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史跡散歩|瀬田の唐橋|滋賀

奈良が好き。わたしは奈良派...。
なのですが、このところ滋賀の魅力に気づき始めたxicano(しかの)です。こんにちは。

今回は石山寺から建部たけべ大社に向かう途中に渡った瀬田せた唐橋からはしです。


瀬田せた唐橋からはし

滋賀県大津市唐橋町~瀬田1丁目


織田信長によって整備され現在の形になったというこの橋は、中之島をはさんで全長224メートル。

最初に橋が掛けられた年代は不詳ですが、天智天皇6年(667年)近江大津宮おうみおおつのみや遷都の時代に掛けられたと考えられています。

江戸の絵師・歌川広重うたがわひろしげにより描かれた名所絵『近江八景おうみはっけい瀬田せた夕照せきしょう』でも知られています。

また、古くは日本書紀にもその名を記され、歴史の舞台として多くの伝説を残しているようなので少し記録しておきます。


◇ 急がば回れ

まずはことわざ『いそがばまわれ』の語源となった場所。

武士もののふの  矢橋やばせの舟ははやけれど
急がばまわれ 瀬田の長橋

江戸時代初期の連歌師  宗長の歌

当時、東国から京に入るには琵琶湖を渡らなければなりませんでした。
草津(矢橋やばせ)から大津へは船で渡るのが最短距離なのですが、季節によっては比叡山から吹き下ろす強風(比叡ひえいおろし)で転覆する危険を伴ったようです。
急ぐのであれば遠回りにはなるけれど琵琶湖を少し南下して瀬田川に架かる橋を渡る方が安全だと言うことわざですね。

俵藤太たわらのとうた百足むかで退治

平将門を追討(平将門の乱)した平安時代中期の武将 藤原秀郷ふじわらのひでさとの別称 俵藤太たわらのとうた

瀬田の唐橋に大蛇が横たわり人々が渡れずにいたところ、俵藤太たわらのとうたは大蛇を踏みつけて難なく渡りました。
そんな勇気ある藤太の姿を見た大蛇は人の姿に転身し、「三上山みかみやま大百足おおむかでに苦しめられているので退治して欲しい」と頼みます。
藤太は強弓つよゆみを射掛け、一の矢、二の矢は跳ね返されたものの、三の矢で射止めて倒しました。

という伝説です。

中之島の南側にある小高い丘に陶製(信楽焼しがらきやき)の俵藤太像がありました。

低重心でなんだかカワイイ 🤭

昭和54年(1979)橋の架け替え完成記念で建立されたそうです。

俵藤太像のそばには他にも句碑と石碑がありました。

◇ 明治天皇御聖蹟せいせき

草ぼうぼうで何だか判らず写真だけとりましたが、あとで検索してみると...。

明治元年(1868)9月21日
明治天皇がこの地で琵琶湖を天覧された記念碑だそうです。

◇ 西沢十七星の句碑

瀬田蜆せたしじみ 藤咲きしかば うまからむ 

西沢十七星さんは「大正期の京都の俳人」ということ以外は分かりませんでした。


唐橋を制するものは天下を制す

「瀬田の唐橋」が舞台となった歴史をすこし調べてみました。

◇ 壬申の乱

天智天皇10年(671)、大友皇子vs大海人おおあま皇子
唐橋の橋板をはずして大海人皇子軍を待ち受けた大友皇子軍でしたが突破され敗北 。
大海人皇子が天武天皇となり、自決した大友皇子は石山寺の僧により密かに供養され続けました。

恵美押勝えみのおしかつ(藤原仲麻呂)の乱

天平宝字8年(764)、孝謙こうけん上皇&道鏡どうきょうvs藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ
宇治から近江に向かった恵美押勝えみのおしかつ軍に対し、孝謙上皇軍は先回して唐橋を焼き落とし進路を絶ちました。

◇ 宇治・瀬田川の戦い(治承じしょう寿永じゅえいの乱)

寿永3年(1184)、今井兼平いまいかねひら木曽義仲きそよしなか軍)vs源範頼みなもとののりより源頼朝みなもとのよりとも軍)
木曽義仲追討に向かった鎌倉軍。
源義経は宇治川へ(宇治川の戦い)、源範頼は瀬田の唐橋へ(瀬田川の戦い)

◇ 承久の乱

承久3年(1221)、後鳥羽上皇(朝廷軍)vs北条義時ほうじょうよしとき(鎌倉幕府軍)
豪雨で増水した瀬田川の橋板をはずした朝廷軍に対し、佐々木信綱ささきのぶつなを先頭に幕府軍は溺死覚悟で川を渡りきりました。

建武けんむの戦い

建武4年(1336)、後醍醐天皇(朝廷軍)vs足利尊氏あしかがたかうじ&直義ただよし
後醍醐天皇の新政治「建武けんむの新政」に反旗を翻した足利尊氏たかうじ
瀬田川を挟んで朝廷軍と足利直義ただよし軍が対戦しました。

◇ 山崎の戦い

天正10年(1582)、豊臣秀吉vs明智光秀
「本能寺の変」ののち明智光秀に勧誘かんゆうされた勢多せた(瀬田)城主・山岡景隆やまおかかげたかは織田信長への忠義を守りこれを拒絶。
瀬田の唐橋を落として明智軍の進路を塞ぎました。


なにげなく渡った橋にこんなにもたくさんの歴史があることを知ると感慨深いです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

観光(写真撮影)日  2024年9月30日(月)

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