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延安──革命の食都

山奥の小さなこの街が、新中国建国につながる大きな原動力を育て上げたのか。西安から延安に向かう高速鉄道から見える景色は、思わずそう考えさせてしまった。西安を出た頃に見えた田園風景はすっかり険しい山々の稜線へと変わりつつあった。

革命根拠地として

延安駅。社会主義革新価値観は広場のマストアイテム。

 延安は建国の父である毛沢東が、国共内戦の最中に辿り着いた都市であり、中国共産党中央委員会が置かれ、彼はここで"革命家"としていくつかの主要な論文を書き上げるに至った。後にこれが新中国建国を後押しする理論的支柱となり、そのDNAは今なお執政政党"中国共産党"に引き継がれている。

 その延安に着いたのはちょうどお昼ごろを迎えようとしたタイミングだった。しかしそれにしても、5月の延安は暑い。そして何より平日にも関わらず、都市の規模に見合わない人が駅前に溢れている。
 やはり"聖地"なだけあり、休み関係なく人出が多いようだ。
 どうにかしてタクシーでなければ打车(Uberのようなもの)ですらない完全な個人営業の車に乗り込むと、我々は地元方言全開のお父さんに案内されるがまま、なんとかホテルにたどり着いた。

陝西美食、抿节を食らう

北京などの大都市でも食べる機会がない郷土料理。

 無事昼頃にホテルの部屋に通され、荷物を置くとちょうど昼食どきなことに気づいた。何か郷土料理でも食べられるところはないかと思い調べると、ちょうどホテルの向かいにある店がなかなか地元でも人気の店らしい。
 まだ営業しているようなので入ってみると、まさに中国の地方の、しかも少し場末の食堂といった風合いで、シワだらけの漢字メニューだけが置いてある卓に通される。
はレビューによるとここの名物は抿节という聞いたことのない麺料理で、人数分注文し待機。数分後頼んだ記憶のない量の皿が載った盆が卓に並べられ、少し戸惑っていると店員が食べ方について説明してくれた。どうやら抿节は10数種類の調味料を好きなように、かんすい麺の上に乗せて食べる料理らしい。
 ちなみにおすすめはラード油のようなものとゴマだれのようなものを合わせていくらしく、それを乗せて食べるとこれがまた本当にジャンクな味で素晴らしく美味しい。脂がのってテカテカになった麺にはどの調味料も良くあって、なんとも言えない多幸感に包まれた。

革命の道程、延安の午後

ハルマゲドンみたいな感じでお出迎え。

 延安市街から車で20分ほど走らせると、小さな都市圏に似つかわしくない、とてつもない大きさの建物が見えてきた。延安革命記念館である。
 78年に造営されたこの博物館は、愛国主義教育の重要拠点として歴代の国家指導部も度々訪れる博物館だ。館内には長征や国共内戦の説明、それに伴う貴重な史料が数多く展示されている。
 特に当時の中国を訪れ、"友好人士"として長らく中国との公的な関係を保ち続けた記者、エドガースノーの展示や、黎明期の毛沢東の活動に関する史料などは目を見張るものがある。
 しかし、それにしては複製品という但し書きがそれなりに多く散見される。おおよそこれらの史料であっても、新たに北京に開館した中国共産党歴史展覧館に移設されたのだろう。

 「延安精神は永遠に光を放つ」と銘打たれたレリーフで展示が終わり、我々は次なる目的地である楊家嶺革命旧址へと向かう。ここは延安における毛沢東ら中国共産党指導部の活動拠点であり、まさに新中国建国の原動力が生み出された場所と言っても過言ではない。そういうだけあり、多くの観光バスが平日にも関わらず駐車場に留め置かれてあり、多くの団体で公園内は賑わう。
 この革命旧址は大まかに2つの構造群から成立し、崖の前にある平地には中共中央の行政庁などの公務に関連する建物が設けられており、その背後の崖に毛沢東らの住居があるという構造だ。おおよそ崖を利用して先に拠点を作り、後に公私を分けるような形で崖の前の土地に公務空間を整備したのだろう(あくまでも私見だが)。

 公務に関する施設の中には八路軍などの軍事司令用に設けられたものも存在している。白漆喰のようなもので壁を整え、簡素なテーブルセットと地図が置いてある姿はまさに司令部という感じで「政権は銃口から生まれる」という言葉を思わず想起させた。

 これらの建物を見学したあとにいよいよメインの崖をくり抜いた指導部の生活空間を見学する。毛沢東を始め、周恩来や朱徳など、近現代中国史の王道を往くメンツが一同に介するこの奇妙な集合住宅のなかは、先ほどと同じように白を基調とし、若干中国の風合いのある枠格子の網戸で採光している、簡易ながらも趣ある風合いだ。

毛沢東の居室。

──それにしても内部はとても涼しい。少し汗ばむこの5月の陽気でも、冷えた風が循環するこの環境は心地が良い。かの革命家らはこの室内の執務室で論文を書き、或いは羽布張りの椅子で革命の先にある世界を夢想したのだろうか。──

 見学が終わり出口に向かう途中、毛沢東を中心に5人が並んで歩いているモニュメントが公園内に現れる。どうやらここで記念撮影ができる他、献花も可能になっているみたいだ。この地で留学している身として、像の横にある写真店兼花屋で花を買い献花した。

延安の夜、屋台に導かれ

この勢いでずっと屋台が立ち並ぶ。

 一通り観光を終えて宿に戻った頃にはすっかり夕方になりつつあった。はてさて夕飯はどうしたものかと思いつつ、再び街に繰り出す。しかしやはり市街地としての延安というものは、ごく普通の中国の山間部にある地方都市という感じだ。習近平著作で埋もれた新華書店の一角にある喫茶スペースで休憩して、また繰り出す。友人によると地下街を抜けて地上に出たところがたいそう盛り上がっているらしく、行ってみると、そこには完全に地元の人達が盛り上がるために運営されているだろう、かなり大きな規模の夜市が姿を現した。

なかなか食感の面白さが新鮮。

 屋台に行く前に、友人おすすめの陝北料理「涼皮」を近くの店で食べることに。こんにゃくのような色で香辛料の赤が覗かせるこの料理を口に運ぶと、こんにゃくとは異なりもちっとした楽しい食感のあとに思ったよりキッとなるような辛さに口が支配される。さっき「辛くないよ!」と店員は言ってくれたが、まあこれは地元比でということなのだろう。実際「普通の辛さ」だという友人のものは更に辛かったし…。
 しかしなんだろう、この辛さに合う食感なんだよな、なんというか…。と思いつつ、結局食べ仰せてしまった。

香辛料が効いたザリガニ。

 ではここからは屋台グルメと洒落込もう。しかしまあとにかく店がたくさんある。中国屋台のマストバイアイテムの羊肉串をつまみながら何を食べようかなんて思っていると、友人同志がザリガニを持ってこちらに合流した。そういえば確かにザリガニなんだかんだあまり食べてこなかったなと思い食べてみると、まああやりこれは美味しい。可食部の問題か日本ではあまり供されないが、この地域のように海から相当離れているところでは食文化として愛されているのだろう。
屋台グルメに舌鼓していると、またもや友人氏が面白い食の発案をしてくれた(中国旅行をする際、食に詳しい友人がいるというのはつくづく心強い)。どうやら近くに羊の頭をそのまま出す店があるという。いやはや中国という国の食は本当に多い。早速その店に行き注文を済ませると、小麦ベースの延安ビールを片手にしばし饗宴の時を待った。


 暫く待つと、卓の上に寝顔のような羊の頭だけが乗った銀トレーが置かれた。どうやら手袋で直接肉を剥ぎ取りながら食べるらしい。思ったよりワイルドなこの食事こそが人類のあり方なのかと思いつつ、香辛料で少し赤ら顔になった羊の頬を口にすると、思ったより柔らかくてシンプルな味わいだ。東北料理の羊肉串とは対照の味付けなものの、しっかりと味わい深くこれはこれでビールが進む。
 しばらく食べ進んだ頃合いで店員が一度トレーを下げる。奥で頭が割られると今度は脳などを食べ進められるという寸法。命を食らうとはまさにこのことか。酒と合わせてすっかり食べ終わる頃には、外もだいぶ暗くなっていた。

 店を出て、さてどうしたものか。友人同志によるとこの地域には氷粉というゼリー状のデザートがあるらしい。まだ熱気冷めやらぬこの街を過ごすには良いじゃないかということでテイクアウトして、しばしこの夜市を冷やかしながら街を歩くことにした。
 ──交差点のところに人が集まっている。行くとどうやらステージがあるようだ。ステージ上では(おそらく地元だろう)女性が歌って、それをまた地元の人が応援して盛り上がっている。地元による地元のための地元の祭りというあり方、近年急速に観光化しつつある中国の地方都市、それも革命聖地のお膝元で見られる、この自分たちのための熱気こそが新中国を形つくったのだろう。そう感慨にふけって食べる氷粉は少しばかり温かい気がした。──

紅いネオンの革命聖地

 夜市を抜けてホテルに戻る道すがら、この街の夜の名物を見ることにした。延安市街でも目立つランドマーク、延安宝塔山だ。中国では抗日戦争戦勝記念のランドマークとして、記念章などにも描かれるこの塔は、毎日夜になると、塔がある山の中腹と合わせてプロジェクションマッピングで彩られるのだ。
 早速それが見えるスポットに行くと大音量の革命歌謡とともに、堂々たる紅色に染め上がる塔が夜の街に浮かび上がる。しかしなんというか、ある意味この光景ももう中国でも地方じゃないと見られないような感じの派手さだなあという感じだ。
 案外ショーは15分ほどで終わり、明日北京に戻る飛行機が早い我々はまだ元気な中心街をあとにしてホテルに戻った。

──ホテルに戻る途上、まだ営業している土産食品の店先に、大量の食品に囲まれた毛沢東像を見つけた。その姿はまるで、延安に来るまでは新中国建国にとって重要なのはここで生み出された理論的柱だと思っていた私に、いや重要なのは人民の熱気と食だと言わんばかりの、この街の姿を象徴しているようだった。──

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