理想の自分像
こんにちは、shioriです。
タイトルにもある通り、人は誰しも理想の自分像というものがあると、私は考えています。
美しくなりたい、自信を持ちたい、人に流されず堂々と歩きたい、有名になりたい。人それぞれ自分が望む姿というのは違います。
私にも理想像があります。
それは「私だけの私になりたい」です。
私はこれまでの17年の人生で、人に流されて自分の意見が曖昧なまま生きてきました。人と違う意見を持つ度に「自分はどこかおかしいんじゃないか、変なんじゃないか」と自分自身を信じられなくて、今まで沢山悩まされてきた種でもあります。
そのくせ言葉だけは一丁前で、他人のことはすぐ批評したがるし口だけは達者なのも直したい欠点だと捉えています。
本題に戻しますと……
言わないだけでほとんどの人が「ああなりたい、こうなりたい」という理想像を持っています。その目標に向かって日々努力する人もいれば、私のように欠点ばかり見つけてしまい苦しむ人もいるでしょう。皮肉なことに、人間は良い所を見つけるよりも悪い所を見つける方が得意です。
私の話をします。
私はインスタグラムをしているのですが、リア垢、サブ垢、オタク垢…合計6個のアカウントを所持しています。自分でも多すぎるなと少し呆れてます笑
その中で同じ部活内の友達、クラス内の仲の良い友達しか繋がっていない、いわゆる「裏垢」というアカウントがあります。
そのアカウントでは、他の人には見られたくない苦手な子の愚痴やネタ系のストーリーなど投稿がしやすい場になっています。
同じ部活のAちゃんは、愚痴を書くことが多い子でした。私にも話すので、名前は出さずともAちゃんが誰のことに対して愚痴を言ってるかは把握していましたし、確かになと同感する時もしばしばありました。
しかしそのAちゃん。
かなり難アリな子で、彼女自身も愚痴を書かれる標的になることが多々あったんです。
女子って怖いなぁと呑気に思います。笑
私も、知らないだけで自分も書かれてるんだろうなと半ば開き直ってそう思うようにしています。そうしないとメンタルがもたないので…💧
彼女が愚痴を書く度に、彼女が愚痴を書かれるのを見る度に、人間関係の脆さを実感します。
それだけで人間関係語るな、と言いたい気持ちも分かります。人はどこかで鬱憤を晴らさないと溜めてしまう生き物なので。
ですが、昨日まで仲良く帰っていて休みの日には遊びに行くような仲の子まで愚痴を書いているのを見るとそう思わずにはいられなくなるのです。私の考えすぎもあると思うのですが、、笑
ここで、冒頭の話に戻します。
なぜ私が冒頭に「理想の自分像」の話をしたかというと、こういう女子のいざこざを見る度自分は、どんな自分になりたいのか考えることが最近増えたからです。
綺麗事を述べていますが、恥ずかしい話、私自身も以前まで何かある度に愚痴を書いていました。インスタグラムの裏垢、すなわち小規模垢は、家族や友達への不満またはその時点での瞬間的な苛立ちを解消するには、私たち子供にとってうってつけの場所でもあったからです。
最近私が愚痴を書く歯止めになってくれているのは、間違いなくAちゃんの影響です。
文を打とうとする度に、「自分は本当にこれでいいのか」と思い知らせてくれる。心の奥底ではすぐに愚痴を書くAちゃんを小馬鹿にしているくせに、今私がここで書いたらAちゃんと何ら変わらないじゃないかと自分の頬を叩いてくれる。
これから生きていく上で私にとってのAちゃんの存在価値は、高校卒業と同時に低くなっていくと思う。会うことも話すことも少なくなって、縁が切れることもあるかもしれない。でも私は、今まで出会ってきたたくさんの人たちとの全ての"出会い"が、決して無駄ではなかったと胸を張って言うことが出来ます。もちろんそのたくさんの人たちの中にはAちゃんも含まれています。
ムカつくあの子も、鼻につくあいつも、全部自分の成長の糧にしちゃえばいい。24時間365日ネガティブ思考の私が快適に生きる術の1つです。
私は17年しか生きてません。ですが、言葉を言い換えると17年も生きてきました。この17年が無駄だったなんて誰にも言わせないし言わない。人生の半分も歩いていないけれど、生きていく上でのモットーなんて年齢は関係ないと思うんです。人生100年と言われる時代ですが、人間いつ死ぬかなんて誰にも分かりません。いつ、どこで命が終わってもいいように、毎日毎日を大事に大切に過ごしていきたい。生き様で後悔はしないように愚痴じゃなくて思い出を書いていきたい。
理想の自分像。もっと見つけていきたい。