戦前に伝説だった人。『頭山満 アジア主義の実像』嵯峨隆
頭山満(1855-1944)は、明治から大正、昭和にかけて活動したアジア主義者。もう、ほとんど忘れられているといっていいような気がしますが、ブレイディみかこさんの同郷とか、伊藤野枝の小説『風よあらしよ』の紹介でも出てきたので、どんな人か読んでみました。
天皇主義者で、アジアと連帯して、欧米に対抗しようという思想の持ち主だった頭山。彼は、亡命してきたインド人のボースや中国人の孫文、朝鮮人の金玉均なども支援しました。でも、政治家でもなければ、軍人でもありません。
頭山は、福岡藩士の息子として幕末に生まれました。儒教の教えの濃い土地で生まれ育ち、「人の自由なんてとんでもない」、国や政府の権限を大きくすべきと考える国権主義者。でも、個人的には民権主義者の中江兆民と親しかったとか。
あとは、天皇主義者なのに、なぜか中国革命では孫文を支援しました。普通は、皇帝がいて議会がある国のスタイル、つまり立憲主義の人を応援しそうなのに。でも、孫文を支援した理由が「最初に会ったから」。つまり、思想より義理ですね。後から来日した立憲主義者の中国人を支援しなかったそうです。
そんな頭山満は、最近「右翼だけど、度量が広かった」なんて言われることもあるそうですが、やっぱり任侠の人っぽいですよね。思想より、行動がすべて。『中村屋のボース』を書いた中島岳志先生は、頭山には「思想がない」「思想に無頓着であろうとした」と指摘しています。
日本が「東洋の盟主として近隣諸国と連帯する」とか、「天皇主義でアジアをまとめる」とか、現代人としてはちょっと理解しにくい考えですが、戦前だとそれが割とスタンダードでした。そして、頭山満は一般大衆にはすごく人気だったようです。確かに、インドから亡命したボースを政府からかくまったり、金玉均や孫文を支援したり、民衆の味方っぽいです。
ただ、明治・大正にはそれなりに活躍したものの、昭和に入るとあまり活動できなくなり、発言しなくなります。それどころか、息子が暴走して、盟友の犬養毅の暗殺に関わることも止められない。それでも、人々は頭山の無言を勝手に解釈して、彼に期待していきます。不思議です。
世界の流れのわからなさ、政治のふがいなさとか、いろんな理由はあるのでしょうけれど、なんとなく大昔にドラマで見た西郷隆盛を思い出しました。明治維新の後の武士たちの不満を、みんなまとめて引き受けた姿は印象に残っています。もちろん、現実の頭山満は年取っただけかもしれませんが。