つるがアーケードツアー②-駅前商店街のアーケードにはテレビが埋め込まれている!?-
敦賀の中心市街地を「わたしなり」の楽しみ方で紹介する「つるがアーケードツアー」。①では、駅から連なる約2kmのアーケードがあること、そして、その間に5つの商店街があること、アーケードのデザインが異なることなどをざっとお話しした。
今回からは、そこをもう少し掘り下げて、5つの商店街それぞれのアーケードの特徴や見所について紹介していく。
駅前商店街とは?
JR敦賀駅を降りてすぐ、駅ローターリーから伸びる駅前商店街。周辺にはビジネスホテルやお土産どころがいくつかある。地元民だけでなく、駅前という立地から多くの人が行き交う商店街だ。
商店街の中心には、5つの商店街の中で唯一の歩道橋があるが、歩道橋から駅に近い側は市外から来る方が中心、歩道橋から街側は地元の人の利用が中心と、客層が全く変わるのが特徴なのだそうだ。
アーケードの長さは市内の商店街の中では一番。
そんな駅前商店街について、駅前商店街振興組合の理事長を務める河藤さんをはじめ、商店街の歴史に詳しい方にうかがったお話をまとめた。
レンガ調の柱が特徴
駅前商店街のアーケードを眺めながら歩くと、まずはレンガ風に装飾された柱に目がいく。
アーケードの改修が行われたのは、1990年代のこと。当時、駅前商店街のアーケード建設委員を務めていた方に改修のきっかけを聞くと、「1999年の開港100周年に合わせて各商店街がリニューアルをしていく流れがあり、それに合わせて駅前商店街も改修を決めた」とのことだった。
アーケードのデザインはコンペによって決定。5~6案くらいあったそうだが、このデザインが選ばれたのはアーケード改修のきっかけにもなった「港」をよく表していたからだという。
港をイメージしてなぜレンガなのか。それは敦賀の港に、「赤レンガ倉庫」という観光施設があるからだ。
今でこそ観光施設だが、かつては石油の貯蔵などに実際に使われていた建物で、国の有形文化財にも指定されている。ロシアやヨーロッパへの航路を持つ、日本と大陸を結ぶ重要な港であったことを象徴とする建物であることから、敦賀市民にとっては港=レンガなのだろう。
他にも、アーケードサインや天井、側面にも「〜」の形状が用いられたりと、確かに港の雰囲気がよく現れている。
テレビまで!?柱に色々詰め込んだ斬新な機能
このレンガ柱、ただレンガ風になっているだけではなかった。アーケードには珍しく、かなり太い柱になっているのだが、そこにはいろんな機能が備えられていた!
歩道側には掲示板があったり…
ちょっと良さげな時計に、信号機の制御装置、さらにテレビまで!!
公衆電話が埋め込まれたものもあったそうだ(今もある?)。建設当時を思えば、かなり斬新だったのでないだろうか。
ちなみにテレビは、「歩行者に楽しんでもらえるように」と付けられたそうだが、公共空間なのでCMが流れる民放の放映はNG。そのため、地元のケーブルテレビを流していたそうだが、騒音の苦情が寄せられ今では放映をやめてしまったそうだ。
駅前商店街を散策!
アーケードのデザインを堪能したところで、その他の駅前商店街の見所を紹介していく。
老舗土産物屋(閉店)ビルの野球帽たち
2021年9月末で閉店してしまった「魚辻」さんのビルには、各種球団のロゴマークと、中央には球団たちと同じように「YOTARO」という見たこともないマークが。
「YOTARO」の謎は解かれることなく閉店してしまったが、なぜここまで野球推しなのかというと、「ヒゲ辻」の愛称で親しまれた阪神タイガースの辻佳紀選手のご実家なのだそうだ。
もしかしたら「よしのり」選手は幼い頃「よたろう」と呼ばれていたのか…?
はしかめ
ちょっと古風な名前とメルヘンデザインなビルという、一見ミスマッチな組み合わせがかわいらしいこちらは、ファンシーショップの旧店舗だ。今は駅から一番近いショッピングモール「アルプラザ敦賀店」内に店を構えている。地元の方からは「昔はおもちゃ屋さんだった」という話もよく聞く。
今は、何かしらの物流倉庫として使われているようで、中に入ったりすることはできないが、半開きのシャッターからは、入り口に描かれたかわいい動物たちが見え、ちょっと不思議。
銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトのブロンズ像
忘れちゃいけない敦賀アーケードの名物といえば松本零士氏の『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』のブロンズ像たち。
駅から商店街に向かって右手に『銀河鉄道999』、左手に『宇宙戦艦ヤマト』の名シーンを象った銅像が並ぶ。駅前商店街は『銀河鉄道999』側のスタート地点で、右手をずっと本町1丁目商店街まで行き、左側に移り折り返すと、今度は『宇宙戦艦ヤマト』のブロンズ像があり、駅前商店街が終着点となる。
これらは「鉄道と港のまち」という敦賀のキャッチコピーにちなみ、開港100周年の記念事業として作られた。松本零士氏や作品と敦賀の間に関係性はないそうだ。
その他
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