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【歳時記と落語】桜・花見・通り抜け~百年目~

大阪では、今週末には桜もすっかり葉桜という装いとなりそうです。しかし、これはソメイヨシノの話です。ソメイヨシノは江戸末期から明治の初めにできた品種ですから、昔は花見はもっと色んな桜を愛でたもんです。でっさかいに、期間も今よりは長かった。

2020年は新型コロナウイルス対策で中止になりましたが、大阪造幣局の「通り抜け」は毎年4月の中旬に行われますが、そのくらいの時期でも十分桜はあったんですな。それにちなんで、まずは花見のお噺を一つ。

 さる大店の一番番頭の次兵衛、暖簾分けも間近という年恰好ですが、この年まで遊び一つしたことがないという堅物で通っております。散々店のものに小言を言うて店を出ますと、そこに待っておったのは幇間です。何が堅いもんか、芸者、幇間引き連れて屋形で桜ノ宮へ花見に繰り出そうという趣向です。駄菓子屋の二階で預けてある着物に着替えて船に乗ります。

 小心者なんで障子を締めきらせてますが、酒が入ってええ気分になってきた。芸者衆に唆されて、桜ノ宮で目ん無い千鳥の体で陸に上がりよった。

 ところが、偶々そこに親旦さんが来てなさったんで鉢合わせ。

「これは、これは、旦さんでございますかいな。長らくご無沙汰を致しております。承りますれば、お店も日夜ご繁盛やそぉで……」訳のわからんことを言うております。

 もう酔いも何も醒めてしもうて、駄菓子屋へ取って返します。お仕着せに着替えて店へ帰りますとそのまま頭が痛いと二階へあがりよった。

 暇を出される前に逃げ出そうか、温情を期待しようかと悩んだ末に疲れて寝てしまいよった。

 翌朝、親旦那は次兵衛を呼び出します。

「こんた、一家の主を旦那と言ぅのは、どぉいぅとっから来たか知ってなはるか? 知らん。そぉじゃろなぁ。この歳になるわしが今まで知らなんだんじゃ。こら、寺方の方から来た言葉じゃそぉななぁ。こないだわしゃ聞ぃてきたんじゃが。天竺。天竺も五天竺あるそぉなが、そん中の南天竺といぅところに赤栴檀といぅ見事な木があるんじゃてなぁ、見る人誉めざるなしといぅ木。ところがその根元に難莚草といぅ見苦しぃ雑草がはびこるのじゃて。赤栴檀は結構じゃが、この難莚草がどぉも具合が悪いっちゅうて、そいつをむしり取ってしまうと、この赤栴檀が枯れるのじゃて。つまり、この下で難莚草といぅ雑草がほこえては枯れ、はびこっては枯れするのが、赤栴檀にとってまたとないえぇ肥やしになる。また、赤栴檀の下ろす露が、難莚草にとってはこの上ないといぅえぇ肥やしになるんじゃそぉな。そこで赤栴檀がさかえりゃ、下の難莚草もほこえる。難莚草がほこえて枯れることによって赤栴檀はますます育つ。寺方と檀家といぅものはこれでなかったらいかんといぅので、赤栴檀の“だん”と難莚草の“なん”とを取って、在家の人のことを「だんな」といぅものはこっから出たんじゃそうな。まぁ年寄りの耳学問じゃ、違ごてても笑ろぉてくださるな。じゃがな、わしゃ、えぇ話やと思たで。世の中はこれやなかったらいかん。まぁこの家でいぅたら、さしずめわしが赤栴檀じゃろ。この頼んない赤栴檀、こんたといぅえぇ難莚草が居てくれるお陰で、えらほこえにほこえさしてもろてます。が、店へ出たら、今度は番頭どん、お前さんが赤栴檀、店の若い連中が難莚草じゃ。店の赤栴檀はえらい馬力じゃが、店の難莚草がちょっとグンニャリしてへんかなぁ? いやまぁ、これはわしの見損ないじゃろぉがな……。もしもやで、店の難莚草が枯れるてなことがあったら、店の赤栴檀のこんたが枯れる。こなたといぅ難莚草に枯れられたら、この赤栴檀ひとたまりもないわい。我が身可愛さに言うんじゃが、店の難莚草にも露を下ろしてやってくだされ。わたしもできるだけ露を下ろそぉと思ぉてます。」

 そして、店の金には手をつけず、自分の甲斐性で稼いでつこうていることを誉めてやり、最後に、きのうの妙な挨拶の次第を問います。

「長いこと会わんよぉなことを言ぅたが、あら酔ぉてたんじゃな?」

「いぃえ。けど、あの場合、あぁ申し上げるより、しょがございまへなんだ」

「何でじゃいな?」

「えらいとこ見られた、こらもぉ百年目じゃと思いました」

花見以外でも、こう時候がようなってまいりますと、心が浮き立ちます。それは今も昔も変わりまへん。落語でも、旅様の噺は春先のもんがようけあります。「東の旅——伊勢参宮神之賑」もそうですな。それから「愛宕山」もいかにも春らしい噺です。

昔、NHKの朝のドラマで「ちりとてちん」というのがありましたが、あの中にも出てきましたな。

 大阪をしくじった太鼓持ち二人、京都の祇園で働いております。室町あたりの旦那が「時候もええ、一つ野掛けをしょうやないか」というわけで芸者や舞妓を皆引き連れまして表へ出てまいります。二人の太鼓持ちもお供でついていきます。

 祇園町を出て鴨川を渡り、二条のお城も後目に殺してドンドンドンドン出てまいりますと、野辺へかかってまいります。何しろ春先でございます、空にはヒバリがチュンチュンとさえずっていようか、野には陽炎が燃えていようか。遠山に霞みがたなびいてレンゲ・タンポポの花盛り。麦が青々と伸びた中を菜種の花が彩っていようという本陽気。その中をやかましゅう言ぅてやってまいります、その道中の陽気なこと……。

さて、ここで「ちりとてちん」のドラマを覚えておられる方はおかしいな、とお思いやもわかりまへんな。渡瀬恒彦さん演じる徒然亭草若師匠は、「ひばりがピーチクパーチクピーチクパーチク」とやっていました。これは、渡瀬さんが番組の落語指導を務めた林家染丸師匠の許しを得て変えたもんです。有名な熊本民謡「おてもやん」の合いの手が「ピーチクパーチクひばりの子」なんで、皆さん、「ひばり」というたら「ピーチクパーチク」というイメージやというんで、変えはったんですな。そういうわけで、「ピーチクパーチク」でやるんは「徒然亭一門」だけです。江戸の方でやる人は、このくだりはやりまへんので。そもそも春の野辺の場面はどの話に関わらず、上方落語はこれを入れます。上方落語特有のもんなんです。

 古典落語は、分からんようになった言葉を言い換えて、噺自体も時代に合わせて、今まで生き残ってきました。それは噺の芯にそれだけの力があったからです。しかし、古い形を残していくというのんもまた大事なことです。やっぱりそれが基本、そこから出発せんといけませんな。今でも落語の稽古では、「ワシは師匠から古い型はこうやが、こう変えて演じている、という風になろうた。それでワシは今はこうしている」と伝えているのやそうです。

 それに、古い形や言葉を残す噺は、今では一級の風物資料でもあるんです。

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