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"日中友好人士"であることを諦めた先に
思えば去年留学して、今年帰国するまで、さらに言えば留学を始める前まで、私は常に日中友好人士であろうとしていた。しかし帰国して、生活が落ち着いて改めて考えた今、私は日中友好人士であることをどこかで諦めたのだと感じた。
そもそも友好人士とはなんなのか、これをずっと私は考え続けた。ただ相手のことを盲目的に好きになれば友好になるのか、いやそうはならないだろう。日中双方をマーケットに持つ企業で働けばいいのか、いやそうはならないだろう。etc…。
考えた末、私にとって日中友好の架け橋というのは、せめて日本国内における中国に対するイメージを良くするような情報発信をして、将来的な日中友好の機運を作り上げることがその一つではないかとの結論に至った。
しかしどうだろう、果たしてそれは本当に1人の手で出来るだろうか。しかも良くするような情報発信とは、詰まるところバイアスのかかった情報を提供することなのである(別に中国は悪い国というわけではなく、文意になんらかの意図を込めるとはバイアスをかけることなのだ)。
結局私には、日中友好人士たり得る資格もなければ、そもそもそこを志す必要はないのだと気づいた。
今の私が対中という面で目指したいのは、中国をニュートラルに捉えて、中朝関係を研究していくことだ。感情を混ぜたり、感情でものを語る必要はない。
そうやって冷静にあの国に接してみると、かつて近くて遠い国だったあの国が、留学中は近くて近い国になったが、今では2100kmの隔たりを持つ国のように感じるのだ。