、「マミーが悲しむからもう話すのはやめよう」と口を閉ざしてしまったら、もうこの素敵なフリコと娘のドリームタイムで過ごしているかわいいヒーリングジャーニーの一部始終を聞けなくなってしまうので頑張ってグッと堪えてるので、かなり可笑しな変な顔をして聞いているかもとおもう。
濃厚な犬生活をしていたわたし+喘息とアレルギー体質の雪夫の間に生まれた娘は小さい頃は犬や猫に強いアレルギー反応があった。
犬好きの娘にとって、成長して抵抗力がついてアレルギー克服を確認した後の待望の犬との生活だったし、末っ子あるあるで妹が欲しかったこともあり、フリコを自分の妹と呼んでいた。
娘の人生の最初の11年間は犬の生態を知らないので、フリコがうちに来てしばらくは一緒に遊ぶのに人間の子どもを喜ばせるようなことをいろいろしていたりして見ていてとても微笑ましかった。
でもフリコはそんな不器用な純粋な存在をきっと「自分の小さい守るべき大切なもの」と感じていたのだろうと思う。
眠っている娘の枕元にはいつもフリコがいた。
夫が娘に大きめの声で話したりした時は怒っていると勘違いして必ず娘の前に立ちはだかって守るような仕草で吠え返していた。
フリコは個人ブリーダーのおばあちゃんの収入源の多頭飼育崩壊現場から保護された子。子どもを産んでは取り上げられを繰り返して悲しいお母さんだった。
そう考えるとフリコの心残りは娘のことだったのかもしれないなとも思う。
午後に娘が学校から帰宅して袋に入ったフエルトの固まりを見せてくれた。
よく見るとフリコの顔だった。
亡くなってから作ったのかと思ったら、亡くなる前に授業で作っていたものが49日の今日学校から返されたということだった。
これも先日の不思議な話しに加えたいほどの偶然だった。
今日は友達から貰ったワンコのご飯の形のかわいいキャンドルを灯した。
そのほかにもキャンドルをたくさん灯して晩御飯のあとに家族で時間をもった。
今日のために美味しいケーキを買ってきて食べながら、家族それぞれのスマホに入っているお気に入りのフリコの写真を見せあっこして、かわいいエピソードを懐かしく話した。とてもとてもいい時間だった。
感極まってわたしが「フリちゃん、必ず犬の赤ちゃんになってまたうちに戻ってきてね!」と話しかけたら、消えていた食洗機が急にウィーンとついた。
これは絶対にフリちゃんからのサインだったと思う。
ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪