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実践と研究を行き来するから、意味が見えてくる。

社会人にデザインの知見を、という想いで講師と学生が共になって日々の学びを深めているXデザイン学校。実際にどんな学びがあるのかという教室の声を届けていく、クラスルームインタビュー。第20回目は講師をされる三澤直加さんです。


三澤直加さん
デザイン事務所で多くのプロダクトの企画・開発に携わった後、2011年に共創型サービスデザイン会社「グラグリッド」を設立。分野を問わず、さまざまな企業のビジョン策定、事業開発の現場に伴走する。デザイナーの視点で創造的な解決策を提案するとともに、組織の中から創造的な文化づくりを支援している。絵や図を描きながら考える「ビジュアル思考」スタイルは、企業における合意形成、個性の発見、企画力の向上において多くの成果を生み出している。

現在、どんなお仕事をされていますか?

ビジョンデザインと言われる領域が多いですが、この先5年10年、自分たちはどういう世界を作っていったらいいんだろう?というようなビジョンを考えている企業や地域の皆さんと一緒に未来を描く、というのがメインの仕事ですね。ビジョンを描くにあたってその実現方法も一緒に考えるので、事業開発や組織開発の戦略も行います。複雑でわかりにくいことを整理したり、迷っている部分を一緒に突破したり、デザインの力を活かして組織を前進させる役割です。

例えば、生活を支えるインフラをつくる会社さんと10年後のエネルギーのあり方を考えたり、地方都市の観光協会さんと共創の拠点をつくったり。プロジェクトの進め方を考案してファシリテートすることが多いですが、手を動かしてプロダクトをつくることもあります。私たちのプロジェクトでは、“お客さん”という考え方があまりなくって、コアメンバーとフルメンバーという体制で、さまざまな人がフラットな関係性でワークショップに参加しながらゴールを目指します。この体制については、創業以来、本当に試行錯誤してきました。従来のデザイン活動の仕事って、“依頼者が仕様を決めて、デザイナーがつくる”という関係性で成り立つものが多いんですよね。でもそれだと、必要のない活動にNOと言えなかったり、修正すべき状況でも変えられなかったりするんですね。そんな時こそ柔軟に活動を変えていける関係性が重要だから、「一緒に良いものを探索しましょう」、「何ができるかわからないけど一緒に走り切りましょう」、という提案を重ねて、共創型の仕事のやり方を見つけてきました。今では、ありがたいことに、クライアントからも共創仲間として認識いただくことも増え、互いに提案しあったり知見を持ち寄ったりしやすくなりました。こんなふうに、ちょっとだけ挑戦的なことを提案して、一緒に試行錯誤しながら答えを見つける。そうすると、なんでも話せる仲間になり、探究的な活動がしやすくなる、というサイクルが生まれていきます。


全然違う人間同士で、一緒に考える喜び。

いいサイクルですね。元々そういう状況を目指していたんですか?

次第に理想みたいなものができてきたんだと思います。私、大学では工業デザインを学んでいて、車のレンダリングとか金属の型抜きとかやってました。だから、モノのデザインが出発点なんです。でも社会人になった時、UXデザインと出会い、共創の面白さを知りました。UXデザインという言葉は当時なかったのですが、UIが新しく生まれ、世の中の製品が大きく変わっている中、入社した U'eyes Designという会社でたくさんのプロダクトのUXを0から構築する機会に恵まれました。そして、人間の心理を探究するようなユーザーリサーチにどっぷり浸かることになります。そこで、「人間の感動体験のメカニズムを解明してプロダクト開発の発想法をつくる」プロジェクトに携わったことが、大きな転換点となりました。リサーチでわかったことを企画に繋げるってすごく面白いなと思って。この面白さをみんなに体験してほしくなり、発想法をワークショップとしてパッケージングしていったり、そこで必要となるファシリテーションをめちゃくちゃ研究しだすんですね。そこでまた、ファシリテーションでいろんな人とアイデアを生み出すことってすごく可能性のあることだと感じて。それで、みんなで一緒に考える共創活動をもっとやりたい、と考えるようになりました。

もう一つの大きな転換点は、グラフィックレコーディングとの出会いです。グラフィックレコーディング(以下グラレコ)は、話されている内容を即興で絵にしていく記録方法ですが、私自身もたくさんの場でやっていくうちに、本当の意味での多様性というもの実感した瞬間がありました。それは、とある1000人規模の市民共創型カンファレンスでのことでした。たくさんの講演内容を多くの人に共有するために、「みんなでグラレコしよう!」と、当時(2015年)グラレコにチャレンジしていた10人くらいでチームを作ったんです。大学生とかもいて。そこで、みんなで一斉に同じ話を聞いて描いたら、全然違うんですよ。抜き出している言葉も描き出した世界観も構図も全然違うんです。それを見た時に、“こんなに豊かな思考共有があるのか”とすごくショックを受けたんですよね。それぞれの見える世界がパラレルに描き出されることの豊かさを知ってしまったというか。

それまでは、デザインってこれがいいあれがいいとディスカッションしつつ、一本筋を通して研ぎ澄ませていくもの、という意識でした。でも、そうじゃない世界がそこにあったんですよね。わからない人でもわからない人なりに見える世界があるとか、小学生なら小学生なりに見える世界があるとか、そういう認識の共有も、広い意味でデザイン活動だと感じたんです。表現の共有ではなくて、みんなでデザインしていく豊かさですね。だから、みんなでやるセッションが楽しいというだけでなく、一人ではできない、見えない世界をそれぞれが見せ合い、出し合うことの豊かさを作ってみたいと思ったんです。

思考の先にある、ひらめき。

本も上梓されましたが、注力されているのはビジョンデザインですか?

ビジョンデザインに注力してるという意識は正直ありません。本のタイトルとして、みんながイメージしやすくて使いやすいという意味で「ビジョン」という言葉を使っているだけで。なぜこういうことを今やってるかと言うと、“発想の先に何があるのか”を探求したいから、かな。「面白いこと思いついちゃった!」「こんなことできたらいいかも!」とひらめく、そんな心の動きがすごく好きなんですね。そういうワクワクする瞬間を世の中に増やしたいんです。だからビジョンや事業戦略も大切なんですが、一つひとつの商品企画や、もっと言えば「週末何しよう」って文脈でもよくて、その中で何か普段と違った考え方をノックすることや、何かしらの刺激で覚醒していくみたいなことに興味があります。

もともとデザイナーになりたかった理由もそうで、どのデザインでもよかったんです。工業デザインを学んだけどグラフィックも映像も好きだし、どの分野でもコンセプト作りが楽しいなと思ってました。それで、ひらめく現場でたくさん活動したいと思って動いていたら、どんどん領域が広がっていったという感じです。時代に合わせて必要な“ひらめき”って変わるんですよ。例えば20年くらい前だったら、人間がどうやって機械と向き合うかに“ひらめき”が必要だった。だから、そのインタラクションをどんどん考える必要があった。だけど今は、社会が変わって「
どう生きていくのか?」っていうことに“ひらめき”が必要になった。だから、“ひらめきをどうやって生み出すのか?に向かってまっすぐ歩いてきたら、ビジョンデザインという現場にたまたま来てしまったという感じです。


どうやったら人はひらめくことができますか?

まず人って何か考える時に、知ってることをアイデアだと思い込むんです。あそこでやっていた施策はいいとか、過去にこういう事例があったから活用できるとか、このパターンいいんじゃないかとか、そんな感じです。もちろんそれで解決できる問題もたくさんあるのでまずやってみるといいんですが、……正直その域を出ないわけです。ひらめきは、その先にある。なかなか出ない、どうしたらいいんだ、すごく辛い、って悩んでどうしようもならず、無我夢中でヒントを探さないといけない状況に追い込まれたとき、記憶の断片が呼び起こされて、見えているものを違う方向から捉え直したりすることができる。そんなときに、もしかしたらこうかも? “ポン”とひらめくことがあります。つまり、普段の思考法から抜け出して、違う方向からものごとの意味に気づく。そうやってひらめいたものは、ありきたりなものでなはく、その人にしか生み出せないものになっています。


全然違う人間同士で、一緒に考える。

そういう知見は、研究へと繋がっていくのですか?

まさにそうです。これまでも“どういうモードで、どういった探索の仕方をすると、どんなものが見つかるのか”という発想に関する研究を重ねてきました。今まで仮説を作ってメソッドを作って検証するというサイクルを何年も繰り返してきたので、これからは、その知見をしっかり言語化したり体系化するところをやりたいなと思っています。仕事の中で実践を重ねながら研究をブラッシュアップするという流れで、面白いことが起き始めています。例えば小学生とのワークショップで、「モノの隠れた物語を発見する」メソッドが生まれたんですが、そのメソッドが企業で“自分たちの気付かない強みを発見する”という文脈に育ってビジョンデザインに適用されたり、“新しい商品の側面を探索して全く違う存在意義を見つけ出す”というコンセプト開発に適用されたり。とある瞬間に生うまれた小さな仮説がダイナミックに場を変えながらどんどん育っていくってことが起きてます。

ちなみに、どうやって気付いてなかった価値を気付かせるのですか?

それこそ、これから言語化していかなければいけないので、うまく言えるかわからないですが。シンプルに言うと、自分の経験に注目して、自分の身体が覚えていること/脳や記憶が覚えてること/心が覚えていることを、高い解像度で大量に吐き出します。短い時間で強制発想的に。10分で30個くらいを目指して書き出していくんですが、だいたい15個くらいで手が止まっちゃうんですよ。覚えてないなって状態になるんですけど、そのとき、別のシーンを思い出したり、観点を変えたりしながら絞り出していくと、だんだんいろんな要素が組み合わさって、もしかしたらこういう風に感じていたのかもしれないとか、周りがこうだったからこう影響を受けていたのかもとか、無意識だったものがだんだん出てくるんですよね。そして、書き出したこと同士どうしの関係性や理由に注目していくことで、隠れた意味や価値に気づいていくことができるようになります。


研究と実践を行き来して、やったことの意味を見出す。

研究と実践の違いや面白さってどんなところですか?

研究は少し長い目で知見をつくっていって、実践はもうちょっと短くその瞬間を最大化させるみたいなイメージですね。私の中では、どちらも身近な活動なので、切り離して考えたことがありません。例えば、ディスカッションをしていても、最初の30分はプロジェクトのこと話してるのに、残りの30分はそれをどう活かすかみたいな研究の話になったりして、常に同時にやっている感じがあります。どっちもあるから楽しいんです。実践としてやることも楽しいし、研究としてやったことの価値を見出すことも楽しい。どっちか無くなっちゃうと、もうひとつも萎れていっちゃう。そのくらい私の中では研究と実践が密接に繋がってます。
実際に、実践したことを研究のテーマにしたいと思うものはたくさんあります。知見をパッケージにしておくって感覚なんです。いろんな取り組みや見出したことを残しておかないと、次の世代へ「こんな面白い活動があってね」って、語れないし伝わっていかない。それはやっぱり寂しいです。それに、私たちは探索的な活動ばかりしているので、「やったことのどこに意味があるんだろう?」っていうのをみんなとディスカッションしたくて論文にするんだと思います。

「ビジュアル思考大全」という2020年に出した本は、まさに、知見を言語化しようと試みた本でした。企業とか地域とか学校とか、いろんな場で実践的に探索してきた場作りや手探りの思考法を、ビジュアライズっていう技法を通して見つめ、まとめたものです。“どういう場をつくったら、どういうことが起こるのか”というのを図式化したり、その時点でのビジュアル・ファシリテーションの集大成という感じです。去年(2023年)に出した「ビジョンのつくり方」という本は、“デザイナーがビジョンづくりの世界に入ったらこんな風に見えたけど、みんなどう思う?”っていう投げかけ的な意味で書きました。人によっては、これがビジョン?と感じる人もいるかもしれないけど、出していみたら面白いものが見えてきました。特に、地域の人たちが「経営コンサルがつくってくれたビジョンは全然馴染まなかったけど、これならみんなでやっていける!」って希望を持ってくれたこと。そういう意味で、この本を書いたことは、領域を探索する実験の一つだったのかもと今思っています。


私にとって、デザインとは「未知の世界の歩き方」。

そんな三澤さんにとって、デザインとは何ですか?

未知の世界の歩き方」ですね。何が起こるかわからない、どうしたらいいかわからないという世界で、ワクワクしながら創造することができるから。わからないことを、受けとめたり、解釈したり、飲み込んでいくことができるのがデザインのスゴイところだと思います。
世の中にはわからないことばかりだから、“これって何だったっけ?”というのを、語り合ったり、妄想したり。みんなと話しながら意味を見出していく。そういう活動そのものが、私にとってのデザインです。


実践と研究を行き来しながら未来への道を柔軟につくり続ける三澤さん。デザインが生み出す人とともに考えることの楽しさと価値を教えてくれました。デザインのおもしろさは、やっぱり広くて深いです。