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待つということ
「待つ、ということは誰かと共に生きている、ということ」
むかし何かでこんな類の言葉を読んだ気がします。
当時はあまりよくわかりませんでしたが、
あれから幾年の時が経った今、
少しずつその意味を味わえるようになってきました。
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待つ、という行為は、なんだか寂しいことのように感じます。
でも、もし世界にたったひとりしかいなければ、
待つ、という行為や概念そのものが消えてしまうでしょう。
そう思うと、誰かの返事や到着、帰宅を「待つ」時間が
妙に愛しく感じるようになりませんか。
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実際、世界のどこを探しても
たったひとりで生きている人なんていません。
生きるということは、それだけで
知らないうちに誰かに助けられていたり、
逆に誰かを助けていたりするものです。
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与えられた日々を大切に、周りの人々を大切に、
今日も誰かを待ったり待たせたりしながら
その誰かと毎日を紡いで生きていく。
「待つ、ということは誰かと共に生きている、ということ」
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誰かの帰りを、エクスレディアの明るい光のもとで待ちましょう。
今日もまた「おかえり」が言えることは
なによりも素晴らしいことです。
エクスレディアの光を灯して待つ誰かのもとに帰りましょう。
あなたのために明るい光と笑顔でおうちを満たしてくれる
あの人に「ただいま」を伝えましょう。
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