
【写真が導いてくれた私の人生】私の好む写真に関したキーワードは横文字だらけ
静寂を破る写真家集団
私が「写真」というものに深く意識を向け始めたのは、報道写真という分野に触れたことがきっかけでした。TimeやLife、National Geographicなどの雑誌を、文章を読むよりも写真を眺めるために購入していました。
それらのページをめくるたびに、これまで私が見たことのないような力強い写真に引き込まれ、感動を覚えました。 そんな時に出会った「マグナム」という存在。
彼らがどんな背景や理念を持っているかを知らなくても、「かっこいい写真を撮る集団」としての彼らの写真は、私にとって特別でした。特に印象的だったのは、写真家たちの大胆な構図と、モノクロの世界に漂う静けさ。そしてその中にある力強さ。 モノクロフィルムにのめり込んでいた私にとって、マグナムの写真はお手本の宝庫のように感じられました。
当時の私は、写真を『理解する』よりも、『感じる』ことに満足していました。マグナムのメンバーについて詳しく知るのは、それからずっと後のことです。
ピュリッツァー賞が照らした光
ピュリッツァー賞との出会いは、私の写真観に大きな衝撃を与えました。これは、世界中の新聞や報道写真の中から、最も優れたものに贈られる名誉ある賞です。当時の私は、「世界一の報道写真が選ばれるコンテスト」という程度の認識しかありませんでした。
ピュリッツァー賞の受賞作には、ただの記録を超えた「物語」がありました。 その写真たちは、視覚的な美しさだけでなく、見る人の感情を揺さぶる力を持っていました。
特に印象に残っているのは、戦場や事件を捉えた作品。現実の厳しさを伝えるだけでなく、そこに人間の尊厳や希望が込められているように感じたのです。
日本の報道写真と海外の報道写真を比較したとき、海外の写真はどこかアートとしての要素が感じられることに気付きました。その美しさに、私は憧れとともに「写真で語る力」を学びたいと思うようになりました。
ピューリッツァー賞 公式HP
https://www.pulitzer.org/pulitzer-stories
オシャレでカッコよくがお好き

当時の私は、どちらかといえば「形から入るタイプ」でした。形から入るり、出来もしないのに形にこだわる性格は今も昔もあまり変わっていませんが・・・。ライカやハッセルブラッド、マグナムという響きだけでも心が躍り、それらを手にして写真を撮る自分を想像していました。特にライカには強い憧れを抱き、「いつかこのカメラでピュリッツァー賞に出品できる写真を撮りたい」と夢見ていたほどです。 また、海外の報道写真に触れるたび、「おしゃれでカッコいい写真を撮りたい」という気持ちが強まりました。当時の私にとって、写真はまだ技術や知識よりも「憧れの対象」であり、「自分の部屋に飾りたい」と思えるかどうかが重要な基準でした。それは幼さゆえの浅はかな考えだったかもしれませんが、そこから写真に対する情熱が生まれたことは確かです。
写真の持つ力を追い求めて
こうした経験を通じて、私は「写真」という表現の持つ可能性を追い求めるようになりました。それは、単なる趣味の域を超え、私自身の生き方や価値観を形作る重要な存在へと変わりつつありました。 報道写真やピュリッツァー賞をきっかけに芽生えた「写真で語る」という意識。この考え方は、私が写真家として歩み始める際の大きな指針となりました。ライカやハッセルブラッドといった憧れの機材、そしてマグナムの写真家たちが残したインスピレーション。それらは私の写真表現を支える原動力となり、同時に新たな目標を与えてくれたのです。 写真を通じて語る力を手にしたい。その思いは、私に新たな旅路の扉を開かせました。報道とアート、その境界線を探る探求は、まだ始まったばかりです。
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