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学校のテストについて考えてみる

うちの子供(中1)が今日から初めての定期テストだった(期末テストのみで、中間テストはないらしい)

いわゆる、9教科(国数理社英美技音体)試験で、私が中学の頃と構成は一緒である(中身は多少違うのだろうけどそれほど変わらないと思われる)

ところで、この誰しも受けたことがあるであろう「テスト」

親から”いい点数を取りなさい”と小言を言われたことなんて無い人の方が少ないだろうテスト。でも、この「テスト」ってそもそもなんなんでしょうか。テストで高得点を取るとはどういう意味があるのでしょうか。

工場で考えてみる

ここはとある工場。とある製品を製造しています。出荷する前工程では設計図どおりに作られているか、きちんと想定通りに動くか「テスト」します。

当然ですよね。お金をいただく限り、売り物として期待どおりの動きをしてもらう必要があるからです。

ここでいう「テスト」と、中1から受ける「テスト」

これらは違うものなのでしょうか?

もしも、同じものだとしたらどうでしょうか。

ある規格にはまった人かどうかを確認するもの、それが「テスト」ではないかと。人間か製品かという違いが別段、無いとしたら。

これまではそれでよかった

これまでは、「決められた答えを正確に高速に出せること」の価値が高いとされる時代でした。なので、「テスト」によって、望まれる人を確実に大量生産するためとても効果的に運用され続けました(されています)

それでは今後はどうでしょうか?

GAFAMに太刀打ちできるような人を生み出すことが出来るのでしょうか?

VUCAという先の読めない世界で、個性を発揮して自分の頭で考えて失敗を恐れずに動いていかないといけないとしたら?

これまでの「テスト」はどこを切っても同じ「金太郎飴」のような人間を製造することは得意でしたが・・・。

ビジネスの世界に教科書も参考書も塾もありません。

これからの日本はどうしていくべきなのか

日本企業が世界で生き残っていくためにはそういう新しいビジネスを創り出せるような人材が欲しいので、就活生からそういう人材を採用したいところですが、そこでも「エントリーシート」「SPI」といった答えと照らし合わせて評価する「テスト」ですから、本当に必要な人材が見抜けているのか疑問が残ります。

それでも就活を始めたとき、学生はこれまでのような答えが明確だったレールから就活という自由度が高いフィールドで戸惑うと思いますし、それが「テスト」に依存しすぎた弊害ではないかと。

コロナでこれまでの生き方や働き方を見直している人も多いと思いますが、日々、自分がどうなるために何を測っているテストなのか。テストを受けることが目的ではなく、その先にあることに目を向けていくにはどうしたらいいのか。

いつまでも学校や会社から与えられたことをこなすだけの人ではなく、自力で生きるために必要な力を身につけようとする人が増えることを期待して。

おしまい。

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