「XEVEN」という物語

#1 僕らのエゴと存在意義

「CD文化は廃れていき、ストリーミング時代に移り変わり、アーティストの戦い方は従来の方法とは一変した。

TikTokで流行った素人の自作楽曲がチャートインし、TVは先行して流行った楽曲及び素人アーティストを後追いで取り上げる。

相当な下積みを経験し、事務所のプッシュとともに限られた俳優がドラマや映画に出演する流れから、TikTokやYouTubeなどのショートドラマや、Abemaなどの恋愛リアリティーショーで有名になったインフルエンサーが、ドラマのひと枠を飾る。

そして、度重なる芸能事務所からの独立。
芸能人やアーティストなどのプライベートブランドや個人ビジネスの展開。

個々人がソーシャルメディアを通して発信力を付け、個々人にファンやスポンサーが付き、ビジネス化していく流れが後を立たない。」

なんて業界人やビジネスマンっぽい事を語るつもりは毛頭ない。

なぜなら、僕、XEVEN CEOのLUKEは、その業界で輝かしい実績を残したことも、名を轟かせたことも、はたまたアーティストや俳優、タレントを世間的に"売った"こともないからだ。

ただ、社会に対して、業界に対して、この会社を通してポジティブなインパクトを残したいという気持ちはウソではない。

しかし、それ以前にやるべきこと、なすべきことがたくさんあるということだ。
見るべき方向も既に決まっている。

僕らは、社会に対して、ファンに対して、家族に対して、仲間に対して。
そういう他者の幸福のために生きているわけではない。

僕らはいつだって、"自分のため"に生きている。

僕らが夢を掲げて、会社を立ち上げて、活動を続けるのは、他の誰のためでもなく、"自分のため"である。

しかし、僕らは、"自分のため"の幸福の中に、"他者の幸福"が存在するということは忘れてはならないとも思っている。

エンターテインメントというものはいつだって、"エゴ"から生まれる"他者の幸福"であるということを忘れてはならない。

そう考えると、XEVENが社会に存在し、活動をし続ける意義というものも、僅かばかりはあるのかもしれない。

前段が長くなってしまったが、今日は12月27日。XEVENが立ち上がる前最後の「7」の日という事で、『「XEVEN」という物語』というテーマで今の想いを書き残しておく。

さて、本題に入る前に、僕はXEVENという会社を、XEVENのメンバーを"売る"ことができると思っている。

まだCAIKIも、Haoも、HIDEAKIも誰も"売れて"おらず、その彼らをプロデュースするLUKEでさえ、誰も"売った"ことはないにもかかわらず。

それは一体なぜなのだろうか?根拠は?
という問いに対して、自分なりのアンサーを出してみた。

#2 なぜ「 XEVEN」は売れるのか?

エンターテインメント業界や、音楽業界、はたまたビジネス業界などについてモノを言うに相応しいのは、それ相応の結果や知識、経験など、説得力のある材料を持っているかどうかによって決まるだろう。

とすると、僕はそれに相応しくないということが証明される。

では、エンターテインメントそのものを作るのに相応しいのはどんな人なのだろうか?

映画監督だと相応しいのか。
ドームアーティストだと相応しいのか。
主演級の俳優だと相応しいのか。

おそらくどれも正解で不正解だろう。

そもそもエンターテインメントを作るに相応しい人など存在しないのだから。
裏を返せば、すべての人に相応しくあるべきものでもあるということだ。

もう少し分かりやすく説明してみる。

漫画家が漫画業界について語るには、それ相応の結果などがある方が説得力があるのはわかる。

しかし、漫画家が漫画を描くことは、漫画を描く人であれば誰でも相応しいと思えるだろう。

これは当たり前のことを言っているようだが、ここにエンターテインメントにおける本質が詰まっているように感じる。

漫画家は、業界をどうしたいか、社会のためにどうありたいかを考えて漫画を描けば"売れる"かと言われると疑問が浮かぶ。

おそらく漫画家は、"面白い漫画"を描けば、その漫画を楽しむ人が増えて、結果的に"売れる"だろう。

このように、エンターテインメントにおける"売れる"の本質は、そのコンテンツ自体が"面白い"というシンプルな答えが一番しっくり来る。

つまり、漫画家は、"面白い物語"を描けば、全世界を虜にするストーリーテラーとなる。

その"面白い物語"について少し掘り下げる。

ONE PIECEは、海賊王になってないルフィが目指す物語だから面白い。

NARUTOも、夢を見た少年が火影を目指す物語であり、ドラゴンボールも未知なる敵に立ち向かい強くなっていく姿に魅力される物語である。

いつだって物語は、「"夢"を叶えてない主人公が"夢"を叶えるために奮闘し、少しずつ近づいていく」という過程に興奮や感動が生まれているということがわかる。

(恋愛物語も同じだ。手の届かない憧れの人と、恋が結ばれていく物語がほとんどだ。)

僕は、エンターテインメントの本質的な魅力というものは、"結果"にあるわけではなく、"結果を追う過程"にあるのだと確信している。

そしてその"結果を追う過程"の事を、僕らは「物語」と呼んで楽しむことができる事を、既に世の中で愛されている数々の「物語」から学んだ。

さて、XEVENを"売る"ためには、何が必要なのだろうか。

ここまでの話からすると、「XEVEN」という物語が、"面白い物語"である必要がある。

最後に、なぜ僕が、 XEVENを"売る"ことができるかについて話して、この文章の終わりとする。

#3  「XEVEN」という物語

#1で話したことを振り返ってみる。

僕らは、僕らのエゴによって集まったグループだ。

そして、エンターテインメントというモノは、そのエゴから生まれる"他者の幸福"であるということも理解している。

僕らには、それぞれ夢があり、その自分の夢を叶えるために、エンターテインメント業界に立ち、走り続けている。

そして、それを楽しんでくれて、応援してくれる方々がいて、成り立っている。

まさに僕らが今行っていることは、"売れる"ための物語を描く、というスタートラインに立っているのだと思う。

そして、"売れる"ためには"面白い物語"である必要がある。

既にその条件は揃っている。

CAIKIも。
Haoも。
HIDEAKIも。

まだ売れてない、売れたことのない夢追い人であり。

彼らをプロデュースする僕、LUKEもまた、誰も売ったことのない夢追い人であるということ。

つまり、 XEVENが"売れる"と言える根拠の一つが、

「誰も売ったことのないプロデューサーが、まだ売れていないアーティストや俳優を売る物語」

であるということと。

「その物語そのものが、株式会社 XEVENという会社であり、 XEVENというグループである」

ということだ。

かつて、ルフィが小さな村から「海賊王に、俺はなる。」と叫んで海へ飛び出したように。

かつて、ナルトが「火影は俺の夢だから」と言い、どんな苦難も諦めずに乗り越えていったように。

僕らは、まだまだ小さなこの場所から、それぞれの夢を叫び、再び走り出そうとしている。

どんな一流の物語も、昔から恵まれて、天性の才能を持って、とんとん拍子に夢を叶えていった主人公はいない。

そのどれもが、「夢を諦めない」ということをやり抜いたからだろう。

その泥臭い根性を、漏れなく僕ら4人は持っている。

だから、夢は叶う。

始めよう。 「XEVEN」という物語を。


XEVEN Executive Producer (CEO)
LUKE


追記) 2025.1.7 4:10

この物語の秒針が動き始めた。
やることは山積み。

今僕は、幸せな人生だなと思う。
でも、満ち足りてない。少しも。

さて、この記事を公開しようか。

おやすみなさい。

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