普通の高校生が一般的に悩む人間関係の話


わかるとは思うが私はたぶん、変だ。

世間的には変な人だ

変わった人 個性的な人 面白い人 独特な人 おかしな人 …

色々な言い方が存在するが、本質的には変わらない。

まあ漠然と マイノリティというやつだ


私は至ってそんなつもりはないのだが。


最近になってようやく、周りの反応から自分が変な人だということを認識し始めている。…んー

言語化できるようになってきている。


ただ、小学校の頃は何も考えていなかったもので、人からどう見られてるかは何も気にしなかった。

つまり周りとしては、もし私が変な行動をしても「そういうキャラ」なので適度に認められていた、

もしくは私と同じように何も考えていなかったのであろう。


そのまま中学校へ入学したが、小学校から一緒に上がってきた人たちが半分以上を占めていたし、同じように何も考えていなかったので、何も考えず同じふるまいをしていた。


そして高校へ入学する。

同じ中学校の卒業生は3人だけである。

全く新しい人間関係を築かなければいけない。


そこで私は少し考えたのだろう。

小中学校と立ち回りを変えたのである。

その要因はいくつかあるが、学校にいる人間による部分がまあ大きいと思う。



受験は当時の自分の成績帯と同じくらいのところへ、雑に進学した。

真ん中よりは少し上、いわゆる自称進と呼ばれるような偏差値帯のところ。

その偏差値帯というのがまた、少し厄介で。


本当に分かりにくい例えをすると、道路の道幅である。


都会の道路を見てほしい

広い。



次に、田舎の道路を見てほしい

そう、広い。



多分、間くらいの地域が一番狭いのである。(ガバ理論)

イメージこんな感じ。(特定の地域や学校のことを悪く言うつもりは全くありません。)


言ってみれば、この、ちょうど上くらいの画像のものが私の学校だ。


道の幅は、許容される人間の性格?行動 とでも捉えてほしい。

校則がどれくらいキツいかで見るとわかりやすいかな。


他の高校に所属したことがないのでわからないが、少なくとも私のイメージでは、

真ん中あたりより、極端に偏差値の低い学校、高い学校のほうが人間の多種多様な性格を見る。

そんなイメージがある。


低いところは勉強以外のことに力を入れている人が比較的多く、力を入れていることは人によって異なる

やりたいことを好きなようにするし、自分もする。そんな感じかと漠然と思っている。

偏見である。


高いところは勉強ができる人の他に、何をしても平均以上がこなせる人、など

偏差値の高さと頭の良さは相関があるため頭のいい人は節度もある。

やりたいことをするが、やりたいことの中でも社会では良しとしないものはやらないので、校則もキツくある必要がない。


真ん中は勉強を頑張っている人と成り行きで入った人がほとんどである。

勉強はなんでするのと聞かれたら、「やらなければいけないから」と答えるような、そんな人たち。

やりたくはないが、やるとちょっとできちゃうので、めげずに頑張ってる人

(やってできない人はめげて勉強以外の道を探し出す。低いところの典型例)


私は真ん中にいる。成り行き人間だった。

よく「うさぎとかめ」のウサギだなんて表現をする。


これが、成り行き人間で性格が一般的なら何も問題ないのだが、どうやらそうじゃないらしいのである。私は


そんな真ん中の学校で、高1生で私がした行動はこれである。

「一旦周りに合わせてみる。」


正直つねに独りぼっちは嫌だし、自分のした行動で周りが引く状況は傷つく。

YouTubeであれば、キャッチーなサムネイルがあってこその動画内容である。

できるだけとっつきやすい人でいよう。

やりたいことを好きにやるのはその後でいい。


そうして月日が経った。

今、である。


今、…初めのとっつきやすい私のまま、高校生活を行っている。

皮をかぶるとはよくいった言葉だ。

今も、私と友人たちには1枚の見えない皮を介している感覚が

ある。


この皮は不快感とまではいかない…『違和感』を残す。


この度合いは気づいたら忘れるくらいに

ただいつもどこかで、確実にそれを感じさせるタイミングが現れる。


そのときから、少し「もっと良い方法は無かったのか」と考えている。


考えている…

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