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【写真が導いてくれた私の人生】感情を表現できる写真が大きな転換点に

感情が感情を動かした写真

前章で記した、新幹線の中で涙をこらえる娘の写真。それが私にとって、一つの大きな転換点となりました。

それまでの私は、どちらかと言えば「人のいない風景」を撮ることを好んでいました。静寂のある空間、整った構図、余計なものを排除した写真。そうした写真に美しさを見出していたのです。しかし、新幹線の中で撮ったあの一枚は、私自身の心を揺さぶるものでした。

写真の中には、完璧な構図も、美しい光もありません。ただ、娘が堪えきれない感情を必死に抑えようとしている、その瞬間が写っていました。
その写真を見た時、私は「写真とは何なのか?」と考え直すきっかけを得ました。

技術的に優れた写真は、見る人を感心させるかもしれません。しかし、感情が込められた写真は、人の心を動かします。そして、あの一枚が持つ圧倒的な力を前にした時、私は自分の撮る写真の方向性が変わりそうだと実感しました。

「感情」を写すという選択

祖母の死をきっかけに、家族の写真を撮り始めた頃は、「記録」としての写真を意識していました。成長の記録、思い出の記録。確かにそれも写真の大切な役割の一つです。
しかし、新幹線の写真を撮ったことで、「記録」よりも「感情」にフォーカスした写真を撮りたいと思うようになりました。それまで、目の前に広がる風景や静寂のある情景を撮っていた私が、家族の写真を通じて、人が持つ感情の美しさに気付き始めたのです。
家族と過ごす時間の中で、娘たちは素直に感情を表現します。喜び、悲しみ、怒り、驚き……そのすべてが、嘘のない生の感情として、日々目の前で繰り広げられています。
これまで撮ってきた風景写真には、「そこに行った」という事実が記録されます。しかし、その場所で何を感じたのか、何を思ったのかを伝えるには限界があるように思えました。一方で、人の表情や仕草、ちょっとした動きが写った写真には、その瞬間の背景やストーリーが自然と含まれているように感じます。
たとえば、旅先で娘たちが無邪気に駆け回っている写真を撮ると、そこには「どこに行ったか」だけでなく、「そこでどんな時間を過ごしたのか」が記録されます。写真を見るだけで、「この時、こんなことをしていたよね」と、その場の空気まで蘇るような感覚。
写真の持つ「記憶を呼び起こす力」は、ただ場所を記録するだけではなく、感情を伴うことでより強くなるのだと実感しました。

「カメラ目線」より「素の表情」

こうして、私の写真のスタイルは徐々に変化していきました。

以前は「綺麗な風景を撮りたい」と思っていたのに対し、今では「感情のこもった写真を撮りたい」と思うようになりました。
家族旅行の写真でも、いわゆる「記念写真」は撮りますが、それ以上に、私がシャッターを切るのは、娘たちが無邪気に笑ったり、何かに夢中になっている瞬間だったりします。

カメラ目線でポーズをとった写真よりも、何気ない日常の中でふと見せる表情のほうが、後から見返した時に心が動かされる。
こうした写真を撮り続けるうちに、娘たちと向き合う時間も変化しました。
以前は、「写真を撮る」ことが目的だったのに対し、今は「娘たちの感情を見守る」ことが写真を撮る理由になっているのです。
写真を撮るという行為が、単なる記録ではなく、「今、この瞬間を大切にすること」に繋がっていった。

それが、私にとっての大きな転換点でした。

写真を通じて、「大切なもの」に気付く。

そして、「その瞬間を心に刻む」。

この感覚こそが、今の私にとって、写真を撮る一番の理由なのかもしれません。

私は、こうした写真たちは言葉であり、未来への「Letter」なのではないかと思います。

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木下大輔
プラチナプリントの魅力を伝える為の活動に使用させていただきます。