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人はなぜ日記をネットに公開するのか

大学生が主催している日記コミュニティにひょんなことからジョインしたので、あまり肩肘(かたひじ)のはらない、THEネット日記を書いてみることにしました。

自分が初めてネット上に日記を書いたのは大学生時代の1998年1月。いわゆるホームページをASAHIネット上に作ったのが最初でした。

この頃はまさに日記で、暇すぎたのか本当に毎日書いてたようです。(今も更新してるのでモノ好きな人は探してみてください笑)。

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※22年前に初めて書いたネット日記

その後は流石に毎日ではないですが、ライブドアブログ、Amebaブログ、はてなダイアリー、mixi、twitter、STORYS.JP、ALIS、noteなどなど、色々なサイトに書いて今に至ります。

そもそも日記とは?

私が子供の頃(昭和50年代)は、いわゆる専用の日記帳に書いて、特にだれかに見せるわけでもない100%個人的ライフログか、いつか振り返る100%内省ツールで、なんなら読まれないようにするための鍵すらついていたわけです。

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それがいつからでしょうか。

皆が皆、書いたことをネット上に公開して、やれトラックバックだ、やれシェアだ、やれコメントだ、そんなのが当たり前になりました。

「ということは、人は実は、みんな日記を書きたくて、それを誰かに読んでもらいたいの?それとも、それはやはりあくまで一部の人のことなの?」

それとも、ITの力がその前提条件すら変えてしまったのでしょうか。

興味は尽きませんが、テクノロジーが人の表現力の加速を後押ししたのは間違い無いと思います。

例えば、自撮りおばあちゃんこと西本 喜美子さんは、72歳からカメラやパソコンを習い始めて、今ではインスタのフォロワー数が22万人。技術が彼女の可能性を伸ばしたように感じるのです。

それでも私達は本当は表現者なのでしょうか?

子供の頃の気持ちをもう一度

小学校の頃は、みな発表者でした。

図画工作で絵を書いたり、合唱コンクールで歌を発表したり、読書感想文で表彰されたり、何かいわゆる勉強以外のことでも自分なりに表現をしてそれが誰かを感動させたりしたことが少なからずあったかもしれません。

発表なんかしたくない、興味ない。そういう人も、最初に褒められる体験があったら、違ってたかもしれません。

それがいつしか歳を取るうちに、

「そんなことしても仕方ない・・・」
「もっと良いものが安く手に入る・・・」
「恥ずかしくて見せられない・・・」

そんな風に考えて、やる前からあきらめてしまっていないでしょうか。

実は、もっとみんな本当は自分のことを表に出したいと思っているような気がするのです。

自分にとってはただ何気なく書いた日記が、たまたま誰かの目に止まって、深く考えるきっかけになったり、つらい気持ちが和らいだり、新しい行動につながったり、、、

それは読む人が決めることであって、書く前に書く人が決めることじゃないはず。

誰に向けてでもいい、何を書いてもいい、とにかく書くこと

私が好きな作曲家の言葉にこんなのがあります。

「いい曲を書きたかったら、とにかくたくさん書くこと」

駄文を書き散らしたその先に、光るものにたどり着ける。

スマホが1台あればなんでも表現できる時代。

ぜひ、今の自分にしかできない表現を。1つでも、2つでも。

書きたいことを書き続けられること、それがネット日記の醍醐味の1つかもしれませんね。

伊丹空港


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