【歳時記と落語】ハロウィンとカボチャ
10月31日は「ハロウィン」です。近年は日本でも大々的にやられるようになってきました。魔女の扮装やらカボチャの「ジャックランタン」やらもすっかりおなじみになりましたな。
元々、「ハロウィン」はアイルランドのケルト人たちが彼らの暦の「大晦日」に行っていた行事に起源を持つもんやそうです。そこに秋の収穫祭やらキリスト教の万聖節(11月1日)の前夜という意味合いやらが習合して出来たもんやそうです。「ハロウィン」という名前も、万聖節(All Hallow's)の前日(eve)=Hallow+een(eve)からきたんやとも言いますな。
今のような形になったのはアメリカでのことやそうで、宗教的な意味合いはほとんどなくなってます。
ハロウィンのカボチャというと、オレンジ色ですが、これはカボチャの中でもペポカボチャの仲間です。日本で栽培されている食用カボチャの殆どは西洋カボチャで、これは江戸時代末期から明治の初め頃に入ってきたもんです。一方、伝統野菜としての日本カボチャ(東洋カボチャ)があります。これが日本に入って来たんは、江戸時代の初期です。
カボチャは「カンボジア」が語源やといいますが、漢字では「南瓜」と書きます。南から伝わったもんやというのが出てますな。他にも「南京」やとか「唐茄子」やとか言いますが、いずれも南から来た伝わったことに変わりはありせんな。
落語には「唐茄子屋政談」という噺があります。
とある大店の若旦那、放蕩が過ぎて勘当されます。すると、金の切れ目が縁の切れ目、誰も相手に何ぞしてくれまへん。いっそ身投げでも、としているところへやってきた叔父に引き止められて、唐茄子の行商を手伝うことになります。力仕事なんぞしたことがないのでへっぴり腰、担いだ天秤棒に殺されそうになるような有様で、同情されて買ってもらうという次第。売れ残ったカボチャを担いでいくと、吉原が見えてまいりまして、なにやらしんみりとした心持になります。黙って歩いていたことに気がついて、売り声の練習を始めます。
町中に戻り、ある長屋にさしかかったところで、どこか品がある若女房に呼び止められます。カボチャ一つ、ということだが、奥では子どもがお腹を空かせている。話を聞くと元は武士の家だが、今は小間物商いで生活をしているという。しかし、この三ヶ月、旅先の夫からの仕送りが滞っており、三日も何も食べていないという話。
同情した若旦那、売り上げを全部渡して、叔父のところへ帰ってきます。
話を聞いた叔父は、売り上げを誤魔化したのではという思いもあって、若旦那を連れて長屋へ確かめに参ります。
するとなにやら様子がおかしい。長屋のものに話を聞くと、くだんの女房、金を返そうと飛び出したところを因業家主に見つかって、全部取り上げられてしまい、止むに止まれず首をつった。幸い見つけるのが早く、命は取り留めたという。
怒った若旦那、大家の家に殴りこんだ。長屋一同も加勢して大騒ぎ。
この事がお上に知れ、裁きの末、大家はきついお咎めを受け、若旦那は青緡五貫文を褒美に貰い、勘当も許されます。母子は叔父の持っている長屋へ引き取られ、丸くおさまります。
所謂「大岡政談」から出た講談ダネの一つで、人情噺なんでサゲはありません。
褒美の青緡五貫文というのは、落語で褒美を貰うときの決まり文句みたいなもんで、「孝行飴」にも出てきます。一貫文は1000文なんで、銭5000枚ということになりますが、普通一緡百文は銭96枚で、4800枚しかありません。ですが、ばらして使わん限り、一緡96枚で百文として使いましたんで、値打ちは5000文ということになります。
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