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ドラマと絵巻
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第五話を見た。思いたことを二つ、ここに記しておきたい。
ドラマの中で一瞬にすぎた小さな場面があった。山本邸討ち入りの勝利を終えた頼朝と宗時義時三人が集まり、頼朝は東国の土地を支配する方針を明らかにした。大事な議論だったが、それに入るまでの動きは興味深い。対座する場に移動するには、三人ともに歩き、最後につく義時はとりわけ両手で果物を盛った盆を持ち運んでいる。考えてみれば、この動きも、義時に与えた役目も、どこにも必然性がない。
しかしながら、個人的には絵巻の中の一場面をすぐに思い出した。あの『後三年合戦絵詞』の出だしである。「E国宝」で公開されているので、簡単に閲覧できる。つぎはその部分だ。
運ばれているのは酒であって果物ではない、運び主も無名の武士で物語で主役を張ることはないが、それでも二つの場面を横に並べて、どうしても既視感を拭えない。
『後三年合戦絵詞』を出した以上、今度の第五話のハイライトがまさに同絵巻の中巻第三段が描いた物語と重なる。絵巻の中で、義家に向かって、家衡の乳夫だった千任は詞戦を挑んだ。そのセリフは「かたじけなく重恩の君を攻めたてまつる不忠不義の罪、さだめて天道の責めを被らむか」と見えを切った。(「絵巻詞書集」参照)
これに対して、石橋山のなかで、大勢の大庭景親に向って、無勢の北条時政は同じく言葉で挑んだ。
かれは、堂々と「わが主は、…」と語りはじめ、「この裏切りものめが。そちらは佐殿の御父源義朝に仕えたのではないか、なに故に平家に媚び諂う。」と問い詰めた。対して、景親は、「さきの戦で源氏が朝敵になりさがった時に、わが命を救ってくれたのは平家である。その恩は海よりも深く山よりも高い。」と応対し、時政はつかさずに「一時の恩にしたって、先祖代々の主の恩を捨てるのは、情けなや情けなや。死すこそ後世に名を残すこそ望むべきである。」と責め立てた。坂東彌十郎も國村隼もさすがの演技だった。現代語にアレンジした言葉の格調高い応対を、じつに流麗に語り上げ、いつも文字で追っていた語句が声となって耳に飛び込んできて、貴重な体験だった。
ちなみに「後三年」にみる詞戦のこの場面をめぐり、画像表現における一つの定型を成したものだとかつて論考したことがある。(「後三年の合戦を絵に聞く」、『文学』2009年9月号)ドラマとなると、さすがに時政を高台に立たせたりするような無理をしなかったことには、眺めていてむしろほっとした思いだった。