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料理人は自分がおいしいと思う料理を提供してほしい

ある店のオーナー料理人から連絡が来た。
僕が前に褒めた料理を改良したので食べて感想を教えてほしいとのこと。
連絡をもらった翌週、時間を作って店を訪れた。

改良したというその料理を食べてみると、とっ散らかって何がやりたいのかわからない味になっていた。
詳細を書くとどこの店かわかってしまうので控えるが、なんでこうしたの?と問うと「もっとネットでバズりたいんです。注目されたいんです」と言う。

料理人が野望を持つことは問題ないというか、むしろ野望がないと向上心も湧いてこないので「将来の目標は大事だよ」といつも言っている。
しかし、野望と承認欲求は少し違う。
野望とは、例えば店を大きくする!とか、広島で一番おいしいと言われる店になる!とか、多店舗展開して料理人から経営者になる!とか、そういうものだ。
承認欲求とは、他者から認めてもらいたいという欲求だ。
三大欲求である、食欲、性欲、睡眠欲に次ぐくらいの根源的な欲求なので、完全に消し去ることは難しい。
それを行おうとしているのが例えば僧侶で、名声などのあらゆる執着から解脱しようとする。
つまり、出家するくらいの覚悟がないと承認欲求から解脱することは難しいということだ。

ところが承認欲求には問題がある。
「承認してくれるかどうかは相手次第」ということだ。
つまり、料理であれば自分がどれだけ自信を持って提供しても、価値観が異なる客からは「好きじゃない」と一刀両断される。

そう、困ったことに料理評論においては、未だに「好き」か「嫌い」か、せいぜい「わからない」といった快不快が指標に使われていることも大きな問題なのだ。
これは小学生が読書感想文に「面白かった」「面白くなかった」「よくわからなかった」と書くのと変わらない。
本来の評論とは、作品全体を通じた作者の主張は◯◯だが、それは後半に書かれた◯◯と矛盾するのではないか?とか、現代を舞台にしているにも関わらず◯◯の部分に共感できず、ストーリーにリアリティを感じられなかったとか、そういうものだろう。
料理であれば、ここに◯◯を使うのであれば、ダシとして使うのではなく粉末として加えるべきでは?とか、ベースの味がまったりと重くて甘いのに、◯◯を加えたせいで酸味があと残りするのでバランスが悪いとか、料理をそれぞれの要素に分解した上で具体的な評論を行うべきなのだ。
しかし、料理を素因数分解して真っ当な評論を行う人はほとんどいない。

そうすると承認欲求が強い料理人はどうなるか?
客の好みに振り回されてしまうのだ。
そして振り回された挙げ句、多数決で決めたりする。
こっちのほうが好きだという人が多かったからという理由で、店の料理に採用する。
好きだという人が多いほうを採用したのだから、店が繁盛する可能性は向上した。
めでたし、めでたし。

だろうか?
これが成功体験になってしまった料理人は、次も同じことをやる。
多くの客が好きだと言ってくれるような料理を作る。
そうして数年経った時、ふと気づくのだ。
自分は何がやりたくて料理人になったのか?
これではまるで、客の下僕ではないか。

今回、連絡をくれた料理人は子供の頃から◯◯という料理をやりたくて、最初は他業種に就職したが、料理人に転向した。
しかしやりたかった◯◯ではなく、なぜだか知らないが他業種の料理を始めてしまったので、無茶を承知で◯◯も提供するようになった。
それだけ強い思いで作り始めた料理なのだ。
子供の頃から作りたかった味があるはずだ。
それを曲げてまで客の意見を採用する必要があるのか。
その料理は自分の料理ではなく、他人の料理だ。
これからずっと、自分が心からおいしいと感じていない料理を作り続けるつもりなのか?

料理人という職業の素晴らしさは、自分の価値観を直接客に示せることだ。
大きな組織で仕事していると、自分の仕事は真に客の役に立っているのだろうか?と不安になる。
それがないところが料理人の素晴らしさではないか。

自分がおいしいと思えない料理を作り続けた料理人は、いずれ心を病む。
自分が作りたいのはこんな料理じゃないという思いが募ると廃業するか、心を閉ざして料理ロボットになるしかない。
どちらにしても悲しい末路だ。

料理に迷ったら自分が心からおいしいと思う料理を提供するべきだと僕は思う。
それが客に受け入れられなくて閉店することになっても納得感があるではないか。
自らの料理に対する感性、経験、技術などが足りていなかったということだ。
反省して次に活かせばいい。

なに言ってんだ、閉店しちまったら元も子もないじゃないか!という人は、オーナー料理人として適性がない。
同じ料理人でも、何をどう作るのか店や味の方針を誰かに決めてもらって、粛々と手を動かす仕事が向いている。

上司がおらず、全て自分で決めることができる仕事は本当に素晴らしい。
だが、自由と責任は表裏一体。
自由が大きければ大きいほど、責任も大きくなる。
その責任に押し潰されそうになった時は自分を信じるしかない。
そして、自分で自分を信じられるためには、誰かが決めてくれたメニューをこなすのではなく、それぞれが試行錯誤しながら日々研鑽を積むしかないのだ。

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シャオヘイ
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