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遠い異国の地のご先祖様のお墓


最近のわたしは

加齢からの更年期や体調不良などで

魂がだれかと入れ替わったかのように

若い頃には興味がない/行かないようなことや場所に

急に心奪われたりしていて

そんな自分自身が非常におもしろく意外性に驚かされている。



これはそのひとつ。

いつか行きたいと思いながらも家族は誰もまだ行けていない

チリのバルパライソにあるという御先祖様のお墓を

なんと明治末期から昭和初期にかけて

世界中を旅した探検家の菅野力夫という人が訪れていて

当時撮影した写真を探検後に絵葉書にしたものが

古書を扱っているネットショップで見つかったのだった。


インターネットの恩恵としか言いようがない。


わたしの曽祖父のことは子どもの頃に両親や祖母からは聞いていたが、

馬の耳に念仏というか、どんな話も興味を持たなければただの自然音。

大人になってはじめてその意味がどういうものかがわかった気がする。



インターネットで調べることが出来たのは以下の通りであった。

明治9年仁王小学校での展覧授業。
日本で初めての英検合格者(未確認情報)。
明治33年頃、福井県武生中学校教諭。
明治34年、岩手県福岡中学校の校長に就任。
大正2年、大阪四条畷中学校の校長に就任。
大正10年、軍艦浅間で世界周遊中にチリのバルパライソで死去。


以前に調べた時には

軍艦浅間の航海中の日誌のようなものの写真が見つけられたのだが、

今はそのページが見つからなくなってしまってとても残念。

こんなことなら保存させて貰えばよかった。

確かにブログ主にさほど意味を持たない記事は

ある日突然に消されてしまってもいたしかたがない。

そこでふと思い立って

このnoteの別記事に曽祖父の記事を加筆しながら残していこうかなと思い至った。

これならば曾孫のわたしが消去しなければ

曽祖父の軌跡はまた暫くは残り続けて

我が家の子ども達がある日わたしの様に気になりはじめた時に

また見つけることができるだろう。



この写真は叔父に少しだけ似ている気がする。

そういえば叔父も教師であった。

眼鏡とジャケットがお洒落なひいおじいちゃん




チリのバルパライソの病院で胃癌で亡くなったらしい。

軍艦での世界周遊とのことであったが船酔いもあったろうし大変だっただろう。


いつか妹と2人でお骨を拾いに行けたらいいなあ。

スペイン語、勉強しなくちゃ。







ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪