見出し画像

インタビューの難しさ。『誰か「戦前」を知らないか』山本夏彦


大正4年(1929年)生まれの山本夏彦さんが、自分の知っている戦前や知らない戦前まで、若いインタビュアー(?)に向かって軽快にしゃべる昔話。戦前の庶民生活のディテールの細部がとてもおもしろいのだけれど、同時に仕事柄、私もインタビューすることが多いので、読みながら警戒心もピクピク動きます。

本やその他の資料で確認できる事実はいいとしても、個人の記憶はあくまで個人の記憶。そもそも人は忘れるし、自分を美化したくなるのは当然です。今も昔も、新聞記事は間違っている部分が多々あるし、政府や軍隊の正式発表はウソまでつきますから。

ともあれ、戦争中の地方都市の食料事情とか、東京でも隣組の組長さんたちの役得とかの話を読んでいると、数年前に専門家の人から聞いた話を思い出します。

「戦前は全国民が戦争に動員された」イメージがあるけど、実際の日本の戦争動員率は、ゆるかったイタリアよりも低くて2%前後だった。

でも、多くの人が、戦争中に不本意なことをやらされたのは、軍隊とか、隣組とか婦人会に、強制されたことにしちゃった。あとは、忖度しすぎとか。気に入らない人を、「非国民」っていじめたり。

私の曾祖母はアメリカで生活していたので、日米開戦後は収容所に入れられたれど、山崎豊子『二つの祖国』のつらい収容所イメージとは逆で「待遇は悪くなかった」と言っていた。これは本当なのか、曾祖母の収容所だけたまたまそうだったのか、それとも月日がたって美化されたから(戦後のほうが生活が苦しくなったから)なのかわからない。孫(母)を心配させないために言ったのかもしれないし。

だから、曾祖母一人の意見だけで「アメリカの収容所はひどくなかった」と一般化することはできない。同じように、山本さんの思い出話だけでも、「戦前」が全部こうだったとは鵜呑みにできない。

山本さんは、『きけわだつみの声』に反戦学生の意見ばかり載せ、「お国のために」の文章もたくさんあったのに載せなかったと証言している。そんな話は、当時なら十分ありそうに思う。

事実としては、確かに両方の意見があって当たり前だけど、戦前は「お国のために」の意見ばかりが表に出られて、反戦的な意見は公にできなかったから、戦後に反戦的な文章の方を重視したくなるのは人情だと思うし、必要だったと思う。そして、この手の本を読む私たちは編集者の意図が介在していることを覚えておく必要がある。

もっとも、戦後は公職追放された大物右翼たちでさえ、自分も戦争に反対だったとか、民主主義者だってGHQに嘆願したとのこと。鶴見俊輔さんは『戦争の残したもの』の中でこんな証言をしている。庶民の小さな戦争の話よりも、むしろこっちの政治家や軍人たちの無責任な資料こそ公開されるべきだと思う。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集