ご自愛を考える
会社のインスタントコーヒー(粉)がまずい。
私はコーヒーが好きで、朝9時になったらコーヒーを飲むのが日課だ。
なぜ9時にこだわるかというと、
あまりの眠気に「どげんかせんといかん!」となり、
睡眠の質について調べまくってる時に、
「コーヒーは朝9時から14時までの間に飲むと良い」という記事を何度も目にしたからだ。
そんなわけでコーヒーを朝9時に飲みたいのだが、
冒頭の「会社のインスタントコーヒーまずい問題」に戻る。
そもそも、インスタントコーヒーよりもドリップコーヒー派だということにも問題は及ぶ。
香りを楽しみたいので、家では自分でドリップするし、
休みの日にはカフェでその店の名前が付いているオリジナルブレンドを頼むし、
本当は仕事中も手軽にドリップコーヒーが飲める紙パックのやつ(名前わからん)を飲みたい。
インスタントコーヒーもピンキリではあるし、
淹れ方によってはおいしく飲めるらしいが
会社に置いてあるそれは、
わたしの口にはどうもピンとこないのだ。
それにも関わらず、まずいインスタントコーヒーを飲んでいるのには訳がある。
なにせ仕事がバタバタしていて、コーヒーを淹れてから香りを楽しみ、少しずつ飲むことができないからだ。
少し落ち着いたかな?と思ってコーヒーを淹れて
一口すすった頃に、矢継ぎ早に電話対応、メール対応、至急発注、急ぎ納期確認、コレドウナッテマスカ?コレドウシタライイデスカ?ナンデコウナッテマスカ?etc…
モグラ叩きのように次々と敵を倒して
やれやれようやく落ち着いた
さてコーヒーを飲むか、とマグカップを口に運ぶと
そこには冷たくなった苦い汁、
「雑味」があるだけなのだ。
ドリップパック(あってる?)を自分で買ってきて
会社に置いておき、隙を見て飲むとして
先に記した状況になれば、ドリップパックのポテンシャルを一口しか味わうことができない。
お金を払ったのに、その対価を十分に享受できないのが辛いのだ。
私はコーヒーというものに対して、
「ゆとりの時間」や、「至福感」を求めている。
味が美味しいのは、実は二の次かもしれない。
でもやっぱりコーヒーを飲む、という行為で気持ちを落ち着かせたい。
じゃあせめて、会社の経費で飲めるインスタントコーヒーを飲もうか、となったわけだ。
しかしやはり、温かくても冷めてもまずいものはまずい。
瓶から2さじほど取り、お湯で溶かしている最中も
「あんまりおいしくないんだよな〜」と思いながらかき混ぜる。
そして一口飲んでみては、やはり。
これを毎日することは、一種のセルフネグレクトなのではないだろうか?
ただ「コーヒー飲みたい」という願望は満たしているけれども、
それを叶えたところで何も満たされずに終わっている。
少しのガッカリとやっぱりは、
そこまでのダメージではないにしても
フラストレーションの塵は積もるわけで。
なんか、頑張ってる自分があまりにも不憫に思えてきた。
コーヒーを飲む時間くらい、なんとかしてやろうぜ。
他でもない自分の、ささやかなや幸せを守ろう。
ということで、今日からドリップパックのコーヒーを飲み始めた。
おいし〜
何を差し置いても自分が大切だ。
ご自愛、ご自愛。