フリコが虹の橋をわたってから 4days passed.
11月29日の夜に愛犬フリコが亡くなって、ああ、ひとつひとつこうやって喪失に向き合うんだったんだよなあって思い出しながら過ごしてます。
今日もまだ見るものすべてにフリコを思っている。
「ああ、これを先日買った時にはフリコはまだ生きてたんだよな」「〇〇しなきゃよかったかな」「〇〇したらよかったな」「〇〇したらまだ一緒にいられたかもしれないな」「火葬場から生き返ったと連絡がくるんじゃないか」「これ自体全てが悪い夢なんじゃないか」
とにかくとにかく、ずっとずっと、フリコまわりのいろんなことが思考の99.9%を使っている。
フリコの不在に慣れたくないのにと魂の底から強く思いながらも、亡くなって5日目の朝には意識が微かに覚めた瞬間に「起きるけど、やっぱりフリコはいないんだよね?」という気持ちになっているなんて、もう毎朝繰り返し悲しい期待をし続けるのに疲れてしまったのかもしれないな。
いつもは毎朝もう少しだけゆっくり寝ていたい時に薄目でフリコを見るのが日課だった。フリがまだ寝ていると少しだけ自分の時間があるから。でも大体いつも目が合って見つかっちゃって「おはよう、フリちゃん」と言うと「おはよう、おなかすいたな」とゆっくり寄って来て、朝の挨拶にわたしの顔をペロリと舐めていたフリコ。それはそれで犬との生活を愛してやまないわたしにとっては願ってもない朝からの幸せなことだった。1日のスタートの儀式のようなフリコとの一連の朝のルーティンがごっそりと無くなってしまい、朝のわたしはすっかり悲しい暇なお母さんになっていた。
そして今回は家族がみんな大人になっているので、徐々に現実を受け入れて向き合おうとしていて全員が大人の悲しみ方なんですね。
先代をなくしたとき、息子は小学校1年生、娘はお腹の中で妊娠4ヶ月でした。こういう喪失の時に、幼児やまだ小さい子やほかの生きものがいると、子どもも亡くなった存在に悲しいんだけれど翌日にはケロっとしている瞬間がたくさん出てくる。大人側も、まあ、小さいから仕方ないか、と付き合ううちに、こちらまで少しだけ晴れる時間が出てそれが増えてくる。それもまたありがたいこと。悲しい中にも新しい発見があります。
誰がお世話たくさんしたとか、誰にいちばん懐いていたとかじゃないな、とまた思っています。夫や子どもたちもそれぞれが、わたしが居ない時や、見ていない場所でフリコとのサシで話したり関わっていた7年間がそれぞれあって、その重さは比較したりするものじゃないな。
先代の時はそれが理解できていなかった。まだ子どもたちのいない結婚当初に子犬から育てて2年の介護を含めて15年間。一緒にいた年数で言うと中学3年生。ついドラマティックになって悲しみを撒き散らしてしまった。もちろん、そういうのが必要な時もあります。でも今振り返ると、わたしの場合は、わたし自身が子どもでした。
みんな決して忘れるわけなんかないんだけれど、同様に右習えに喪に服し尽くす方法ではない、故人の死を悼む在り方が違うだけ。わたしが眠落ちするまでは悲しんでいても寝たら口を開けてイビキをかいている時に、別の部屋で眠れずに枕を濡らしているのかもしれないのだから。
いつもと違う様子で悲しみをそれぞれのタイミングと方法で感じている家族一人一人を家の中で感じて、わたしも少しまたゆっくり悲しみながら、お互いに優しくありたいとおもう今日です。
昨日は子どもたちが中華料理の晩御飯をつくってくれました。
いつもは食べる専門で、たまに食べたいものがあったら作る、くらいの人たちが、お願いしたら「いいよー」とすぐ作ってくれることになったのもいつもと違っていて、自分たちが感じてる悲しみだけど、マミーはもっと悲しいと思ってくれるんだな、とまた涙ぐむ。
娘はエビチリを生の海老から、息子は卵スープを。
あちこちの美食たべ歩きが好きなわたしですが、忖度なしに(笑)とても美味しいエビのチリソースと繊細で上品な卵スープにじんわりと身体のなかから癒されました。
悲しい中では書けるけど、写真はさすがに忘れますね。
それも、また、いいね。