75年目の夏とお盆の終わり
今年は終戦から75年目という節目です。
第二次世界大戦から75年の間、一度も国土が戦禍に巻き込まれることがなかったことに感謝しています。
終戦記念日に合わせてなんか書こうかと思ってたんですけど、家庭の事情で書けませんでした。
終戦記念日に無理に合わせなくてもいい気がするので気が向いたら書きます。
戦争について思うことはいっぱいあります。
日本が絡んだ戦争だけではなく、世界中の戦争・紛争も含めてです。
なぜなのかはわかりませんが命で命を洗うという愚かしい行為に興味があるのかもしれません。
太平洋戦争についての情報収集は近年は減ってきていて今年は朝日新聞のノモンハン事件特集と読売の特集をチラチラ読んだことと、テレビの番組を数本録画したにとどまりました。
8月のこの時期は私は終戦記念日よりもお盆に対する思いが強くなります。
私の祖母は孫の私から見ても信心深い人でした。
お盆の入りにはかならず畑を見終わると朝一番にお墓に行き、きゅうりの馬を供えて持ち帰り、提灯を置いてくるのが毎年の習慣でした。
(私の生まれ育った地域では線香を炊く迎え盆の風習はありませんでした。代わりに仏様が迷子にならないように、と火の入れられる提灯を吊るすのが習わしです。)
きゅうりととうもろこしを畑からもいで用意するのが私の仕事でした。
※もぐ・もいで・・・もぎる(取ってくること)
お盆の最中は白木の台を並べ、菓子・果物を載せ、お位牌を仏壇から出し白木の台に乗せ、家紋入りの大きな提灯を吊るしていました。
そして、親戚周りをして過ごすのが決まりごとでした。
都会に生まれ育った人には少し想像しにくい光景かもしれません。
今回このnoteを書くにあたってなんかいい画像ないかな。と探してみましたがピンとくるものがありませんでした。
いまでは珍しいのかもしれません。
祖母はお盆の最後の日の夜にナスで牛を作る人でした。
ナスをもぐのも夕方という念の入れようでした。
ある年、私はなぜ夕方にナスをもぎ、夜に牛を作るのか聞いたことがありました。
「お仏さんが少しでも長く家にいられるようにするんだよ」と答えてもらったことを覚えています。
私自身はそんなに信心深い方ではないんですけど、年を経るごとに祖母の気持ちがなんとなくわかるようになりました。
そのせいか、ここ数年はお盆の入りと終わりに心で手を合わせるようになりました。
私はどちらかといえば効率的に物事を進めたいと思っているけど、人間臭い無駄とも思えるようなことも大事にしたいと思う時があるようです。
お盆が明けたので少し日記みたいなことを書いてみました。
齢を重ねるごとに少しずつ少しずつ自分の考え方が変わっていくのは面白いなぁ。。と他人事のように自分のことを見ています。
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