
あの頃の私を抱きしめに行く
極度の人見知りで、知らない人の前はてんでダメ。
幼稚園のときは年中時代のN先生としかお話ができず、年長になったら友達の輪に入れず一人でお弁当を食べている遠足の写真残った。
とても臆病だったから幼稚園の和式便所が怖くて何度かおもらしもしていた。
かん黙だから、知らない人からイタズラ(今思えば性被害)されたこともあるし、行きたくもなかったスポーツクラブの合宿で毎日泣いていた。
おそらく本来の私のパーソナリティはこの延長線上にある。
弟は変わった子ども。
集団行動ができず、母は弟を連れて方々の病院を巡っていた。
すぐに泣くという理由で男の子からいじめられていた私だけど、表立って問題を起こす子どもではなかったから、大人は誰も気に留めていなかった。
とても傷ついていたし、困っていたけど、内向的な小学校低学年は黙って抱え込んでいた。
ある日「お腹が痛い」と訴えて学校を休むことを試みたが、嘘をつくなと家を追い出され、母は弟を連れて病院に行ってしまった。
母も先生も積極的でしっかりした子が好きだ。
直接聞いたわけではないけど分かる。母が学級委員長をやっている近所のお姉さんを褒めそやし、先生が運動神経バツグンの明るい生徒たちを依怙贔屓しているのだから。
すぐ泣くのは良くないこと、友だちがいないのは悪いこと。
理想の子どもじゃないから私は誰からも見てもらえないんだと思い至り、子どもなりに自分を変えようと努力をすることにした。
そうして出来たのが今の私のパーソナリティ。
コミュ障を隠して社交的に振る舞えるし(ただし、あとからドッと疲れる、故に一人が好き)、放っといても平気なしっかり者だと思われている。
これもまたひとつの発達で、何かをきっかけに自分が変わることはよくあることだろう。
でも本来の自分を封じ込めて周囲に心配をかけないしっかり者として生きていたら、自分の胸のうちを誰にも話せない、いびつなマインドが形成されてしまった。
ふとした時、あの頃の私の誰にも分かってもらえない孤独や諦めを思い出す。
まさに今日、子どもらしさを手放したことがフラッシュバックして、どうすればこの気持ちに折り合いがつくのかと探っている。
46歳の私は、今この気持ちを誰かになんとかしてくれとは思わない。
現在はパニック障害持ちのASDという診断が出ている弟だけど「発達障害」という言葉もなかったあの頃、めちゃくちゃいじめられていた。
母もどうしていいのか分からない中、少しでも問題を解決しようと必死だったろう。
ただ学校は休ませて欲しかったかな。
あの頃の私へ。
知らない人の前で上手におしゃべり出来ないのもひとつの個性。友だちは居なかったけど、一人で上手に遊べるのだって個性。
泣きたくて泣いているわけではないのに涙が出てきて、「弱いから泣くんだ」って男の子たちに囃し立てられて辛かったね。でも泣きたいときは泣いたっていいんだよ。
繊細で感受性が強いから、お母さんの望むあなたを察知して、そうなるために努力をしたんだね。
あなたにとって、誰かの要求を察知して応えるのは容易いけど、自分の要求を伝えるのは本当に難しいね。今もそう、でも変わりたいよ。
周りに大人は居たけれど誰からも見てもらえなかった、透明なあの頃の私を抱きしめに行く。
今の私はそうすることで、あの頃の私を全肯定する。
2025年、自分のことも周囲のことももっと愛せますように。