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『的中地本問屋』を開く(その一)

どこの世でも、人々はプロの仕事の手のひらを覗きたいものだ。書籍に夢中する読者なら、出版のプロセスがその好対象だろう。そのような好奇心を満たすには、江戸後期に刊行された愉快な黄表紙がある。作者はあの十遍舎一九、遊びや洒落が詰まった、文句なしの快作だ。

作品は、二冊からなる。タイトルの読み方は、「あたりやした・ぢほんどいや」、現代風の表現に置き換えると、「大当たりだ、出版・本屋」といったところだろうか。

出だしの扉ページ。出版とは、あくまでも商売。無尽の種を操り、自由自在に絵と言葉を編み出し、「金のなる木」を「彫(ほじく)る」と口上を述べる。言ってみれば、本屋の生き方を堂々にして明快な宣言だ。

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これに続き、見開きの絵と、比較的に文字の少ない文章をもって、出版にまつわる面々をテンポよく披露した。

まずは、一つの作品は作者から出発する。才能ある作者を出版元が抱えることが前提とし、売れる作を目指して、まずは作者を招待して持ち上げる。ただし、ここの場合は、振る舞う酒に妙薬を入れると言って、その名は「干鰯馬糞」、その中味には「百姓の身の脂」まで混ぜ込ませたのだから、恐ろしい。まずは作者自身が自嘲自虐と、低姿勢での登場だった。

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作品が出来上がれば、制作のプロセスが始まる。その一番目は、版下を彫ることだ。時間の掛かる作業だが、十分の余裕がない。一刻も争う工程だ。いまのドキュメンタリーなどで腕前の素晴らしい彫り師のことはよく見かけ、そこからつい個人奮戦の孤独なものだとイメージするが、それが集団作業だったということを忘れてはならない。無関係な会話が盛んに飛び交う賑やかな空間なのだ。

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版木が出来上がったら、一気に摺りあげる。ここも時間との勝負だ。製品があっという間に山積みになるだけに、熱気あふれる現場だ。「一日に一人で何万枚」とあるが、黄表紙作なら、一巻は五枚綴り、この作だと二巻構成で十枚、さしずめこの作を一人で千冊も作り上げるという計算になる。どうも水が入った言い方のようだが、破天荒な数字でもないのか。

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ここまでは想像しやすい典型的な作業だが、しかしながら、並べる、天地を揃える、表紙を付けるなど、店頭に並べられるまでにはまだ六つの工程が待っている。

ここまで挿絵に利用したのは、国立国会図書館蔵の底本である。「江戸絵本とジャポニズム」というオンライン展示では、とりわけこの一作を小さい画像で紹介している。これと同時に、早稲田大学図書館のデジタルコレクションにおいても、所蔵のこの作を早くからデジタル公開している。

とりわけ特筆すべきなのは、東京都立図書館は、同じタイトルを所蔵し、しかもそれを利用して、動画音声メディアに作り立てた。原作を部分ごとにクローズアップすると同時に、原文を全文朗読し、朗読の内容を活字で同時に表示するという、手の込んだ丁寧な動画なのだ。さらに、こちらには音声が付かないが、内容や対話の抜粋に対する英文訳を添えたバージョンまで用意した。公開元は、東京都都府。ただ、記録を眺めてみれば、サイトの登録者が十五万人に対して、五年半以上の公開で閲覧数は三千に満たず、英文のほうは四年半で五百にも届かない。この数字はいかにも寂しい。こんなに愉快にして情報満載、だれでも楽しめる江戸作への関心を持たせる方法は、どこにあるのだろうか。

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