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リーキーアテンションの人が創造的思考力を最大化するには?

先日、クラタツさんのセッションのアフターフォローを受けました。今まで言語化できなかったモヤモヤが見事に解消されたので、それについてシェアしたいと思います。

クラタツさんが作ってくれた資料

クラタツさんのセッションの詳細はこちら↓

■リーキーアテンション

リーキーアテンションとは、何かをしている時に、目の前のことから連想される、全く関係ないように思える出来事が思い浮かんで、思考が違うところに行ってしまうという特性です。
私は小学校2年生の時からこの症状を自覚しており、家で勉強している時に全く関係ないことを考え始めて、勉強が全然手につかないという症状が現れます。
学校の授業でも先生の話を聞きながら全く関係ないことを考えて、気づいたら先生の話を聞いていないということが起こってしまうのです。
目の前のことが少しでもつまらないと思ったら、それよりももっと面白いことを思い出して、そこに逃げてしまうのです。
そして、逃げてしまうという行動を自分で止めることができないのです。
しかし、リーキーアテンションの人は他の人が思いつかない革新的なアイデアを考えることができるという一面もあります。
この特性のおかげでクリエイティブな仕事では、自分の創造的思考力を発揮することができます。

■「フレーム」が与えられて初めて想像力がカタチになる。

「クリエイティブな人」っていうと、「内から沸き起こる何かがある」とか「自分が表現したい世界観がある」という芸術家のようなイメージを持たれるかもしれません。自分も自分のことをそのように考えていました。
実際に自分はクリエイティビティを発揮することにより、第一志望の学部の入試で実技最高点を獲得することができました。

しかし、入学後は授業の課題で何かを制作することはできても、自主制作で何かを夢中になって作るという経験はあまりできませんでした。自分はクリエイティブな特性があるし、その特性を発揮したくて美大に入ったはずなのに、なぜ自分は何も作り出せないのか、それをずっと言語化できずモヤモヤしていました。

先日、クラタツさんのセッションでそれを言語化することができました。自分がクリエイティビティを発揮するには、アイデアの行き先となる「フレーム」が必要なのです。つまり自分はテーマが与えられ、明確な評価基準が与えられて初めてクリエイティビティを発揮できるのです。

入試の実技で最高点を獲得できたのは「テーマ」が与えられていたから、そして評価基準を正確に把握することができたからで、それが自分のアイデアの行き先となる「フレーム」でもありました。
また、ブログを書くときは、そのブログがフレームとなるし、何かデザインを作るときはそのデザインがフレームとなるのです。
逆に、完全な自由を与えられると、自分は何も表現できないのです。

クラタツさんの話を聞いて、ドキッとした言葉があります。
そのフレームがあって初めて私は「いま、ここ」に存在することができる。
フレームがなければ私の意識は過去や未来、あるいは「もし〇〇だったら」という架空の妄想をする旅に出かけ、「いま、ここ」に存在することができないのです。

小中学での勉強は一つの問題に対して、一つの答えがあり、その答えから外れれば不正解となります。そこには私のクリエイティビティが介在する余地がありませんでした。
そうなると、私の意識は目の前の問題よりももっと楽しい何かを考えることに逃げてしまい、それを自分で止めることができませんでした。

■なぜ「デザイン」なのか

そして、自分はアートではなくデザインの方が向いていると自分で何となく感じていたのですが、それも、デザインには自分のアイデアの行き先となるフレームが存在するからだということにも気づきました。
デザインにはそれを届ける相手がいて、その相手にとってほしい行動があります。こちらが意図している行動をユーザーがとってくれるかどうかがデザインの明確な基準になります。リサーチを通してユーザーの課題を把握し、理想とのギャップを埋めるための手段を考える、そこに自分のクリエイティビティを発揮する余地があるのだと思います。


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