丹東の怪しいツアーで北朝鮮の農村をみてきた話
はじめに
一般に北朝鮮を直接見るなら韓国から板門店にいくのが一般的だ。しかし北朝鮮が国境を接している国のうち、もう一つ北朝鮮を見ることを売りにしている都市がある。それが遼寧省に位置する国境都市丹東だ。
北朝鮮の友好国である中国から見える北朝鮮と、鴨緑江のヴェールに接する丹東の今を見てきた。
丹東に行こう!
自分の住んでいる北京から丹東に行くには主に3つの方法がある。早い順に飛行機、高速鉄道、夜行列車という具合だ。所謂「チョソンクラスタ」としてこの中から選ぶなら、勿論かの金正恩総書記が電撃訪中に使ったであろう北京─丹東を夜行列車で行くのが礼儀だろう。
午後3時過ぎ、午後5時半ごろに出る列車に余裕を持って北京駅に到着し、旅の同行者に落ち合う。今回このオタク旅行に同行してくれたM氏とは、少し前にDMで「丹東行きません?北朝鮮見れますよ」と誘ったばかりの間柄だ。オタクはすぐよく分からない旅行に人を誘いがち。
駅の電光掲示板に映る海外都市などを眺めて、大陸鉄道の本気を感じつつ改札へ。23年現在、外国人であってもパスポートさえあれば、もはや切符の発券無しでパスポートのチップを読み込めば乗れるので非常に文明的だ。
今回乗車した軟臥車は4人部屋のコンパートメント。廊下に2つほど一応コンセントはついているので充電できないことはない。
定刻になりするりと北京を抜け出した車窓は、天津を過ぎる頃にはすっかり暗闇に包まれ、ときおり見える明かりと行き違う列車が大陸の荒涼な大地を映し込んだ。
丹東、そして朝鮮戦争と海産物
一晩寝て朝起きると、列車は残雪残る遼寧省の奥地を走っていた。そして一時間もしないうちに、北朝鮮の国境都市丹東にたどり着いた。
丹東駅のプラットホームに降り立った我々は、ホームでのオタク撮影を職員に咎められつつも無事駅の外へ。北朝鮮に背を向けた建国の父毛沢東の巨像が一行を歓迎している。
とりあえず荷物を預けてもらおうと宿泊先(中連大酒店)に向かうと、朝8時前にも関わらずチェックイン手続きが終わり部屋へ。鴨緑江ビューが売りのホテルからは中朝友誼橋と鴨緑江断橋を目の前に望むことができる。
一通り準備をして最初の観光地である抗美援朝記念館へ。中国側では「抗美援朝戦争」と称される朝鮮戦争に参加した中国人民志願軍に関する展示が行われている博物館ではあるが、展示物自体は特段珍しいものはなく、また丹東市街地から少し離れているため、あまりマストな観光地ではないだろう。
見学後少し足を伸ばして市街地から離れたところにある海鮮レストランへ。丹東は新鮮な海産物が安く食べられることでも有名で、レストランには地元住民や観光客で賑わっていた。このお店は中央にあるちょっとした魚市場みたいなスペースで魚を選び店員に伝えると、それが料理になって届くという仕組みだ。スペース内にはケジャンなどもあったことからおそらく朝鮮族が運営しているのだろう。公定価格よりも安い秘訣も、朝鮮側の漁師と何らかの取引があるのかもしれない、とはいえそれを考えても仕方ないし、何よりエビやシャコ、ホタテなどがとにかく美味しいし量も多い!結局一部の料理を打包しホテルに戻ることにした。
北朝鮮をどう見るか
丹東名物といえば北朝鮮を間近に見られる鴨緑江の観光船や小型船、モーターボートに尽きる。特に小型船とモーターボートは鴨緑江でも北朝鮮側にかなり接近することで評判だったが、2016年以降これらは一斉に摘発され、普通に探す限りでは鴨緑江断橋付近に停泊している、それなりに大型の観光船に乗るしかない。
しかしそれは普通に探す場合の話である。北朝鮮を間近に見たいという需要が多いのか、それなりにひっそりとした方法で未だに小型船に乗る方法は存在する。我々も運良くその方法にたどり着き、あれよあれよと鴨緑江に面した怪しい事務所の待合室にエンカウントした。切手の中の金日成が微笑む待合室では、我々以外にも10名ほどの中国人観光客がツアー開始を待っていた。
詳細なし保証なし限界ツアー
我々日本人二人を含めた合計15人位の一団は小型バスに載せられツアー開始。マイクを持った女性が話し始めて「ガイドもいるのか」と感心したのも束の間、国境開放後の朝鮮旅行申し込みについて話し始め、やっぱり怪しいツアーだということを実感した。
怒涛の勢いで、中国人と北朝鮮人の見分け方を伝授するガイド氏の話をBGMに鴨緑江沿いに北上すると、"買い物タイム"と言われ何故か博物館へ。日本の郷土資料館みたいな展示だなあと思いつつ出口に向かうと、博物館の出口は閉じられており、かわりに間口の広い別フロアに案内された。その別フロアにあったのは北朝鮮産の金製品・化粧品・高麗人参酒・お菓子などの制裁対象スレスレの品の数々。ここで博物館は見せかけで本当は中にある外貨獲得のショップがメインなんだろうと合点がいった。実際参加者でも慣れていそうな人は博物館の展示に目もくれず奥に行っていたので、この業態での販売が今の主流なのかもしれない。
外貨獲得の博物館を後にし、いよいよツアーのメインである小型ボートツアーへ。朝鮮戦争に使われた年代物の戦闘機と戦車が留め置かれている船着き場には丹東の市街地で見た観光船より数倍も小さい小型船が停泊していた。やけにタバコを売ってくる朝鮮族らしいおばちゃんも加わり、船はいよいよ神秘のヴェールへ潜り込む。
そして北朝鮮を見る
私が常に映像で見てきた北朝鮮は、一糸乱れぬ行進と反映した平壌の姿、そして飢餓に苦しむ地方都市と物々しいDMZだった。しかし初めて目にした飾り気のない北朝鮮はそのどれでもなかったことを鮮明に覚えている。
船から見えた北朝鮮の田舎には、やる気なさそうに川を見る歩哨、布団を干しているおばちゃん、4人で雑談するおじさん達、薪を運ぶ若い人。自転車を押しながら談笑にふける女学生。都市に目をやると、山肌にスローガンの看板が掲げられ、集団生産の目標達成グラフの紙が貼られ、共和国旗がはためく、ただそこが日本と違うだけの昔の農村が広がっていた。
もし丹東の市街地から出る観光船に乗ったら、中朝双方が見栄を張り合った無機質な街をじっと眺めただろう。しかし私が眺めたのは生命力が確かに存在する、一見すればどこにでもありそうで、中国の地方都市と何ら変わることのない生きた街だったのである。
生きた街を照らし鴨緑江に沈みゆく太陽を眺めながら、30分程度のツアーを終えた観光船は再び中国の遼寧省丹東に戻ってきた。
丹東式の宴、明けないでおくれ丹東の夜よ──。
さて、丹東名物といえば海鮮以外にももう一つある。北朝鮮が外貨獲得のために設けた北朝鮮レストランだ。無事怪しいツアーから解放された一行は、ホテル横に位置する"柳京飯店"を訪れた。このレストランは入り口でメニューをあらかた決めて伝えると二階に通される仕組みで、我々は個室に案内された。ショーはどう見れるのか話しながら平壌冷麺を食べていると、(多分メアリ音響社のものだろうか)カラオケ機材が部屋に運ばれ、チョゴリを着た女性従業員が二曲披露してくれると話した。迷わずパンガスムニダと我が国が一番良いを選択した私を怪訝な顔で伺いつつ素晴らしい美声で歌ってくれた彼女には感謝しかない。またカラオケが終わった後はアコーディオン演奏があり、明けないで遅れ平壌の夜を希望したら「聞いたことがありますか?」と訝しまれつつ演奏してくれた。
満足行くまで北レスを満喫した我々は、最後に鴨緑江沿いの遊歩道を歩きながらホテルに戻ることにした。お土産物の肖像徽章や北朝鮮タバコが売りさばかれる露天商の向こうには、ほぼ闇に包まれ、監視所の明かりだけが眩しい新義州特別市が広がっていた。しかしよくよく見ると無機質で暗い街の中で、小さいスタジアム的なところだけが煌々と輝き、何らかの映像が映っているように見えた。実はこの旅行した日は2月16日、北朝鮮では金正日総書記の生誕を祝う祝日だった。
鴨緑江の川向いの無機質な都市の中にも夜になれば僅かながら人の営みが見える。明けないでおくれ、美しい丹東の夜よ。───