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分断と連帯の二〇世紀『スポーツからみる東アジア史』高嶋航


オリンピックにゆれた、この3年あまり。タイムリーかと思って読んでみましたが、思った以上に大昔から、スポーツと政治がガッチリ組み合わさっていて驚きました。

個人的に、一番印象深かったのは序章の戦前部分。日本人で初めて国際オリンピック委員になったのは、東京高等師範学校長の嘉納治五郎。1909年なので、今から百年以上前。同じ頃、東アジアでは極東オリンピックが準備されていて、これはYMCA案件。

身体、知性、身体の調和を理想とするYMCAにとって、身体鍛錬はよきクリスチャンとしての義務。アマチュアスポーツを推進して、イギリスの階級社会の中でジェントルマンと労働者を区別する役割を果たしたそうです。これが植民地に持ちこまれると、非植民地の人たちを文明化して、植民地支配の一翼を担うものになったとか。

夏のオリンピックはそうでもなくなりましたが、冬季オリンピックがヨーロッパの白人中心で、アジアの選手が活躍するとルール変更になるのって、こういうあたりに起源がある気がします。

一方で、そういうヨーロッパのおごりみたいなものに反発した嘉納治五郎は、日本はオリンピックに参加して文明国の仲間入りをしたのに、なぜアメリカに文明化されないといけないのか、東洋の先進国日本は、「未開劣等の国」「かの憐れむべき四億の清国人」を指導すべきだと考えた。

はたまた、インドはイギリスの植民地だけど、アーリア人種ですでに文明化されているから、他のアジアの国なんかと連帯を拒否した。でも、戦後独立して、アジアの連帯を訴えたとか、いろいろ考えさせられます。

高嶋先生の本は、戦後がメイン。なので、アジアの国々が戦争被害の後、どうやってオリンピックに参加するようになったのか、政治がらみのお話が続きます。中国と台湾(中華民国)の衝突や駆け引き、それをあまり理解できないヨーロッパの国の気軽な対応とその後のトラブル。

敗戦後の日本への、アジア諸国の冷たい対応は当たり前ですし、そもそも戦後直後のオリンピックは日本とドイツが招待されません。でも、その後は辛い状況を笑顔で克服していく日本人選手のエピソードがいいです。個人対個人は、いつだって友好的にできるけれど、国や政治がからむと難しいのが残念。

冷戦、そして、オリンピック委員会からの台湾追放など。高嶋先生の本はメインの話題が冷戦と、アジア大会。つまり、政治とスポーツの問題と、ヨーロッパ中心の国際スポーツ組織とアジアの関係。2つが複雑にからみあっていく、国際政治の本のようなスポーツのお話。新書ですが、読み応え大です。



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