【日本ダービー鉄の掟】に抗えた馬〜1998年以前〜
◆1.日本ダービー鉄の掟
1999年以降続く、皐月賞で5番人気以内または5着以内でなければ日本ダービー3着以内には入れないという法則【日本ダービー鉄の掟】
この法則に抗って日本ダービー好走できた馬を調べてみました。
◆2.皐月賞6番人気以下かつ6着以下から日本ダービー好走した馬
1999年からG1開催直前のコース変更において、外から内への仮柵移動により内の芝が完全に綺麗な状態でのレース開催が行われないようにルール変更されており、皐月賞人気薄凡走から覆した馬はその前年1998年までしか現れていない。
現在はコース変更の際、内から外への仮柵移動が基本となっており、つまり内の芝が外の芝に比べて綺麗ではあるが、真っ新な芝ではなく、前開催時に外を通った馬が通っていた部分の芝が内になるという程度のため、グリーンベルトは生まれるが、1998年以前よりは極端なグリーンベルトは生まれにくいため、異常に枠と馬場に恵まれた馬が好走し、本来は好走する能力や適性が高い馬が異常に不利な枠や馬場の被害を受けた馬が凡走するということが起こりにくくなったと思われる。
さらに1991年以前はダービーを20頭以上で開催しており、ただでさえ枠の有利不利の影響が大きくなるために、逆に皐月賞を好走していてもダービーで不利な枠になった馬が凡走、皐月賞凡走からダービーで枠に恵まれたノーマーク馬の巻き返し好走という例も起こりやすかったはず。
それでも、84回(1939~2024年)で11例、コース変更ルール改正以前の58回(1939~1998年)で11例に留まっている。
◆3.ダービー後も活躍した馬(重賞制覇、G1制覇など)
(1)ダービー好走どころかダービーを勝ってしまった馬:11例中2例(ダノンデサイル含めると12例中3例)
タニノハローモアはダービー後も重賞制覇を複数回と活躍。G1相当レースは菊花賞のみ出走(6着)。当時はレース体系が整備されていないために実質G1相当の重賞もあったかもしれない。
メリーナイスはダービー後も重賞制覇はするもG1では好走できず。
メリーナイスは2歳G1朝日杯を勝っているため、戦績だけを見れば本命級でもいい立場ながら皐月賞で人気が低かったのが不思議ながら、故障や体調不良、前走内容などで状態不安視されての低評価だった。
結果ダービーではメンバーレベルが下がったこともあるが状態が改善された中で人気も4番手に上がり6馬身差圧勝。
(2)G1優勝馬※ダービー除く:11例中1例
ダービー後にG1を勝った馬はダービー優勝馬含めても1992年ライスシャワーのみ。
(3)重賞優勝馬※G1優勝馬含む:11例中7例(1例不明)
重賞優勝馬は11例中7例と比較的多い。
キミガヨは成績データが見つからず不明。同名の別の馬のデータが出てくるので大きな重賞は勝っていない。
(4)G1好走馬:12例中5例
(5)重賞好走馬:11例中8例
重賞優勝馬の7例にボールドエンペラーが加わるのみ。
◆4.特筆各馬紹介
1953年 ダイサンホウシユウ 6人気2着 皐月賞8人気10着
ダービー後も重賞3勝、菊花賞でも3人気3着と人気馬として好走。
日経新春杯ではダービー馬ボストニアンに先着し優勝している。
その後の活躍を見ても、皐月賞は状態面の問題や展開・馬場などの不利を受けての人気薄凡走であった可能性が高い。
1954年 ミネマサ 8人気3着 皐月賞6人気8着
無敗の皐月賞馬にして菊花賞との二冠馬である名馬ダイナナホウシユウ(ダービー4着)にダービーで先着し、菊花賞ではダイナナホウシユウを抑えて1番人気に推され2着好走。
全ての詳細な成績は分からないが、分かる限りダービー後も重賞3勝と活躍している。
1968年 タニノハローモア 9人気1着 皐月賞8人気6着
タニノハローモアは逃げ馬で、ダービー出走時点で8連敗していたものの、大崩れはなく生涯通じても皐月賞の6着が生涯最低着順(後に菊花賞でも6着、30戦9勝)。
つまり十分大崩れしない地力がある馬ではあるものの勝ちきるという期待は薄く、同年はマーチス・タケシバオー・アサカオーの3強が形成されていたため、1枠1番を活かしたノーマークの逃げが決まった形となった。
その後も重賞3勝など活躍するが、G1級レースには菊花賞(6着)以外出走しなかった模様。
1975年 ハーバーヤング 11人気3着 皐月賞15人気6着
狂気の逃げ馬カブラヤオー世代。
ダービー後も重賞3勝など実力を発揮。
G1級レースでも名手岡部幸雄騎手とのコンビで菊花賞3着、天皇賞2着など長距離で活躍した。
1987年 メリーナイス 4人気1着 皐月賞8人気7着
メリーナイスといえば6馬身差の最高着差ダービー優勝馬として有名。
そもそも朝日杯優勝馬の2歳王者で、戦績だけを見れば何故皐月賞で8番人気だったのかが不思議。
3歳(旧表記4歳)になってから脚を悪くし、調教が十分にできないまま前哨戦スプリングSに出走して9着(2人気)に惨敗したことで人気を下げていた。
皐月賞馬にして後の菊花賞との二冠馬サクラスターオーやNHK杯優勝のモガミヤシマら有力馬が故障で不在というのもあり、ダービーでは4番人気まで人気が回復。
有力馬が不在とはいえメリーナイスだけを見れば皐月賞の人気&着順から考えると違和感のある人気上昇。
ただ皐月賞7着といっても2着ゴールドシチーから9着(9着が同着で2頭)までは僅差であり、追い込んで上がり3位の末脚も使っており、本来は2歳王者で地力上位のメリーナイスがそれなりに走れる程度に状態も回復してると判断されたと思われる。
外枠から追い込んだ皐月賞から一転、ダービーでは内目の枠から先行し逆転での圧勝となった。
1990年 ホワイトストーン 12人気3着 皐月賞9人気8着
史上最高入場者数記録(世界記録)を持つアイネスフウジンのダービーの世代。
皐月賞、トライアルNHK杯から騎手乗り替わりで3着に好走。
皐月賞ではアイネスフウジンとの接触で落馬寸前になった不利があっての凡走となったが、名手柴田政人騎手からの乗り替わりもありダービーでは12人気まで評価を落としながらもアイネスフウジンが逃げきってレコード勝利する中3着に好走した。
ダービー以降は菊花賞で2番人気2着好走、オグリキャップ復活の有馬記念で1番人気(3着)に支持されるなど世代トップクラスの評価を得て重賞も3勝したが、G1制覇には届かなかった。
1992年 ライスシャワー 16人気2着 皐月賞11人気8着
言わずと知れた史上最強ステイヤー候補の一角。
この鉄の掟を覆した馬たちの中で唯一、ダービー後にG1を優勝している。
成績が安定せず馬格が小さいこともあり評価も低かったのか、人気しづらく皐月賞前のスプリングSでも12人気の低評価で4着だった。
的場均騎手とは皐月賞が初コンビで11人気8着、NHK杯でも8着とこの時点ではダービーで16番人気になるのも仕方ないといった戦績。
しかし調教で調子を上げてきたことを感じた的場均騎手はミホノブルボンに付いていき粘り込みを活かす戦法をとり見事2着に好走した。
ライスシャワーの成長と、陣営と騎手の努力が全て功を奏しての逆転だったといえる。
逆に言えば、それでも1着ミホノブルボンには離されての2着であり、実力差が大きいことを感じたようで、そこから的場騎手はどうやってミホノブルボンとの差を埋めるかを試行錯誤するようになっていった。
ダービー後はセントライト記念でも後のジャパンカップ優勝馬レガシーワールドの僅差2着、京都新聞杯でもミホノブルボンの2着と重賞で好走を続けてダービーの好走が偶然でなく実力であることを証明し、コース距離ともに適性の合う菊花賞の舞台で無敗二冠馬ミホノブルボンを逆転して初G1制覇となった。
ライスシャワー含め90年代やそれ以前の時代は成長力の高い馬も現代に比べ珍しくないため、そういった理由での前走からの急上昇も比較的多かったのではと思われる。
1998年 ボールドエンペラー 14人気2着 皐月賞9人気6着
最近でも毎年ダービー直前になると「ボールドエンペラーを探せ」(ボールドエンペラーのような大穴でダービーを好走する馬を探せの意味)と言われる、ダービー鉄の掟を最後に覆して、ダービー好走した馬。
2歳時にデイリー杯3歳Sを上がり最速で追い込んで9番人気の人気薄で優勝し重賞制覇するが、G1朝日杯では追い込んで10着惨敗。
ラジオたんぱ杯では先行し4着。
3歳になってきさらぎ賞で先行して勝ち馬で後のダービー馬スペシャルウィークには離されるも2着に入ると、毎日杯でも3着善戦。
メンバーレベルが高くないレースでも好走までで勝ち負けまでが遠く、皐月賞では再び追込策をとり上がり2位の末脚で9番人気6着に入る。
この年の皐月賞は内枠から先行した馬が圧倒的有利のトラックバイアスとなっていて、上位6着の中で、先行していないのは大外枠から上がり最速で3着に追い込んだスペシャルウィーク、同じく外枠から追い込んで6着に入ったボールドエンペラーの2頭のみだった。
この2頭が結果的にダービーの1、2着になり、この年の皐月賞のトラックバイアスの極端さがうかがえる。
現代のルールなら当時ほど極端に差し不利な馬場にはならないため、ボールドエンペラーは追い込んで皐月賞も5着以内に入っていた可能性が高い。
ダービーでも後方から追い込んで2着に入った。
3着は先行した15番人気ダイワスペリアー、4着に番手先行の皐月賞馬セイウンスカイで、2~4着は僅差だった。
ダービー後は神戸新聞杯で上がり最速で追い込んで2着。勝てなかったが名手岡部幸雄騎手に乗り替わったキングヘイローに先着し好走している。
その後は活躍できないまま故障し、引退している。
※参考 2024年 ダノンデサイル 9人気1着 皐月賞除外(直前11人気)
皐月賞は除外ながら直前11番人気で、もし皐月賞・ダービーともに無事に出走できる健康状態であり6着以下だったならば、1998年ボールドエンペラー以来久々にダービー鉄の掟を破ってダービー好走した馬になっていたかもしれず、ダービー優勝なら1987年メリーナイス以来だった。
ただ、皐月賞は16番枠だったが1~2着が外枠から好走し、1・3着は先行馬。4着馬は差して4着に入ってきているので、先行有利の展開・トラックバイアスとはいえいい末脚を持っていれば5着以内も可能だった。
また、京成杯で2着に下しているアーバンシックが皐月賞4着に入っていることから考えても、ダノンデサイルが無事に出走していれば5着以内に入っていた可能性も十分想定できるため、鉄の掟に該当しない好走可能性が高く見込まれる戦績でダービー出走していたかもしれない。
ただ外枠なために無理しない位置取りの後方で競馬したり、爆逃げしたメイショウタバルについていき自滅するような競馬をしてしまったら6着以下になっていた可能性が高い。
◆5.1999年以降、ダービー鉄の掟打破に近付いた馬
皐月賞6人気6着以下からダービー4着
これを見ると皐月賞6番人気6着どころか10人気10着以下からあわやダービー3着という馬が何頭も出ている。
かなりの超人気薄の大負けから巻き返してる馬が散見し、何故わずかクビ差ながらもダービー鉄の掟(3着に入れない)が維持され続けているのか不思議で、偶然のようにも感じるが、このわずかな差が1999年以来立ちはだかり続けている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?