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タイキシャトルはインティカブ(Intikhab)が1998年ジャックルマロワ賞に出走していたら勝てたのか


◆1.インティカブ(Intikhab)という名馬

タイキシャトル1998年フランスのG1ジャックルマロワ賞を制覇した日本史上最強マイラーの1頭だが、同レースには本来、インティカブ(Intikhab)という強豪馬も出走予定だったが、怪我のため回避し療養。復帰後は勝利なく引退。

インティカブは、タイキシャトルが勝利したジャックルマロワ賞で1/2馬身差で2着に入ったアマングメン(Among Men)をクイーンアンS(当時G2)では8馬身差で破っている。
そこから、もし「インティカブがジャックルマロワ賞に出ていたらタイキシャトルは勝てなかった」と一部には言われている。

しかし、インティカブは結果的にはG1競走未勝利のまま引退。唯一出走したG1が復帰戦であり引退レースとなった1999年ロッキンジS(1600m)で2馬身半差の4着に敗れている。


◆2.インティカブがジャックルマロワ賞に出ていたらタイキシャトルは勝てなかったのか

アマングメンを物差しに考える場合

アマングメン
1998.6.16 アスコット芝8F(堅良) 8馬身差 2着(勝ち馬インティカブ)
1998.8.16 ドーヴィル芝1600m(稍重) 1/2差 2着(勝ち馬タイキシャトル)

上述(◆1)のように、アマングメンインティカブに8馬身差をつけられて2着で敗北した後、ジャックルマロワ賞でタイキシャトルの1/2馬身差の僅差2着に入っている。
アマングメンを物差しに考えたら、タイキシャトルは岡部幸雄騎手独特の騎乗もあって全力を出し切ってはいないとは思われるが、タイキシャトルはインティカブに負けた可能性が高いようにも思われる。

しかし競馬場自体も違う上に、馬場状態も違うため、単純比較はかなり危険。
8馬身差という着差は凄まじく感じるが、ペースやコース、調子次第で割とひっくり返ってしまうのが競馬の現実。

レモンポップは2023年南部杯(盛岡D1600)でイグナイターに2.0秒の大差をつけて勝ったが、2024年さきたま杯(浦和D1400)ではイグナイターと0.4秒差。距離適性の問題もあるが差が1.6秒も縮まっている。
1.6秒も縮まれば8馬身の差が縮まることになる。

また、アマングメンはクイーンアンS(アスコット芝8F)ではインティカブに8馬身差つけられたとはいえ2着だったが、
タイキシャトルに負けたジャックルマロワ賞の次のレースで再びクイーンアンSと同じアスコット芝8Fで行われるクイーンエリザベスII世Sに出走し、勝ち馬から7馬身差の5着に敗れており、アスコット競馬場は得意でなかった可能性が高く、単純計算の物差し理論で考えてもインティカブがそのレースに出ていても2着には1馬身差しかつけられてないことになる。

アヌスミラビリスを物差しに考える場合

アヌスミラビリス
1998.2.22 ナドアルシバ土1800m(速) 1馬身1/4差2着(勝ち馬:インティカブ)
1998.3.28 ナドアルシバ土2000m(速) 6馬身差優勝(2着:インティカブ)


1996毎日王冠(G2) 東京芝1800m(良) 1馬身1/2差優勝(2着トーヨーリファール)
1997香港国際C(G2) 沙田芝2000m(良) 3馬身差7着(5着サイレンススズカ)
1998鳴尾記念(G2) 阪神芝2000m(不良) 4馬身1/2差3着(勝ち馬:サンライズフラッグ)

インティカブはダート戦ではあるが、1998年2月、ドバイのナドアルシバ競馬場でのダート1800m戦でアヌスミラビリス1馬身1/4差で快勝
しかし本番の1998年3月のドバイデューティーフリー(当時ナドアルシバ競馬場ダート2000m)では6馬身差もの大差アヌスミラビリス敗北
距離は違うが同じコース1馬身1/4差を逆転されたどころか6馬身差つけられてしまっている。

アヌスミラビリス日本のレースにも出走経験があり、1996年はG2毎日王冠(東京芝1800m、良)でバブルガムフェロー、カネツクロスなどの強豪に優勝しており、1998年はG2鳴尾記念(阪神芝2000m、不良)で0.7秒差3着(勝ち馬:サンライズフラッグ、2着エアグルーヴ)
このあたりもコースや馬場状態などが違うので単純比較できないにせよ、インティカブが8馬身差つけた相手にタイキシャトルは僅差だった~理論が成立するのであれば、インティカブが6馬身差をつけられた相手はタイキシャトルでなくとも日本の上位馬に普通に負けた~という理論も成立してしまう。
また1997年香港国際C(現在香港カップ、シャティン芝2000m)ではまだ覚醒前の日本馬サイレンススズカ=5着にも先着を許し7着。

以上のように、アマングメンとの1回の勝負だけでタイキシャトルとの実力差が測れるかというと怪しく、確かにインティカブの故障前までのパフォーマンスはかなり高く、タイキシャトルに快勝しても不思議ではないと思われるものの、その本格化している覚醒中と思われる時にもアヌスミラビリスに合計7馬身差逆転されている所を見れば、無事にジャックルマロワ賞に出ていても、アマングメンとも1馬身差以内の僅差のレースとなり、または逆転されるなどし、タイキシャトルとも互角の勝負になって敗れた可能性も十分に想定されるように思う。

1994年スキーパラダイスとイーストオブザムーン

イーストオブザムーン:1994年ジャックルマロワ賞勝ち馬

1994.8.14 ジャックルマロワ賞:ドーヴィル芝1600m(良) 1馬身1/2差優勝(スキーパラダイスは6馬身3/4差5着)
1994.9.4 ムーランドロンシャン賞:ロンシャン芝1600m(良) 3/4差2着(勝ち馬:スキーパラダイス)

1994年のジャックルマロワ賞を制したのはイーストオブザムーンで、そのときに6馬身3/4差をつけられて5着だったのがスキーパラダイス(武豊騎乗)であった。
その数週間後のムーランドロンシャン賞ではスキーパラダイスが優勝(武豊騎乗)し、2着イーストオブザムーンに3/4差をつけた。
つまり6馬身3/4差もつけられた相手を数週間で逆転したことになるが、コースが変わるとこのくらいのことは頻発する。

これを見ても、タイキシャトルが仮にインティカブが圧勝したクイーンアンSに出走していたら、大差をつけられて負けていたかもしれないが、そうだとしても、それをジャックルマロワ賞ではあっさり逆転して勝っていた可能性が十分あるように思われ、インティカブがクイーンアンSと同様のハイパフォーマンスを出せた可能性はそこまで高く期待しにくいと思われる。

◆3.感想

インティカブが圧勝したクイーンアンS(当時G2)はアスコット競馬場でのレースなため、かなり起伏が激しい競馬場であることも考えると、平坦直線のドーヴィル競馬場でのジャックルマロワ賞とは求められる適性が異なり、クイーンアンSで高いパフォーマンスを見せたということは逆にジャックルマロワ賞では相対的にはパフォーマンスを落とす可能性が高いとも予想できるので、アマングメンとの差も縮まり、タイキシャトルに勝てたとしても僅差の勝負になっていたと思うし、個人的にはタイキシャトルが勝っていたと思う。

クイーンアンSアスコット芝直線1600m、スタートすぐは平坦だがその後1350mかけてゴールまで高低差20mを登り続けるコース

一方で、タイキシャトルが、インティカブが圧勝したクイーンアンSに出走していたら、当時の日本馬なので対応できて好走したとは思うが差をつけられて負けた可能性があると思う。


◆4.余談 タイキシャトルは中距離G1も勝てたのか

個人的にはメンバーレベルが低い年なら天皇賞秋に出たら勝てた可能性はあると思う(当時外国産馬は出走権利なし)。

藤沢調教師とタイキシャトル、グランアレグリア

タイキシャトルを管理した藤沢和雄調教師といえば天皇賞秋の勝ち馬を多数育ててきた名伯楽であり、「タイキシャトルが天皇賞秋勝てた、中距離でも最強だった」という説に信憑性が増してくる。
過去には1996年バブルガムフェロー、2002~2003年シンボリクリスエス、2004年ゼンノロブロイ、2014年スピルバーグ、2018年レイデオロという錚々たる面々で天皇賞秋を制している。

しかし、そんな藤沢和雄調教師が晩年に「今まで管理してきた天皇賞秋勝ち馬よりも全然強い」と評し、満を持して天皇賞秋に送り込んだのが当時の現役最強マイラー・グランアレグリアだったのだが、結果はエフフォーリア、コントレイルと中長距離を主戦場とする最強馬たちに遅れをとっての僅差3着に敗れてしまった。騎手も東京G1最強騎手ルメールが鞍上だったので、文句の言いようがない。

藤沢調教師の「グランアレグリアが歴代天皇賞馬(藤沢師管理馬)より全然強い説」が本当であれば、グランアレグリアより天皇賞秋において強かったエフフォーリアとコントレイルシンボリクリスエスやゼンノロブロイらよりも強いということになるのだが、その可能性が全くないとも言えないが、グランアレグリアには天皇賞秋は少し長かったか、天皇賞秋を勝つには足りない能力があったというのが本当の所だろうと思う。

ニュアンス的には今まで管理してきた天皇賞馬は本質が中長距離馬で、マイル以下でも強いスピードの強みという点ではグランアレグリアの方が全然上という意味かもしれないが、高速化した現代日本競馬の天皇賞秋ですら最強マイラーでも簡単に勝ちきれないほど結果的には総合力が問われたことになる。

グランアレグリア最強マイラーだが、短距離G1でも結果を出していた最強スプリンターでもあった点でタイキシャトルと似通っており、逆に言うと短距離G1でも勝ち負けできるほど通用してしまうということは、タイキシャトルも中距離では少し適性が劣る可能性が高かったのではと思う。

タイキシャトル G1勝ち鞍:マイルCS2回、スプリンターズS、安田記念、ジャックルマロワ賞
グランアレグリア G1勝ち鞍:桜花賞、安田記念、スプリンターズS、マイルCS2回、ヴィクトリアマイル

ともに1200m~1600mのG1を勝利

天皇賞秋に挑戦した過去の最強マイラーたち(ニホンピロウイナー、ニッポーテイオー、ヤマニンゼファー、エアジハード、モーリス)

過去の中距離G1に挑戦した最強マイラーでいうと、ニホンピロウイナー、ニッポーテイオー、モーリスらがいるが、ニホンピロウイナーは今でもタイキシャトルと比較する人がいるほどの史上最強マイラー候補だが天皇賞秋では3着
ニッポーテイオー天皇賞秋5馬身差圧勝すると、マイルCSでも5馬身差圧勝。翌年の安田記念も快勝現役最強馬タマモクロスの2着に敗れた宝塚記念を最後に引退。

モーリス春秋マイル制覇に加えて、香港マイル、天皇賞秋、香港カップとマイルから2000mの日本&香港主要G1を勝った。
どちらかといえば安田記念スピードが要求され、マイルチャンピオンシップ(京都開催)の方がよりスタミナを要し中距離馬に向くと言われるが(近年変わって来た説あり)、4歳安田記念ではクビ差の僅差勝ち4歳マイルCSでは完勝、前年春秋&香港マイル王者として出走した5歳安田記念では2着に敗れ、その後2000mを主戦場に移して天皇賞秋、香港カップをともに完勝で制覇という点を見ても、当時の日本のマイル界は層が薄かったこともあり、マイル春秋制覇できたが、本質的にはマイルより中距離が向いていた戦績に感じられる。

中距離でも勝ち負けしたニッポーテイオー、モーリスと、中距離で勝ち負けには至らなかったグランアレグリア、ニホンピロウイナーの違いでいうと短距離実績がある。
ニッポーテイオー、モーリスは出走した最短距離が1400mで、1200m以下のレースには出走していないため、短距離よりは中距離の実績と適性が強化されていた。

ニホンピロウイナーはグランアレグリアと同じく1200m戦にも多数出走し勝ち負けしている。
2歳時だけでなく3歳夏以降も短距離を使い連勝。当時G3ではあるが後のスプリンターズS勝ち馬ハッピープログレスに勝っている。
現在と同じレース体系であれば短距離G1に出走して勝ち負けし、グランアレグリアのような戦績になっていたと思われる。

一方、ニホンピロウイナーの産駒安田記念、天皇賞秋を制覇した最強マイラーのヤマニンゼファーは、短距離でも好成績を残しスプリンターズSで2年連続2着になっているが、惜しくも3階級制覇はならなかった。
ただ、2着に負けたスプリンターズSの勝ち馬は天才少女ニシノフラワー、史上最強スプリンターサクラバクシンオーであった。
これもまた、ニシノフラワーやサクラバクシンオーみたいな歴史的スプリンターがいないような短距離G1の出走馬のレベルが低い時であれば3階級制覇も可能だったかもしれず、競馬の戦績が運と切り離せない部分を感じるところである。

エアジハードはタイキシャトルの引退の翌年に台頭すると同世代のライバルであるグラスワンダーやキングヘイローらを下して春秋マイルを制し、タイキシャトルに匹敵する能力とも一部に評された。
そのエアジハードはタイキシャトルの挑戦できなかった天皇賞秋にも挑戦したが、そこでもいいレースをしたもののやはり僅差3着に敗れてしまった。
最強マイラーが天皇賞秋に出走すると3着になりやすいのかもしれない。

ただ、グランアレグリア(天皇賞秋3着)もエフフォーリアとコントレイルが出ていなければ勝ってたし、
ニホンピロウイナー
(天皇賞秋3着)もギャロップダイナとシンボリルドルフが出ていなければ勝ってたし、(ウインザーノットと同着の3着)
エアジハード(天皇賞秋3着)もスペシャルウィークとステイゴールドが出ていなければ勝ってたわけだから、

タイキシャトル1998年天皇賞秋にもし出走できたとしたら、絶対的本命馬サイレンススズカが故障発生してしまったこともあり、結果的に1強状態の馬が不在になったレースなので、勝てた可能性があったかもしれない。



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