待てない人へ
最近気づいたのですが、わたし自身すごく”待てない人”なんです。
この待てないというのは、例えばテストの結果、長編小説の結末、長い議論が結論に至るまでの時間、、等々
とにかく物事の結果がわからない状態、はっきりしない状態に耐えられないんですよね。
ほかにも人間関係で言うと、初めから仲良くなれるのか、なれないのかはっきりしてしまいたいためにガンガン突っ込んでいってしまいます。
時間をかけて徐々に仲良くなっていくというプロセスが耐えられない。最初のうちに無理なら無理でスパスパ切ってしまいたい。
まあこの特性のおかげで、決断はすぐにできますし、曖昧な状態の決定打になるような意見を言うこともできます。
スピード感のある人生ではあるかも知れません。
ただ、”待てないこと”のストレスというのはなかなかのもので、不安にもなりますし、情緒が乱れるのが自分でもすごくわかります。
こういう人はわたし以外にもたくさんいるのではないかと思います。
このことに気づいたときに、この特性を説明する言葉と出会いました。
それが曖昧さ耐性です。わたしのような”待てない人”は、この、曖昧さ耐性が低いようです。
これは心理学でも証明された心理的要素で、関連する論文も多く存在します。
ネットで探してみるとかなりたくさん出てくるのですが、驚いたことにこの曖昧さ耐性は精神的健康と関係があるらしいです。
曖昧さ耐性が低いと、不透明な状況(現実世界では常日頃起こりうる)に耐えられず、精神的に不健康になりやすいとのことです。
逆に、曖昧さ耐性が高いと状況の不透明さを割り切って、自分ができる、今目の前にあることをするということができ、精神的にも健康的でいられるそうです。
また、曖昧さ耐性が高いと対人関係が、うまく行きやすいのではないかと思います。
20年程度しか生きてないわたしですが、人間は特に白黒はっきり分けられるものではないことは知っています。
人間って超複雑で、一人一人がいろんな割合で白と黒を持ってる感じですよね。
つまり対人間には、”待てない”特性は活きないことは明らかなんですよね。(またなにかと明らかにしている)
曖昧さ耐性をつけることは、人に優しくなれる一つの道なのではないかと思います。人の複雑さ、多面性、矛盾性を受け入れられるようになると思います。
では、どうやって曖昧さ耐性つければいいの?ってことですが、
小説を楽しんで読んだり、曖昧な状況に自分で意味付けをすることなどがいいみたいです。
小説はもちろん結末を先に読んでしまったりしないで、時間をかけて読む、時間をかけて結論に至る練習ができるのだと思います。
状況に対する意味付けは、自分を納得させることで、ある意味はっきりさせることであるのかもしれませんが、
今はこういう時期なのだ、準備期間、もしくは貯める貯金の期間だ等々意味づけする事で、結果がばーん!とでない時にもやるべきことに集中できるのではないかと思います。
わたし的に大きいと思ったのは、自分がこういう傾向にある人間だと気づけたことですね。
はっきりしない状況にぶち当たった時、そういえばわたしはこの分野は不得意だと知っておくだけで心持ちも変わります。
もう少し待ってみよう、とかちょっとほっといてみて自分の出来ることに集中しようとか
急激に変化することは難しいかもしれませんが、気づけたことをきっかけに少しずつ耐性をつけていけたらと思います。
ちなみに、曖昧さ耐性の低い人にとって、不明瞭な状況はカミナリビリビリレベルのストレスみたいです🤣
自分を労わることも忘れないようにしたいです。笑