メアリとシェリ
「まあ皆さん聞いて下さい」
「何言うてんの、この木偶人形!」
「世の中壊れ易いものが多過ぎます」
「それはあんたの事やがな!」
背中を張られた拍子に右の目玉がぴょーんと飛び出る。
観客、どっと笑う。
「こら、何すんねん!」と声を荒げた弾みに激しく咳込む。口からは螺子やら歯車やらがぼろぼろと零れる。
さらに爆笑。
「ええ加減にしなさい、もうあんたとはやってられんわ!」
「しゃいならー」
舞台袖に引き揚げ様、シェリ博士が躓いたみた前のめりに仆れる。
膝が折れ、片腕が捥げる。
やんやの大歓声。
「シェリさん、ほんまええ加減にせんと死んで舞いまっせ」
慎重に、硝子の眼球をソケットに嵌めながら、僕は改めて思案する。
シェリさんは医者に診て貰う可きなのだ、時計屋の小倅にでは無く。
「アホ貫かせ、今ケツ割ったらメアリに合わす顔が無いわい」
正直、今のシェリさんに医術の手が及ぶ等とは、僕だって信じちゃいない。
こうして夜毎僕たちは、草臥れた夫婦の様に繰り事を交わし合う。感情の昂ぶりも笑いも無く、それは醒めない夢に似ていた。
「こんにちは、こないだ頼んでたやつ来てまっか」
「おお、こないだと言えばNHKホールな、何や噛み合うてなかったな」
「や、わかりましたか」
「舞台観とったら気ぃ付かへんやろな。せやけどラジオで聴いとったら何や可怪しい」
「かなんなあ、時計屋の耳は誤魔化せへん。いや、色色調整してみるんですが、どうもしっくりいかんのです」
「どや、君にも思うところはあるやろが、わしにいっぺんメアリを診せてもらえんか」
「いや困った、企業秘密、と言うたかて僕にもさっぱりお手上げですのや。ちょう考えさせて貰いますわ」
「親父、今のシェリ博士ちゃうか」
「おお、先ぞから怪っ態な部品ばっかり注文しよるで変に思てたら、そのシェリ博士や」
「声でわかるわ。よう通るさかい」
「流石時計屋のぼん、将来有望や」
「よう言うわ」
果して明くる朝早く、棺桶みた木箱を積んでミゼットがやってきた。祖父は一旦開けたシャッターをまた下ろし、「臨時休業」の札を掛けた。明治以来続いた千日前の老舗時計店が、その後再び開く事はなかった。
『人造人間メアリとシェリ博士』
名こそ仰々しいがネタはオーソドックスな夫婦漫才、ただひとつ違っていたのは奥様が発条仕掛けの絡繰人形であった事である。ところがこの絡繰人形、博士のぼやきに入れる突っ込みの当意即妙、融通無碍、これぞ人造人間と誰もが舌を巻いた。それから道頓堀の寄席のトリを務めるまではあっという間、大阪万博ではお祭り広場の舞台に立ち、海外プレスからも絶賛を浴びた。
さて、そんな長閑な夫婦漫才が名前相応の怪奇趣味を帯び始めたのは、ひとつには避け難いマンネリ化があり、もうひとつには喧騒なばかりのドタバタ騒ぎに堕する演芸界隈の趨勢があった。
目玉が飛び出た時には、皆が息を呑んだ。
口から螺子を吐いた時には、屹度何かの手品だろうと考えた。
腕が捥げ、足が折れた時には、もう理屈などそっちのけで笑い転げた。
その頃、シェリ博士の肉体はもう細かな手作業に堪えられなくなっていた。じわじわと全身を蝕む病巣をひとつ、またひとつと摘み取り発条仕掛けに置き換えた挙句、最早後戻りの利かないモンスターに変貌させたのは、主に父の仕事である。それは、才気溢れる若者と二人三脚で、出来合いの絡繰人形を第一線の寄席芸人にまで磨き上げた祖父に比べて、何と気の滅入る年月であったろう。
臨終の床で、父はぽつりと呟いた。
「なあ、メアリとシェリはおもろいか」
「まあ、あとは君次第や」
父が亡くなってから、シェリさんはすっかり気弱になってしまった。僕が根を詰めて修繕をしている間にものべつ幕なしに喋繰っていたのが、近頃ではうたた寝をしている事が多い。とうとう、僕に任すと言う。冗談じゃあない、ここで『人造人間メアリとシェリ博士』の芸を絶やしたら、それこそ僕はあの世で祖父や父に合わせる顔がないではないか。
「まあ皆さん聞いて下さい」
「何言うてんの、この木偶人形!」
父の遺影に向き合って立つ人造人間メアリとシェリ博士を見て、やはり僕は父が羨ましいと思った。そしてもし僕の力が及ぶのならば、僕の時にも是非そうして戴きたいと願っている。
「世の中壊れ易いものが多過ぎます」
「ほんまやねえ」
-了-