広島──「日常」の中の”ハッキョ”
日本には様々な学校があるが、その中でも日本国内で生活する外国人のために設置されている学校というのが幾つも存在する。その中でもひときわ有名なのがいわゆる朝鮮学校だろう。朝鮮学校とは在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が運営に関与する民族学校であり、特に近年、安倍政権以降では全国高校の無償化から対象外とされるなど、それを取り巻く環境は厳しい。
今回私はその朝鮮学校に縁があって訪れることができた。訪れたのは、広島朝鮮初中高級学校。中国・四国圏で最大級の規模を誇り、学生寮も備えている同校は、地域でも非常に古い歴史を持つ朝鮮学校だ。
体育館に咲く花よ
6月中旬の昼下がり。広島の市街地を少し離れた山の上にひときわ大きいそびえ立つ。正式名称を「広島初中高級学校」というだけあり、幼稚園〜高校まで、最大15年間の教育を可能にしている。そのせいか、一般の学校よりかは幾ばくか大きくも見えるし、何より学生寮も備えているのが特徴的だ。
この日、広島朝高で行われる文化祭への誘いを受けて訪れた私と朝鮮趣味者一行は、案内員同志として招待してくれた同校OBの方に付き添われて校内に入る。正門で受付を済ませると、ちょうど少し後にオープニングイベントが行われるということで、昇降口上がってすぐにある体育館に入った。
──体育館の舞台ステージ緞帳のデザインに目を奪われた。右下に広島朝高を配し、左から金剛山、金日成花、そして中央にチュチェ思想塔。塔の背後には白頭山に光明星。共和国を思わせるアイコンの集合体をここまでバランスよく配置するセンスには脱帽する他なく、何よりここまで凝った緞帳を見れば、同胞社会に大切にされた学校であるのは一目瞭然だった──
オープニングセレモニーは、幼稚班から高級部まで総勢80余名の合唱から始まった。それにしても全盛期に比べ、現在は全部を合わせても三桁人数を切ってしまう現実は朝鮮学校が抱える「統廃合」の問題が切実なものであることを思わせてしまう。
合唱の後は幼稚班から順番に演目を披露するわけだが、個人的に特に印象に残ったのは、初級部の「農楽」と高級部の「歌と踊り」の演目だ。農楽は名曲「青山里の豊年」に合わせて朝鮮の伝統芸能である農楽を踊るもので(私自身がとにかく農楽が好きということもあるが)、小学生とは思えないほど機微が表現された踊りには舌を巻くばかりだった。そして高級部の「歌と踊り」は、集団での踊りにメインがあるようなものだったが、使用された曲は「我らは万里馬騎手」。在日コリアンのイベントの多くは民族歌謡などが多いので、この手の曲が使われる機会が少ないだけに、ある意味で「サプライズ」のような曲の登場に心が踊る。
それと同時に、やはりこの文化祭などは朝高を軸とする同胞社会に向けたイベントとしての側面が強いことを感じさせるには十分だった。
広島朝高という「美術館」
オープニングセレモニーを観た後は校内を見学。それにしても広島朝高の校内は、もはや「美術館」とさえ呼べるだろう。各階の色んなところに万寿台創作社が書いた油絵が展示されており、朝鮮愛好家からすれば興味が尽きない。展示されている絵は朝鮮の名所旧跡を描いたものが多いが、平壌欲張りセットを背景にチョゴリを着た女性が3人全面に出ている絵は、まさに「地上の楽園」と呼ぶにふさわしい。
また広島朝高は、都市圏のそれに比べて朝鮮の往時を偲ぶものが多く残されているようにも感じた。教室のドアガラス越しに室内を見渡すと、黒板の上に金日成・金正日の肖像画がかかっているのが見えた。近年、主に都市部の学校で外部の人を招くイベントを行う場合、この手の肖像画は外す傾向にある。
──肖像画のかかっている教室を見渡す。黒板の右にはマルスム(金日成・金正日の言葉)、黒板の左には子供に囲まれている金日成の絵画が飾ってある。少し無造作にずれている机が、ここが日常的に使われている教室であることを主張している。この一つ一つが、ここが生きた朝鮮学校であることを実感させた──
ユッケジャンと青春のハッキョ
校内を一通り見学したあとは、昼食を摂りに体育館に戻る。食券制で体育館後方の各ブースで好きなものと交換する形式で、今回は折角なのでユッケジャンクッパを頂く。見た目の印象に反して辛さよりコクが目立つこのクッパを、BGMの朝鮮歌謡と共に味わえるのは非常に有り難い。
周囲を渡してみると(当然ではあるが)多くの卓は家族で訪れており、家族同士で挨拶をしている光景もしばしば見かける。一応学園祭という形で外部にも開かれているとはいえ、やはり基本的には同胞社会のイベントとして扱われているのだろう。
しかし一方で、ブースで買い物をしていると「(案内員同志)の知り合いかい?」と声をかけられ「ぜひ楽しんでいって!」と歓迎されることが度々あった。一般に同胞社会というのは閉鎖的だとする認識は存在している。それについては否定するつもりもないし、それはかつて(さらに言えばそれは現在でも)日本人による差別的な事件などが関係していることもあるだろうし、致し方ないのは事実である。だがそうであっても、同胞社会の中には、我々を歓迎してくださる方もいるという事実は忘れてはならないと感じたし(当然同胞社会の中では、そういったことに温度差はあるだろうが)、そのような草の根の友好の機会を適切にとらえることは重要であると痛感した。
午後はアカペラ大会、朝高生有志によるバンド演奏、そして広島朝鮮歌舞団による演目が実施された(アカペラ大会ではオタクチームで出場したが、これは割愛)。学園祭なだけあって、朝高生の有志グループや教職員によるアカペラは会場全体で盛り上がる。審査員が点数をつけて順位つけするというガチンコ方式の勝負、合計7組のアカペラはどれも接戦だったが、最終的に朝高生の有志グループが優勝した。
──朝高生有志によるバンド演奏は、まさにどの日本の学校でも見られるような学園祭バンドという感じだった。彼らは朝鮮語を巧みにメロディーに載せながら、サイリウムを振って盛り上げている学生たちと一緒に楽しんでいる。その光景はどこにでもいる普通の高校生そのものであり、このイベントこそが、誰にでも訪れる、あの青春の1ページなのだろう──
「日常」の中に生きる
朝鮮学校の学園祭を通じて感じたことは、きわめて当然の帰結として、朝鮮学校で過ごされる日常の多くは、日本の一般的な学生生活と変わらない「青春」ということだ。
現在朝鮮学校を巡っては、高校無償化の対象外とされており、そのために朝鮮学校の入学者数が大幅に減りつつあるという。この学園祭でも「創立100年」というフレーズがたびたび飛び交っており、また聞くところによると将来に残せるかがシビアな問題として捉えられているという。
教育と政治を巡る問題は、特にこの朝鮮学校を巡って顕著になっている。無償化対象外という、日本に住む一般市民に公然と向けられた差別はいまだ解消される見通しがない。そしてその政治決定が奪っているものは、まぎれもない、ごく普通の学生の日常であると強く感じる非常に貴重な一日になった。
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